2013/06/07(Fri)
天上の音楽(Cat Walkより転載)
こんなことで多くの乗客を乗せる船長など果たしてやっておれるのだろうかと、例のあのイタリアの”バカ船長”のことがふと頭をよぎるのだが、先日安部首相の第三の矢記者会見をテレビで見ていたら首相の額の斜め35度、中空2、3メートルのところに4人の天使が飛んでいるのが見えたのである。
こういう朦朧とした幻視にとらわれていては手にする舵も夢うつつ、船は座礁しないとも限らない。
アブナイ、アブナイ。
件の天使はいつもテレビ画面に見えていたわけではなく、カメラがグッとズームアウト、つまり引いて会見場の全景が映ったときに見えたわけである。
4人の天使はそれぞれの手にふたつのヴァイオリン、ビオラ、それにチェロを携えており、聞き耳を立てるとどうやら弦楽四重奏を奏でているらしいが、どうやら記者たちには聴こえておらず、安部首相だけが聴こえているようである。
首相はその心地よい”天上の音楽”に乗せて例によって歌うがごとき流暢な(舌が短いのか、ときおり発音に子供っぽいラ行欠損が生じるものの)喉声(腹から声が出ておらず歌としては本物ではない)で「サッカー日本代表がワールドカップ出場に一番乗りを果たしました。日本もまた、世界の中心に躍り出さなければなりません!」「医薬品のネット販売の原則解禁します!」「国家戦略特区を創設し、国際的なビジネス環境を整備します!」ついには「1人あたりの国民総所得を、10年後に150万円増やします!!」など実に心地よい歌をうたっている。
この歌はどうやら「第三の矢」というタイトルらしい。
そう言えば、弦楽四重奏を奏でる4人の天使からちょっと離れてもうひとり天使を私は幻視している。
この天使は手に矢をつがえた弓を携えてテレビ画面の隅っこの方に映っており、この天使が矢を射り、安部首相の後頭部に当たった直後に首相は朗々とメロディアスなご託宣を述べはじめたのである。
思うにこれまで船長は頭が常人同様はっきりしており、幻視などしなかったから気づかなかったわけだが、このたびは安部という人はいつも5人の天使を引き連れた合奏団におけるボーカルパートだったということにはたと気づいた次第である。
長年の不況に気力を失い、
学級崩壊のごとき政権に身をまかせてさらに疲弊し、
追い打ちをかけるがごとき大震災、
さらには原発災害と、
息も絶え絶えな、わたしたちニッポン国民はまさにこんな天使の歌を待ち望んでいたのだ。
たとえそれが空耳でもよい、ラ行欠損の喉声でもよい、天使の歌が聴きたいといういわれなき願望が実態のない空虚なミニバブルを下支えしたのだという、なんだか私の幻視に似た迷妄がニッポン国民の頭上を霧のごとく被っていたわけである。
だが安部首相の頭上に天使たちが危なっかしいミニバブル音楽を奏でていることは記者会見上の記者たちにもテレビを見ているニッポン国民にもどうやらまだ見えていない。
見えていないにも関わらず、なぜ株価が一気に下がったのか?
実を言うとそのとき、私には天使たちのうしろに一瞬うっすらと背後霊を見ている。
背後霊は一瞬たち現れ、瞬く間に画面から消えたのだが、それは株の高速取引に符号する1000分の1秒くらいだったように記憶する。
私は写真家だからその一瞬画面にたち現れ、瞬く間に消えた背後霊の顔をはっきりと目に焼き付けているのだが、のちにあれはどこかで見た顔だと思い返すに、はたと気づいた。
サタンである。
この地球上には巨億のマネーゲームをもてあそんで無目的に資産を増やす金のみが目的のサタンのような顔というか”サタンそのもの”が存在しており(以前その手の人間がNHKインタビューに出て来たが、本当にサタンのような顔をしていた)、安部首相が第三の矢の歌をうたっている最中に、そのサタンの右手の指が一瞬素早く動き、パソコンのどこやらのキーを叩いた。
そのパソコンのキーが”売り”を指示するキーであったことは言うまでもない。
恐ろしいことにこのサタン、私同様、どうやら安部首相の頭上に浮遊する天使が常に見えているらしいのだ。
というより天使の背後でタクトを振っているやも知れぬ。
まあ、私の場合は天使が見えたからと言って耄碌からのただの幻視であり、一銭金も稼げず、何の役にも立たないわけだが。
2013/05/28(Tue)
従軍慰安婦に関する覚え書き。(CATWALKより転載)
従軍慰安婦の問題が取りざたされているが、安部首相、橋下大阪市長、その他さまざまな人の言説が飛び交っているが、こういった人身に関する問題が思惑と風評によっていかようにも解釈されうる昨今のアノミー(無規範)な状況というのは非常に危ういと感じる。
解釈というものが頭の中のみにぐるぐると空虚に回り巡り、それがおのずと自己弁護と自己擁護(あるいは国家擁護)に向って行くのは、言説を振り回す人間に”体験”がすっぽり抜け落ちているからに他ならない。
安部首相は言うに及ばず、ましてや橋下大阪市長などは戦争のカケラ体験もなく、二次情報、三次情報などにのめり込んで自分の論理を構築しているわけであり、それはネットにおける風評と大差があるわけではない。
かろうじて戦争体験の端っこに引っかかっている私のような者にはこの空論の堂々巡りが虚しい。
それはたまたま私個人が自分の血肉にかかわることとして、日本が占領していたころの朝鮮半島にまつわるあの忌まわしい臭いを嗅いでしまっているからである。
その臭いについて少し話してみよう。
◉
私の母の姉は早死にをしたが、不幸な嫁入りと言わざるをえなかった。
嫁いだ男、Mは占領時の朝鮮半島で手広く建設業を営み、敗戦後、引き上げ、私の門司港の旅館の横で飲食業を営み、終戦後は進駐軍の若い兵士のたまり場となっていた。
Mは私が子供のころ50代後半くらいだったが、今思い出してもよくしゃべる男だったにもかかわらず笑顔の印象が薄い。
というより自分の近しい親戚であるにもかかわらず子供心に”怖い”という感情のみがあった。
彼は朝鮮半島で建設業を営んでいたおりの話を周囲の者によくした。
現地で雇った人夫を棒で殴りつけながら働かせていたという話を自慢げに話すのである。
牛馬と同じという言い方を彼はよくした。
その大人たちの間で交わされる話をそばで聞いていて彼が現地の人を奴隷のように扱ってるという想像を私はしていたものだ。
そして実際彼は暴力をふるった。
自分の子供にも可愛がる子供とそうでない子供がいて、虫の居所がわるいと鉄の大火箸で力任せに殴った。
恐ろしかった。
むこう(朝鮮半島)できっとこのようなことをやっていたんだろうと思った。
そのように恐れを感じていたMのことに一層おそれを感じるようになったのは、ある日、父が母との談話の中で「Mはひどいことを言うもんじゃのう。いったい向こうで何しとったんじゃ」ということを小耳に挟んだからだ。
「籠屋にするぞい!!」
ある日、客とのいさかいがあった時、Mは激昂してそのような言葉を吐いたらしい。
たまたまその場にいた父はその意味がわからず、のちに問うたところ、籠屋とは手足を切って、同体だけにし、籠に入れて見せ物として売りさばくぞ、という意味らしいことがわかったという。
実際に半島でそのような残酷なことが行われたのか、あるいはそれは人を脅す時の最大級の脅し言葉なのかはわかならないが、そのような残酷な言葉が半島占領時下における日本人の口から出ていたことはMの言動から想像に難くない。
