付記(2013.6.7)
うーん、なんでこんな常識的な話にアクセスが多いのか、驚いている。かのバカ発見器などを見ると、図書館関係者だの、専門研究者だのでさえ、まったく時代錯誤な不勉強なことを書いているのを見つけ、まさにバカ発見器なのだなぁ、と、これまた感心。(いまさら、書いてしまったことを消すなよ。)
図書館と著作権の相克の問題(公共貸与権)は、ヨーロッパでは百年も前から議論にあがり、戦後、次々と法制化され、英連邦、さらに92年にはECでも承認されている。いまだに揉めているのは、泥坊上等のイタリアくらい。その一方で、研究教育その他のフェアユースについても強力な権限を付与し、権利義務の双方から厳格運用が図られている。
日本は、昨年に著作権法が改正(改悪)されたにもかかわらず、ダブルスタンダードで、DVDなどについては貸与や複製に補償制度を認め、かつ、それ以外のデータ操作については刑事罰を持って臨む一方、図書は、あくまでモノとして、そのまま放置された。しかし、音声や動画も含みうる電子書籍の登場普及によって、DVDと図書のカテゴリー区別の方便は、もはや不可能となりつつある。
図書館によって本の売り上げもプラスになる、だからいいんだ、というような論理が許されるのであれば、同じ論理で、映画や音楽のネット上での複製も認めなければならない。そもそも、たとえ売り上げがプラスになるとしても、再販によってむりやり価格統制しながら、図書館利用者が無料で享受しつつ、善良な正規購入者が「定価」のみならず消費税まで払う、ということが、文化的に、また、経済的に「公正」か、という問題がある。また、貧窮者を含めた国民の文化的水準としての保証、という理屈も、日本は、生活保護が充実し、そちらで文化費相当が現金支給されている以上、図書館無料の根拠となりえない。他方、公共ホールのコンサート、公共体育館のプール、など、利用者の本人負担が当然となっていることなど、現代の日本の諸制度の全体的構成を鑑みて、いまだに公共図書館の本の利用のみが完全無料である根拠を探す方が難しいのではないか。
そもそも、図書館は、文化アーカイヴであって、暇つぶしのための無料の娯楽場ではあるまい。ところが、日本の場合、利用実績を水増しするために、図書館本来の使命を二の次にして、とりあえずの客集めを優先してしまっていると疑わざるをえないところが少なくない。一方、公共貸与補償制度を確立しているドイツ国立図書館などでは、すでに1998年からオンラインの電子書籍の収集を始め、2008年には電子書籍についても納本を義務づけるようになった。しかし、いまの日本のような、遅れた著作権法の下で、図書館が電子書籍を「購入」し、これを不特定多数に貸与したとき、どうなるのか。
電子書籍の仇敵は図書館
純丘曜彰 教授博士
大阪芸術大学 芸術学部 芸術計画学科 哲学教授
大阪芸術大学 芸術学部 芸術計画学科 哲学教授
純丘曜彰 教授博士/子ども・教育
/本をタダで貸す公共図書館は、ネット上のDVDのパクリと同じ。いくら著者や出版社が読者のためを考えて、あえて苦渋を飲んで文庫化や電子化でコストを抑えても、それを盗み、タダでみんなにばらまくやつらがいては、どうにもならない。/
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