あるいは占領時において現地の人々の暗黙の反感を押さえ込むために行動や言葉がより過激になったということも考えられる。
Mはやくざの話もよくした。
Mはその類の話が佳境に入ると口角泡を飛ばし、得意げに恐ろしい話を平気でした。
植民地では荒稼ぎしょうと日本で食い逸れた半端者がこぞって渡朝し、徘徊しているという。
とうぜんやくざも徘徊していて、軍の手先になって強引な徴兵をやったという。
それは男性に限らなかった。
現地の人はなかなか働き口のない当時、仕事があるとウソをついて十代や二十代の女性を連れ出し、売春業者に売り渡すということは珍しいことではなかったという。
さらに私が子供心に震え上がったのは、ある朝鮮の家庭で夕餉の団らん時、とつぜんやくざが土足で上がり込んで行って、まえもって目星をつけておいた若い女性をさらって行ったという彼の話である。
ひとさらい、という言葉そのものは当時の日本でもあったが、実際にMの口からそのような話が飛び出すと、私も自分がひとさらいにさらわれるのではないかと、夜寝るときは気が気でなく、母親の布団の方ににじり寄ったものだ。
そういったひどいめにあった女性達が、従軍慰安婦として働かされたかどうかという点については私の記憶の中では彼の口からそういう話は出ていない。
いやというよりそもそも従軍慰安婦という言葉を当時の一般の人々が使っていたのかどうかは調べる必要があるだろう。
しかしここで銘記しておくべきことは、かりに日本人やくざらの手によって強制的に売春宿で働かされ、その女性たちの何人かが選ばれて従軍させられたとするなら、誰の手にかかろうと結果的にはそれは強制収容された従軍慰安婦と見なすべきということである。
それが国策としてやったことかどうかということに力点が置かれているが、かりにやくざが騙すなり、拉致するなりし、その女性達が巡り巡って従軍慰安婦として働かせられていたとするなら、それは軍(国家)が容認をしていたわけだから、国策かどうかというような論議をすること自体に意味がない。
というよりいずこの国に、買春行為を国策として明文化する馬鹿がいるかということである。
明文化しなかったからそれは国策ではなかった、という言い方があるとするならそれはメニューにない料理を提供するレストランでは、そのような料理は存在しないというに等しい。
◉
血のつながりはないものの、かねがね親族にMのような者が居たというのは、私自身居心地が悪いというか、後ろめたさのようなものがあった。
そしてそういう残酷極まりない話を近しい親族から聞いたこと自体、自分の人生の汚点という風に感じてもいた。
しかしこういった体験なき空論ばかりが跋扈する平成の世の危うさに鑑み、その汚点はあきらかにしておくべきだろうと考える。
だからどうだ、と結論を急ぐわけではない。
ここにたまたま半島に近い港町という地の利を得た空疎な二次情報ではない、生々しい人間を介してのひとつの情報がかつて存在し、私はそれを私自身の耳で聞いたということだ。
Mの話の真偽のほどを含め、それをたたき台として私たちが何を考え、何を判断するかということだ。
2013/05/10(Thu)
十センチ未満の一大事。
夜遅く家に帰って来て、飲んでいることもあり、頭がどうも回らない。
ということで、今日経験したショートショートストーリーをちょっとしたため、寝ることとする。
今日は東京駅の方に用事があり、夕方の帰りに久しぶりにJRの山手線に乗った。
だが目的地の恵比寿駅に電車が着いたのだが、なぜかドアが開かない。
3〜40秒くらいだっただろうか。
ドアが開かずに30秒というのはえらく長く感じるものだ。
そのうちに恵比寿駅で降りる構えの人も含め、乗客は何事かとあたりをうかがいはじめる。
飛び込みでもあったのか?
そんな空気も流れたように感じる。
そうすると、やっと車内アナウンスがあった。
「停車位置を直しますので、お気をつけください」
なーんだオーバーランか。
ほっとした空気とともに日常がまた平凡なものに戻った退屈じみた空気も流れる。
だがアナウンスがあってもなかなか電車は動こうとしない。
どうしたのだ?
車内にイラついた空気が流れる。
また車内放送が流れた。
「停車位置を直しますので、お気をつけください」
まったく同じ文言。
早くしろ。
気持ちの中でみなそう独りごちている。
私もまたそのように独りごちた。
そしてまた同じ文言のアナウンスとともに、その直後やっと電車が動く気配。
おそらく1ドア分か2ドア分をオーバーランしたのだろう。
そう思って電車の動きに身をゆだねる。
ついに動く。
そして停まる。
えっ。
これだけ?
電車は確かに動いた。
たったの10センチ。
本当に10センチだ。
いや5センチくらいだったかも知れない。
つまり後ろ側におそろしく微動して止まる。
また失敗か。
ぐずぐずしてるな、早くしろ。
そう思っている刹那、
……ドアが開く。
あっけに取られる。
無表情のまま乗客がぞろぞろ下車して行く。
私も下車した。
ドアが閉まる。
何事もなかったように駅のチャイムが鳴り、電車は動きはじめる。
私だけが電車を見送っていた。
最後尾の若い車掌の無表情がちらちと見え、電車は遠ざかる。
これは決してあんたの責任じゃない。
あんたも被害者だよな。
あのバカ中年以降のバカマニュアルを作る管理職連の被害者。
……この日本という国家。
つまり35キロ分の10センチの誤差を失敗として軌道修正しつつ動いているこの極東の不思議な社会。
もしあの炎天下でケツを出して踊りまくるブラジル人がこの電車に乗っていたとするなら、おそらくそこで一体どのようなことが展開していたのか、それすらも分からないだろう。
もしその事情がわかれば胸に十字を切って電車を見送るかも知れない。
アナタご臨終です。
……ごきげんよう。
2013/04/15(Mon)
金正恩という若き最高指導者の行動に垣間見えるもの。
このトークではこれまで幾度か北朝鮮に言及している。
今回の北朝鮮ミサイル問題に関連した「アメリカの困ったフェアープレー精神」(4月9日)。
あるいは先年金正日が逝去したおりのアナウンサー報道を茶化す日本人に言及した(2011 12月19日 「パンソリ」)。
あるいは新大久保の排除デモなどに触れた(2013 2月12日)、などだが、トークではかねがね、北朝鮮に関する一方的な報道の在り方や、異質なものを排除する傾向にある、昨今の日本人の北朝鮮に対するいわれのない偏見を正して来た。
そして9日のトークでは金正恩の行動力に青年の覇気を感じるむねの談話をたたためたわけだが、この金正恩という青年に関しては情報が少ないだけにまだまだ評価するに早計で、消化不良である。
今回の北朝鮮問題に絡んでのアメリカ要人の金正恩に関するコメントを聞いても、彼らもまたおっかなびっくり正確な評価に苦しんでいるようなところが見受けられる。
だが数少ない金正恩に関する情報を取捨選択するに、彼の人物像がおぼろに浮かび上がって来るような局面も見受けられるので一言付け加えたい。
◉
そのひとつは彼がかつてのNBA(北米のプロバスケットボールリーグ)の往年のスターであるデニス・ロッドマンを北朝鮮に招待し、一緒にバスケットボールを観戦したり、歓迎会を開いたりし、さらには彼にオバマ宛のメセージを託していることである。

私の兄は学生時代にバスケットボールをやっていた関係で、旅行会社に勤めていた折にはNBA観戦ツアーを企てるほどNBAファンで、そのお陰(とばっちり)で迷惑なことに私自身もNBAに関する生半可な知識がある。
そんな私の知るデニス・ロッドマンと言えば全身にタトゥーで髪を緑色に染め、女装癖の悪さをもおおっぴらにして隠さないなど、”狂気の◎◎”と名指されるほど、のワルだった。

身長203cm、体重105kg。
NBA選手としては小柄だ。
彼は80年代から90年代にかけて活躍したディフェンダーであり、92年〜98年に7年連続リバウンド王となっている。
このリバウンドというのはバスケットリングから跳ね返って来たボールを奪い取ることだが、彼は自分でも公言しているが、点を入れることには興味がなく、敵のボールを奪うことに興味があるという”あまのじゃく”なのである。
その”203センチという小さい身長”を逆に利用して機敏な動作とボールが落ちて来るポイントを抜群のセンスで予測し、さまざまな派手なジェスチャーでリバウンドをものし観衆を湧かせた。
バスケットが点を取る競技であるにも関わらず、点数を稼ぐ選手より点を入れることに興味のない彼の方が目立ったというのは彼の立ち位置はマイナーでありながら超メジャーに成り上がったということに他ならない。
金正恩が招待したロッドマンは鼻とか唇にボディピアスをぶら下げた妙に薄汚い出で立ちで、えっこれがロッドマン?と疑うような変わりようだが、そんなことより、私としては金正恩がロッドマンの大ファンであったことの方に抜きさし難い因縁を感じざるを得ない。
スイス留学時代の金正恩はバスケット漬けで、そのころの友人の話ではことバスケットになると口角泡を飛ばし、話の尽きることはなかったという。
その学生時代の金正恩がバスケットをやっていたころのNBA”大やんちゃスター”がロッドマンだったわけだ。
世界の中の超マイナー嫌われ者国家の首領の御曹司がこのロッドマンに傾倒したのはものの理(ことわり)というものだろう。
背の高い人間の林のような中からとつぜん小柄な緑頭の男が現れ、タマをかっさらって点を入れることにより戦況を一変させてしまう。
痛快この上ない。
やんちゃはその付属物のようなものだが、御曹司がやんちゃに憧れるパターンは麻生元総理や小泉元総理を見ればわかることだ。
その意味で金正恩は御曹司キャラクターそのものである。
◉
問題はその彼が境遇の似通ったロッドマンの大のファンだったというようなことではない。
彼がそのロッドマンを北朝鮮に招待したというのは、件の経緯から言ってわかりやすいことだが、彼の政治家としての資質を読むに上において問題なのはこのロッドマンに外交官の役目を託したという訳のわからない彼の挙動である。
ロッドマンは往年のNBAの名選手には違いない。
だが彼は15年前の選手であり、すでにアメリカでは忘れ去られている元選手なのだ。
しかし金正恩の時間は完全に止まっていて、ひどい過去固着に陥っている。
ロッドマン起用は金正恩のパーソナルヒストリーのみに負う時代錯誤のミスキャストに他ならない。
問題は彼が学生時代に”全能の神”として崇めたロッドマンをいまだ”全能”と錯覚し、一国の外交の片棒を担がせようとした無知と世界政治に対する根本からの思い違いにある。
これらの経緯を見るに、どうやら金正恩という青年は世界的にこの年代に特質化した!”オタク”的性格を色濃く宿しているやも知れぬという意味で、きわめて”イマ的”と言える。
そしてこのオタク的という、つまり自分のみがあって他者が希薄というありようは、時に恐ろしい局面を展開する。
それは今回のミサイル騒動のことではない。
私はこのことを北朝鮮通の韓国人知識人のコメントによって知って驚いたのだが、金正恩は最高指導者になって間もなく、平壌近郊に徘徊するコッチェビを総”シュクセイ”したという。
これはテレビでのコメントだったのでその”シュクセイ”という言葉が「粛清」であるのか「粛正」であるのかは判然としなかったが”シュクセイ”という言葉の響きにはあの忌まわしいアウシュビッツの大量虐殺が亡霊のごとく立ち上がる。
もしこれが粛正、つまり一定の方向に叩き直す、でなく粛清、つまり処分(殺戮)であるとするなら、これは今回の北朝鮮のミサイル問題以上の今世紀の大問題と言って過言ではない。
だが北朝鮮異端視という風潮の中で、この忌まわしい発言はいとも簡単にスルーされ、その発言後も問題とされることもなかった。
この件に関してはマスコミ報道もなければ、不思議なことに今日いかなる情報も網羅するネットであらゆるキーワードを入れても、この件は立ち現れない。
中にはコッチェビ皆殺しというキャッシュだけ残っていて、それを開こうとすると、時間切れで削除されましたというのがあったりする。
もし仮にその韓国知識人の発言が事実であるとするなら、とうぜんネットには情報が少なからず載っているはずだが、まったくないところを見ると、その発言自体が虚偽であるのか、あるいはサイバー操作によって北がせっせと削除しているという可能性も考えられなくもない。
一級のプロテクトをかけているサイトにもサイバーテロを仕掛けることが出来るわけだから個人ブログを削除することなど朝飯前だろう。
この平壌コッチェビ”粛清”問題。
ミサイル問題という自分の保身にかまけ、他者(救われぬ弱者)の悲劇にまで神経と想像が及ばないとしたら、これもまたオタク的ニッポンの悲劇に他ならない。
そんな忌まわしい想像に駆られながらふと思うのは同じ金正恩が制定した国家による秀才少年の育成である。
つまり国各所から秀才の少年が集められ、英才教育を施すという国家事業だが、その選民事業を遂行する裏で、かりに国家の為政犠牲者に他ならぬ浮浪少年少女を”処分”しているとするなら、この”オタク”という三文字が狂気の様相を帯びる。
金正恩がそういった”狂気のお坊ちゃま”でないことを、このニッポンに数少ない”北朝鮮ファン”の私としては願うばかりである。

コッチェビ報道で以前話題になったクローバーを食べる女性(20代)で、その後餓死したと言われる。

音楽部門の英才教育の子ら。
2013/04/09(Tue)
アメリカの困ったフェアープレー精神。
今回の北朝鮮問題。
不謹慎な言い方だが、今回の件、なぜか私の頭に去来するものは危機情勢より”若さ”というものの持つ馬力と淀みのない行動力というものである。
金正恩はまだ30歳になったばかりで最高指導者になったのは20代。
日本で言えば草食系男子真っただ中ということになる。
しかしその行動力には童顔に似合わず肉食系の貪欲がうかがえる。
だがまたこの”窮鼠猫を噛む”を彷彿とさせる恐れ知らずとも言える振る舞いには、いわるる幼少のころから純粋培養的に皇帝教育をされた人間の全能感もちらつく。
北朝鮮の専政と独裁のありさまを見ると、最高指導者のもとに生まれた男子というものは周りの者すべてがへびこつらう環境の中で幼少のころから”裸の王様”に陥る危険性は十分にあるわけだ。
その裸の王様がそのまま成人し、人民を率いる立場になったというのが金正恩のひとつの姿であるとするなら、ここには常人にはあり得ない全能感が身体化しているとも考えられる。
かりにそのような全能感を持ちながらも、自らの世界内における立ち位置を客観視し、先を読みつつウォー・シミュレーションゲームを展開し、その落とし所も考えているとするなら、これは相当のタマである。
そういう意味では自分の頭上に爆弾が炸裂するリスクをさっ引けば、アメリカの出方も含め、今後の成り行きは大変興味深い見ものだ。
その逆にアドレナリン過多の”若者の怒り”というような刹那的感情の高ぶりが全能感とあいまって国家国民を道連れにするのであれば、こんな皇帝を抱く国民はたまったものではないわけで、よもやそのような感情過多の為政に陥っていないことを願う。
しかし前にも書いた記憶があるが、世界政治をきわめてニュートラルに眺めるなら、金正恩が怒り狂うのは決して異常な人間感情ではない。
小さなニュースだが、アメリカは今回の件で北の蜂起を刺激しないために今月予定されていた大陸間弾道弾ミサイルの実験を延期したという。
こんなことを何の論評も加えず当たり前のように流す日本のマスコミも公平感というものが麻痺している。
思うに今回の問題は北が長距離弾道ミサイルの実験をしたことに端を発している。
その実験を糾弾するかたちで経済制裁が加えられ、おまけに海外の北の資産を凍結するという他人の懐まで手を突っ込むような、ある意味で越権行為をアメリカは行っているわけだ。
そのアメリカは今月もそうであるように大陸間弾道弾ミサイル(北も射程距離に置いた)の実験をごくあたりまえのように恒常的に行っている。
そういう実験に対し、かりに北にアメリカの資産があればそれを凍結するというようなことを北やったらどうなるのか。
今回アメリカのやっていることはそういうことだろう。
若い者の血がカッカッと燃えたぎるのもわからぬではない。
話はとつぜんあさっての方に飛ぶがこういう自分勝手な国(というよりアメリカ企業連合)が提唱しているTPPに日本は参加を表明したわけだ。
だがこのTPP参加も北や中国の脅威の防波堤としての日米安全保障条約の弱体化を恐れての表明でもある。
今日と昨日の出来事は戦争危機と経済がスパイラルのごとく繋がっている見本のようなものだろう。
2013/03/23(Sat)
明日からの夢つづれ展。
明日3月23日から「代々木ヴィレッジ」で開かれる「夢つづれ」展は私がこれまで開いた展覧会ではもっともコンパクトなものとなる。
前にも書いたようにコンテナを改造して作ったという非常に変わった小ギャラリーで、当初「代々木にコンテナを改造して作ったギャラリーで小品展をやらないか」との打診があった折、私はてっきり工事現場かなにかの雑然としたところに据え置かれているコンテナをギャラリーに転用しているものとばかり思っていた。
まあそういうワイルドなものもありかなと思っていたが、どうも興が乗らず、返事をしないまま2ヶ月が経った。
主催側としてはギャラリーの日程は押さえている関係上焦って、とにかく見に来てくれとの電話が何度かあり、重い腰を上げたわけだが、現場に言ってイメージが一変した。
私は知らなかったのだがこのコンテナギャラリーのある「代々木ヴィレッジ」というのは、昨今話題になっている、たとえば代官山の「蔦屋書店」のように環境デザインに力を入れたなかなかシャレた(シャレたというのは胡散臭さも含めた話だが)一角で、以前に会ったこともある音楽プロデューサーの小林武史さんがプロデュースしたとのことである。
さてこのヴィレッジの一角にあるコンテナギャラリーはコンテナは11メートル、幅4メートルほどの長方形でギャラリーとしては小さいがコンテナとしては大きい。
とうぜんこのスペースでは大きな写真は飾ることは出来ないから、写真のひとつのオーソドックスなサイズである8×10インチに統一し、34点くらいの展示となるわけだ。
今日の夕刻からその仕込みだが、今回は前回の「書行無常展」のように大がかりなものではないから、主催側にまかせ、私は立ち会うという程度のこととなる。
そうは言うものの、今回のの展示では特筆すべきことがある。
それはプリントのすべてが正統な銀塩プリントということだ。
銀塩プリントというのはつい20年前まで普通のメディアだった。
だがデジタル全盛時代となり、今では風前の灯火だ。
ご承知のように写真プリントのメディアには2つの方法がある。
いわゆる昨今の「インクジェットプリント」と昔からの「銀塩プリント」である。
しかし正統な銀塩プリントというのは10年ほど前から希少なものになりつつある。
つまり銀塩プリントとうたっても一般のラボではデジタルデータ化された画像素子を印画紙に照射する、いわゆるラムダ形式の銀塩プリントがほとんどなのである。
つまり銀塩プリントとうたっていてもそれは厳密に言えばアナログではなく、デジタルプリントなのである。
それでは正統な銀塩プリントとは何かと言うと、引き延ばし機によってカラーネガから手作業によって印画紙に焼き付ける方法である。
ただし、撮影されたフィルムがネガでなくポジ(スライド)の場合は、たとえばオリジナルが35ミリフイルムであればそれを6×7センチか4×5インチのインターネガに焼き付けてネガフイルムを作り、それを引き延ばし機にかけてプリントするという二重工程になる(この方法は値段が張るが今回の「夢つづれ」はその方法を取っている)。
またポジからのダイレクトという方法もあるがこの場合はダイナミックレンジ(諧調)が単調になるために私はこの方法を取ったことはない。
つまり正統な銀塩プリントというのはそういうことなのだが、実はこの正統な銀塩プリントというのはまさに風前の灯火なのである。
デジタル全盛時代にあって写真のラボの多くはデジタルに切り替え、ラムダプリントさえするところも希少になった。
ましてや正統な銀塩などやるところはないと言っていいが、実は東京(ということは日本に一件)に一件だけ生き残っているのである。
それは生き残っているというより、かつて銀塩全盛時代に活躍したプリントマンの最後の志と言ってよいだろう。
営業マン一人、プリントマン一人、現像助手2人という小人数で、現地に赴いてみると、赤坂のとあるビルの地下のボイラー室(家賃が安そうだ)を改造して食いつないでいる。
その中年のプリントマンはかつて二十年ほど前に銀座で個展をしたおりに私の写真を焼いてくれた人である。
私はここで残酷なことを言わねばならなかった。
すでに34点焼いているものを全部やり直してくれと言ったのだ。
この「夢つづれ」の写真は私の写真としては珍しくストロボを多用している。
その関係で明部と暗部の落差が大きく、普通にプリントをすると暗部が潰れてしまう。
主催側にポジを渡す時そのことには十分留意してほしいむねを伝えたのだが、仕上がりは満足するものではなかった。
それで現場に乗り込みやり直しの辛い決断をせざるを得なかった。
この辛いという言葉にはふたつ意味がある。
とうぜん二倍の労力をかけるということもあるが、それ以上に以下の理由がある。
今回のプリントはインターネガをとってそれをプリントするという方法だが、こういう正統な銀塩の感剤やフイルム(インターネガ)や現像液はもう生産しておらず、数量に限りがあるのだ。
感剤とフイルムと現像液のどれかひとつ欠品しても、正統な銀塩写真はできないということだ。
そしてこの最後の小さな生き残りラボではそれらの材料があと2年か3年分しかストックがないのである。
そういう貴重な材料をもういちど消費してくれというのが私の申し出でもあったわけだ。
辛い理由がおわかりだろう。
ひょっとしたら私のこの行為はこのラボの命を1ヶ月分くらい短くしたかも知れない。そういう意味では販売にあたっても数量は制限しなければならないということもある。
「材料がなくなったらラボは閉鎖しゃけりゃならないでしょ。あとはどうするんですか?」
との私の問いに、まだ正直なところ考えていいないということだった。
そういう意味では写真家としての私もまた正統な銀塩写真で個展をするというのがこれが最後となるはずだ。
正統な銀塩写真だからと言ってデジタルより良いとは限らない部分もある。
暗部再現はおそらくデジタルの方が数段に上だ。
だが色の乗りの立体感は銀塩の勝ちだろう。
そのようなわけで展示としては小さい写真展だが、そこには大きな意味も含まれる。
ひょっとすると正統な銀塩写真の個展を見るというのも来場者にとって最後かもしれない。
写真の世界にはこういった隠れたドラマがあるわけだ。
なお明日の16時以降は私は会場にいる。
以降の予定はまだ決まっていないので、決まり次第トークに反映したい。
2013/03/18(Mon)
あほらしいWBT、醜悪な日米地位協定、成果主義や規制緩和が日本にもたらした息苦しさ。すでにTPPの行く末は見えているような気がする。
むかし羽振りの良かったころのオヤジは「青龍倶楽部」という野球チームを持っていて、当時の南海ホークスの鶴岡監督とも親しかった。
その影響を受けて小学校のころにはわけもなくプロ野球放送に夢中になったものだ。
だが大人になってから野球にはまったく興味がないのだが、今日の新聞で敗戦の報がデカデカと載っているWBCは異なった意味で興味がなくはない。
このWBCというのは沖縄の地位協定同様、アメリカと準植民地国家日本との不平等な力関係が象徴的に現れている、ある意味で醜悪な催しものだからだ。
消費税金やゴルフ場利用税など数々の税金の免除。
パスポートやビザが必要なく日本を自由に出入り可能。
軍人として働いている最中の犯罪・事件はアメリカに裁判権がある。
アメリカの運転免許証で国内を走行可能。
日本の警察が身柄の確保をしなければ捜査が出来ない。
日本への身柄の引き渡しは検察による起訴が行われた後のみ。
外国人登録の義務が無く、誰がどこに住んでいるのか把握出来ない。
有料道路料金は任務以外のレジャー等で使ったとしても日本負担。
刑務所の中でも日本人より優遇。
というのが日本とアメリカの間に交わされた地位協定らしいが、このWBCにもそのわけのわからぬ地位協定が履行される。
大会スポンサー収入の約半分以上は日本企業が占めているにも関わらず日本への分配金は総収益の13%。これに対し、メジャーリーグ機構と選手会の分配金は66%。しかも日本チームと異なり、アメリカチームにはメジャーリーグの主立った選手は参加せず、くだらない二流選手ばかり。
日本では毎年優勝して鬼のクビを取ったような騒ぎになるが、こういった搾取の権化のようなWBCに一喜一憂する日本人とマスコミには吐き気すら覚える。
つまりこの催しはWBCならぬWBTなのである。
いわゆるそのTとはTPPのTのことだ。
◉
とうとう追い込まれて安倍首相はTPPへの参加を表明したが、日米地位協定、WBCと政治から娯楽まで日米不平等に甘んじている日本人がTPPに限ってだけは対等の渡り合いをするとは考えずらい。
というより昔から異民族のぶつかり合いや、植民地抗争など血で血を洗うような百戦錬磨の交渉術を労して来た”歴史ある”西欧の詐術に、難局を鎖国政策という内向きな政策で凌いで来たような民族とは”仕込み”が違う。
例えば旅は毎日がその異民族との交渉なわけだが、私の経験値によるとその交渉術には3つの様式がある。
和をもって尊しとする農耕系の交渉術は温かく柔(やわ)である。
かりにひとつの商品を挟んで値段交渉が行われる場合、その”和”というコンセンサスに向って互いが譲歩するというメンタルが重んじられるわけだ。
これがイスラムやアラブの遊牧系になると、確かに値段交渉によって譲歩を引き出すことは出来るが、そもそも最初に設定した価格帯に農耕系にはある”基準”というものがない。
彼らはたとえば一粒の麦に1万ドルもの値をつけるということを平気でやるのだ。
西洋人とはこれとは異なって、確かに価格に彼らなりの基準というものは存在するが、そこには”譲歩”というものが存在しない。
彼らにとって譲歩とは”和”に近づくことではなく”負け”であり”プライドの放棄”なのである。
このことは一時期プロ野球の選手会が誰が見てもおかしいWBCの不平等を訴え、WBCボイコットも辞さぬという騒動を起こしたが、メジャーリーグ機構は半歩たりとも譲歩の姿勢を示さなかったことによく現れている。
そして一切の譲歩を示さず、WBCをつつがなく運営することに成功した。
黒船に乗ってやってきたペリーが大砲で脅かしながら開国を迫ったように、おそらくその水面下では相当の詐術や脅しが労されたであろうが、残念ながらそれは表に出ていない。
私がアメリカ側のコミッショナーだったら野茂以降日本人選手がメジャーリーグでいくら稼いだか、そのアマウントを提示し、WBCをボイコットするなら今後日本人選手のメジャーリーグ移籍の受け入れを行わないという爆弾を選手会にぶつけるだろう。選手会としてはグーの音もでないだろう。
いや選手会の覇気が急にトーンダウンしているところを見ると実際にその程度のことはやっているかも知れない。
ウン、さすがにWBTだ。
仕込みが違う。
そういう意味ではTPP交渉というのは和の国日本が非譲歩の国アメリカと戦う経済の太平洋戦争のようなものであり、他人事であればまことに興味深い”見もの”でもあるわけだ。
件の”単純な軍人”であるペリーの砲艦外交の交渉の席に座ったもの静かな儒学者の林復斎は、開港というカードでペリーにいい気にさせ、開国というカードは切らなかったわけだが、この平成の軟弱な政治屋に復斎のような人相がすこぶる良さそうに見えながら手練手管に長けた剛者がいるのかどうか、そのあたりはどうも疑わしいと言わざるをえない。
2013/03/01(Fri)
誤認目の誤認逮捕はシャレにもならぬ。
確実な証拠もなしに普通の人間を逮捕する。
恐ろしい時代になったものだ。
パソコン遠隔操作事件で5人目の容疑者として逮捕された片山祐輔の件である。
この逮捕はどうやらまたもやきな臭い。
2月12日のトークで彼のことに触れたおり、私は逮捕時にマスコミに彼の素顔を写させるような大々的な捕り物劇を公開した神奈川県警は、確実な証拠を握っているものとばかり思っていた。
そういう憶測をもとに”容疑者”と書いたマスコミも、そして私自身も襟を正さなければならない。
「やっぱり猫男」
あるマスコミにはこんな見出しが踊っているという。
だが片山の逮捕は確実な”証拠”に基づいたものではなく、どうやら”脆弱”な状況証拠をもとにした逮捕ではないのかということが見え隠れしはじめている。
その状況証拠とは@問題の猫にチップ装着の首輪が着いたと”推測される”1月3日に片山がその江ノ島の現場に居たこと(私はてっきり防犯カメラの映像に彼が猫に首輪を装着する場面が写っており、それを証拠としたのかと思っていたが、今のところ、そういった決定的な映像はないようだ)。
Aそして別のチップが埋めたとされる雲取山方面に彼が車で向ったこと。
そしてこれは今回の事件に直接関わる状況証拠ではないが、彼が23歳のときネットでアイドルだった「のまネコ」に酷似したキャラクターをエイベックスが無断で使い「社長を殺す」と彼が脅迫し(たとされ)逮捕された事件の前歴のゆえに、おそらく今回のB状況証拠の補強となった(彼自身はその逮捕も誤認逮捕であり、それによって自分の人生の修正を余儀なくされたと言っている)。
どうもこれまでの情報を拾い集めてもその三点以外の状況証拠は見当たらない。
押収された3台のパソコンからも証拠にあたるようなデータは出ていないようだ(小沢がらみの検察のようにそのパソコンを操作して証拠を創作することは可能なのだろうか。私はパソコンに詳しくないのでその点はわからない)。
片山祐輔はたったそれだけの、ネコが聞いてもアクビをするような状況証拠で大々的に逮捕されたのである。
1月3日の午後2時半から3時半まで片山は江ノ島の猫のいる広場におり(片山の言)、猫好きの彼は猫を触り、猫の写真も撮ったという。
その中に問題の猫も居たかもしれない、と問題の猫人に関する記憶は曖昧だ。
のちにその問題の猫を2時50分ごろ写真に撮った人がいてネットで公開しているが、その時点ではその猫には首輪はついていない。
片山の記憶の中の時間が正しければ、片山がその場を立ち去ったときには猫には首輪がついていないということになる。
ということで担当弁護士はその後にその問題のネコが写った写真を撮った人を探しているとのこと。
それ以上におかしなことは片山が取り調べの可視化を要求し、白日のもと堂々と取り調べを受けたいと言っているにも関わらず、県警がそれを拒んでいることだ。
もし県警に確実な証拠があればその可視化された画面で証拠を突きつければ一件落着ではないか。
にも関わらずそれを拒み、いまだに取り調べが行われておらず、片山はおそろしく退屈な日々を送っているらしい。
可視化を拒んでいるのは”誤認目”の誤認逮捕というシャレにもならない、そして目も当てられない失態を国民の前に曝したくないということであろうか。
そればかりか神奈川県警は容疑者を”落とす”ために異常行動に出ている。
片山の母親の家に連日マスコミが押しかけ、家の外に出られなくなった母親のもとに県警の人間が取り入り、郵便物の回収、そして買い物まで引き受け、家の鍵まで預かり、母親の心証を良くした上で、ある書類のサインを求めた。
そこには今回の事件に関与していれば親子の縁を切ると書かれていたらしい。
この書類を県警が被疑者を”落とす”材料に使おうとしたことは明白である。
聞くところによると何人目かの誤認逮捕の青年の父親に県警は「自分の子供が今回の事件を起した」という何らかの言質を取り、青年に自白を強要したという。
その後この親子の間には取り返しのつかない亀裂が生じたらしい。
◉
以下、誤認逮捕され、家裁が保護観察処分を取り消した男子大学生(19)少年の父親の声明。
マスコミの皆様へ
今回の誤認逮捕の件につきまして、一言述べさせていただきます。
大学生の息子は、学業半ばにして深夜突然、連行・逮捕されました。
当人の強い否認にもかかわらず、十分なパソコンデータの解析も行われないまま取り調べが続きました。
警察・検察双方からの不当な圧力を受け、理不尽な質問で繰り返し問い詰められ続けました。
勾留期限が迫り、また家族への配慮と自分の将来を考え、絶望の中で事実を曲げ「自分がやった」という自供をし、保護観察処分となりました。
無実である証拠が出てくることを切望し待ち続けながらも、諦めざるを得なかった息子の心情を思うと、やりきれないものがあります。
そして、真実を封印しながら生きていくことを選んだ息子の胸中を察すると、親としては、断腸の思いです。
こうして警察・検察が誤認逮捕を認め、家庭裁判所が保護処分取り消しを行うという結果にはなりましたが、逮捕されてからの息子本人と家族の苦悩と心の痛みは決して癒えることはありません。
最も悲しいのは、親が息子の無実を疑ってしまったことです。
この件は、警察の構造的な問題、体質的な問題であり、本来国民を守るべき警察が、捜査の怠慢によって無実の国民、しかも少年を誤認逮捕し、冤罪に至らしめるという最もあってはならない事態です。
真犯人の方が遙かに警察当局よりも優れたコンピュータの技量をもっているのを指をくわえて見ている情けない状況です。
このようなことが二度と起きないように徹底的な検証と意識改革をするべきだと思います。
保護観察処分取り消しとなった息子には、心と体をゆっくりと休め、落ち着いた生活をさせたいと思います。
マスコミの皆さんには、過日のような加熱した取材を厳に謹んでいただきたいと思います。
この書面が私と息子、および家族の今回の件に関するすべての意見です。
今後の取材にはいかなる形でも一切応じませんので悪しからずお願いいたします。」
◉
家族から外堀を埋める。
またぞろ県警は同じ手口を使っているわけだ。
片山祐輔が100パーセント”犯人ではない”という確実な証拠があるわけではないが、それ以上に神奈川県警の大失態の焦りから生じたかのようななりふり構わない逮捕劇と、それに関連する”異常行動”は異様としか言いようがない。
それにしても猫に関連したこの事件、気候も良くなったことだし、一度件の猫に会いに江ノ島に行って来ようと思う。
2013/02/27(Wed)
酒と薔薇の日々
今日の夕方見知らぬ人から電話があった。
というより私の門司港の友人Kの友人ということらしい。
「とつぜんこんな不躾な電話を差し上げもうしわけありません」
という言葉からはじまった、電話の内容は「アル中をなんとか治したい」ということだった。
「それでなぜ私に電話をして来たのですか?」
「K君が藤原さんは酒を止めるといったらピタっと止め、タバコを止めると言ったらピタっと止めることのできる人だから、一度話を聞いたらいいかも知れないと言っていたものですから」
私は酒をピタっと止めたことはない。
というより、30代のころ大酒を飲んで肝臓を壊したから止めただけの話だ。
以降、飲まないので酒好きの瀬戸内寂聴さんなどから「藤原さんは酒を飲まないのが玉に瑕」と口癖のように言われる。
確かに肝臓を壊しても、酒への未練が断てず、盗むようにチビチビ飲みつづけ、臓器というものは連動しているから他の臓器まで壊し、廃人のようになる人もいる。
「肝臓を壊しても飲み続けるとどのようになるのですか?」
私は医者に問うた。
「一度拝顔しますか」
医者は重篤な肝硬変を患って寝たきりになっている患者のところに往診に行く際に私を連れて行った。
ベッドに臥せった50代とおぼしき男の顔は死んだような目の周りに白い粉が吹いており、痩せこけ、肌はくすんだ土色をしていた。
私はアウシュビッツを思い出した。
ゾクっとした。
そのゾクっとしたリアルな感情は彼と私の身体がどこかで繋がっているというところから来ているのかも知れない。
ぞのゾクっと背筋が凍るような感情はずっと私の中に居残っていた。
私が酒を断つことが出来たのは、その言葉に出来ない感情があったからだと思う。
「ちょっと仕事に行き詰まったり、難しいことがあると酒に浸ってしまうんです。お会いしてお話が出来ればいいのですが、お忙しいと思いますので電話ででも話をおうかがいさせていただけないでしょうか。10分1万円お支払いするということで」
私はほどほどにあしらうつもりでいたが、金の話が出たことで気分が変わった。
10分1万円というような金の勘定までするということは、単なる甘えじゃなく、この人かなり追いつめられ切羽詰まっているのだな、と思ったのである。
聞くと栃木の高校で美術の教師をしているという。
性格は実に良さそうだ。
「いやお金がどうのこうのじゃなく、私はただの写真家のようなものでカウンセラーでも何でもありません。そんな人間が他人様と電話口のやりとり程度のことをしてあなたの症状が改善するとは思えないのです」
正直困った。
ひとりの人間が崖っぷちに立っている。
それは私とは関係のない赤の他人だ。
そのまま電話を切ろうと思えば切ることは簡単だ。
そして私に彼のアル中を治す能力があるとも思えない。
仮に私があの廃人であったら「私を見ろ」と体に穴が空くほど私自身の無様な姿を見せるだろう。
だが私は健康でぴんぴんしている。
だが彼は私にSOSを出している。
荒れる海にあって、どこかの船がSOSを出している場合、どんなリスクを侵しても私は自分の船の舳先をそちらに向けるだろう。
陸地だと違うのか。
……同じことじゃないのか。
「3月に入ってもう一度電話いただけますか。そのときまで、私のあなたに対する態度を決めておきます」
そう言ってその場をお開きにした。
一度会ってみようかとも思う。
そこで自分の無脳と能力のなさを思い知らされるのか、そうでない何かが生まれるのか。
それはさっぱりわからないことではあるが。
◉
ヘンリー・マンシーニ作曲の「酒と薔薇の日々」という歌をご存知の方もおられると思う。
20代のころ見た同名の映画で私はこの歌のおよそのメロディは覚えていた。
その歌がそらで唄えるようになったのは歌の好きだった兄が喉頭癌を患い、手術にかかる前に、もう声が出なくなるだろうとの思いで自分が好きだった歌10数曲をCDに吹き込んだ、その中の一曲だったからだ。
兄は酒が好きだった。
酒気を帯びて唄うその兄の唄う「酒と薔薇の日々」が妙に心に染み、自分も唄えるようになりたいと機会あるごとに歌い、覚えた。
下手の横好きで自分が覚えた歌の中でもっとも好きな歌かも知れない。
この「酒と薔薇の日々」という映画はアル中の映画である。
ジャックレモン扮するアル中のセールスマンと結婚した酒を飲んだこともない育ちのよい女性が、結婚生活を営むうちに酒を飲むようになり、二人してアル中にかかり人生を転落していくという筋立てだった。
転落しながら薔薇園を彷徨うふたりの姿が妙に美しい。
◉
昨日したためたトークには少なからぬ投稿をいただき、全部じっくりと読まさせてもらったが、酒にはひとそれぞれの思いがあるようだ。
そんな中、会員の中に長年アルコール依存症の治療に携わった方がおられ、内容を読むとその世界の深淵を覗き込んだかの印象が深い。
投稿の中にもあるアルコール依存症自助サークルというのは「酒と薔薇の日々」にも出て来るから依存症というものの歴史は長いのだろう。
会員の中にも依存症の方がおられるなら(半分冗談だが)読まれるといい。
どうやら映画のようには味わい深いものではないようだ。
◉
差出人 T.K.さん
題名 Kさんのこと アルコール依存症
藤原さま
昨日のトークの件でメールをしました。
私は精神保健福祉士という資格で、精神科病院に勤めています。
10年ほどアルコール依存症の専門病棟に勤務をしていました。
今は同じ医療法人のシステム部門に移り、電子カルテシステムの開発という全く臨床と離れた場におります。
アルコール依存症という病は不治の病です。
不治の病という意味は、酒を自らの意思でコントロールしながら適度な飲酒を続けられるような体には、一生戻らないと言うことです。
もし「自分はアル中だったが、今では上手くコントロールできる」という方がいらしたら、「その方はもともとアルコール依存症ではなかった」と、現代の医学界は回答するでしょう。
アルコール依存症からの回復とは、酒を上手に飲めるようになることではなく、酒を飲まない生活を死ぬまで続け、かつその人生を受け入れ楽しむことに他なりません。一生付き合わなくてならない、不治の病であることが大きなポイントです。
私の病院には、30年酒をやめ続けて「回復者」として人生を送ってきたにもかかわらず、何かのきっかけでいっぱいの酒に口をつけ、あっという間にぼろぼろになって再入院をしてきた方が何人もいました。
特別なことではないです。
アルコール依存症は酒に依存をしますが、本質は、「人間」や「関係」への依存です。
「関係」への依存は当然行き詰まります。
行き詰まった時の解決策として酒が使われているだけです。
誤った解決策なので繰り返します。
酒をやめても「関係」への依存から回復しない限り、他の何かに依存するか、また酒に戻るということになります。
回復の最初のステップはもちろん酒を断つことですが、依存の対象を安全で正しいものに変えていくことが次のステップです。
それが断酒会やAAと呼ばれる自助グループ(アルコール依存症からの回復者のグループ)です。
自助グループに依存することが、酒からの依存の第一歩です。
アルコール依存症者の「関係」へ依存するエネルギーは強大で、家族や会社は等に巻き込まれ、疲弊しています。
治療者も巻き込まれ、役には立ちません。
同じ病から立ち直っている回復者だけが彼らを回復の道に導けるというのが、現代のアルコール依存症治療の考え方です。
エリッククラプトンも重度のアルコール依存症者です。
彼も自助グループに通い続けて回復の道を長年歩いています。
日本にコンサートにやってきても、その夜は自助グループに参加しているそうです。
アルコール依存症にかかった人の平均死亡年齢は52歳と言われています。
10代後半から大量の酒を飲み始め、肝臓が耐えられなくなるのがそのくらいの年齢なのでしょう。
お酒に問題があったと言われる大物芸能人の死亡年齢もこの年齢の当たりに集中しています。
YやHなどはこの世界では有名な話しです。
Kさんはとてもまじめに、本当に酒をやめたいと思っているのでしょう。
今、一生懸命他に依存する何かを探しているのだと思います。
しかし、自助グループには依存したくないと思っているかもしれません。
なぜか?それは、「他の方法でやめられるのではないか?」つまり、「自分はまだアルコール依存症ではないのではないか?」という段階だからです。
アルコール依存症ではないと思っていると言うことは、「自分はお酒をコントロールできるはず」と思っていることに他なりません。
これを専門家は「否認」と言います。少しの間酒をやめても、また戻ってしまうのは、ここに落とし穴があるからです。
不治の病ですから、飲めるようにはなりません。
回復のための本当の最初のステップは「自分はアルコール依存症であり、アルコールに対しては無力である」ことを認めることです。
ここに落ちてくるまで(否認から抜け出すまで)、飲み続けるのです。
落ちる前に体が耐えきれなくなり、死んでしまうことも多いです。
アルコール依存症の回復率は、治療を始めた方の中で20%といわれています。
Kさんはいま、酒の代わりになるもの=他に依存するものを(無自覚に)必死に探しているのだと思います。
しかし、それは「また飲めるようになるために、今酒を止められる手立てを探している」ことに他ならないので、おそらく失敗してしまうでしょう。
藤原さんには釈迦に説法だとは思いますが、つい書いてしまいました。
◉
「酒と薔薇の日々」においても女房は旦那の依存症を治そうとし、その強大なエネルギーに巻き込まれ、いわゆるミーラ獲りがミーラになる。
T.K.さんの言によるとKさんは私に依存してきたということになる。
この底知れぬ奈落。
きりもみ状態で共に深みに落ち込むのか、あるいはその淵でとどまるのか、これが映画であればなかなかスリルに富んだシナリオあるわけだが、現実というものはそんなに甘くはないようである。
2013/02/12(Tue)
猫だけにしか心を通わすことができないという人生に追い込んだものは何か。
遠隔操作ウイルス事件。
片山祐輔容疑者(30)は無類の猫好きだったらしい。
この案件、Cat Walkと関係あるようなないような。
メンバーの皆さんの中には鼻をつまれる人も居るかもしれないが、私は彼をCat Walkのメンバーに入れてもよい、と思った。
いくつかの情報を繋ぎ合わせるに、小学時代から今まで彼は世間から疎外された人生を送って来たようだ。
そういった人間が何らかの事件を起す。
昔からよくあるパターンである。
江ノ島の猫につけた首輪に仕込んだそのチップの中にも自分の人生があることで大きく軌道修正されたという恨みのようなものが書かれているらしい。
そんな彼の人生とその風貌を窺いながら13年前のある日の夕刻、渋谷ハチ公前広場での胸の悪くなるような小さな出来事を思い出す。
私のそばにいる4人の女子高生が雑踏の向こうを指をさしながら笑いころげていた。
何事かと、その指さす方を見ると5、6メートル離れた雑踏の向こうに同じ年代と思える一人の私服の少年がいた。
私はてっきり、女子高生とその少年は知り合いだと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
指さされた少年は女子から干渉されたことに一旦ははにかんだ表情を見せるのだが、それはやがて青ざめた真顔へと変わる。
女子高生が口々に大きな声で仲間と顔を見合わせながら「キモーい!」と言ったのだ。
どうやら少年と女子高生は赤の他人のようだ。
少年は小太りでちょっとオタクっぽかったが、私には別段指をさされるほと変わった人間には見えなかった。
だがこういった年代には独特の嗅覚というものがあり、その嗅覚の投網に引っかかったということかも知れない。
少年は青ざめた表情で身を隠すように雑踏の向こうに消えた。
残酷な情景だった。
私は「てめえの方がキモいだろう、帰ってちゃんと鏡を見ろ!」と毒づいた。
女子高生は私に何かされると思ったのか、口々に奇声を上げながら交差点の向こうに走って行った。
◉
思うに逆算すると片山容疑者はあの八公前の少年とほぼ同じ年齢である。
30歳にしてすでに頭は薄く、その面がまえも中年のように見受けられる彼が、その30年の年月の中で(あの女子高生が見せたような)数々の残酷な排除の仕打ちを経験したであろうことは想像に難くない。
だから他人のパソコンから逮捕に至るような危険な暴言を世間に撒き散らしてもよいということにはならないのは自明だが、世間から排除されてきた彼には、その痛みをすくいとる何らかの装置があったなら少しは健全な精神を回復できたのではないかと思ったのだ。
彼がCat Walkのメンバーであったなら、と思った所以である。
野良猫に餌をやったりする行動、そして猫カフェで猫を抱く彼の表情を見るに、彼は基本的には優しい男なのだろうと思う。
話は飛ぶが、それにしても、ネットで人を殺せ、殺す、と書き込むと逮捕に至るわけだが、街頭でそのようなプラカードを持って練り歩くぶんには逮捕されないというこの差異は何か。
昨今多国籍化している新大久保で「在特会」なる集団が頻繁にデモを行い、「善い韓国人も 悪い韓国人も どちらも殺せ」「朝鮮人 首吊レ毒飲メ飛ビ降リロ」などと書いたプラカードを掲げてねり歩いている。
こういった基本的人権を抹殺するような言葉の暴走を見逃す公安とは何か。
普通ネットでの言葉より、現実空間における言葉の方がダイレクトに人を傷つけると思うのだが。
そして遠隔操作ウイルス事件とこの案件はまったく無縁とも言えない。
これほど毒のある言葉を編み出すということは「在特会」なる面々もまた、その過去の生活の中で”排除”された経験があるということは考えられることである。
人はされたことを仕返すものである。
2013/01/29(Tue)
騒動の影でなにか物騒なものを鼠が運んでいる。
嵐のごとくやって来て過ぎ去ったアルジェリア。
原発と同じようにのど元過ぎれば熱さ忘れる日本人の熱の急降下。
少しはおさらいくらいやったらどうかと思う。
私個人は国葬とまでは行かないが、遺体を空港で出迎える大臣ら一行の献花、そして総理以下閣僚の黙祷が大変気色が悪かった。
確かに日本人が10人死んだ事実は重い。
だがこの準国葬並みの”おもてなし”にはほとんど違和感がある。
そこには海外における資源調達の企業戦士は日本のために闘っており、その恩恵を私たちは受け……、つまりそこには殺害された人々は”国民生活の犠牲者”という暗黙の合意が見え隠れするからである。
だが日揮はあの彼らが関わったフィリピンの悪名高いエタノールプラント事業やわずか数千万円のプレハブを数億円もの血税をくすねて作った”お笑い”ムネオハウスと同じように企業として利潤を上げるために砂漠に行ったに過ぎない。
日本人の生活を支える役目を担っているということなら何もエネルギー資源を調達している企業に限った話しではなく、働く者すべてが日本と日本人を支えているのである。
日揮の顛末は自己責任に負うべきことであり、ことさら特化すべき事案ではないのだ。
かりにフリーの取材者がイラクで拘束され、殺された、あるいは拘束され開放された事件があった。
このCat Walkでインタビューした安田純平さんもその一人だ。
あの折の”自己責任”の大バッシングと今回の準国葬並みの日揮の扱いの異相も気色が悪い。
単身の取材者であれ、それは現地の貴重な情報を命がけで収集している、日本のみならず世界シーンで役立っている”労働者”なのだ。
起きたことの劇的な展開、あるいは人間の死にかまけて本質を置き忘れがちな昨今のマスコミは以上のことを銘記すべきだろう。
またそれ以上にこの劇的な展開の騒動のさなか、その騒動の陰に隠れるようにして日本人の今後の生活に大きく関わる問題が密かにねじ曲げられようとしていることに私たちは注視しなければならない。
例の「発送電分離」である。
電力会社は新政権に日参し、これを受け、アルジェリア騒動を利用して政府はいま「発送電分離」うやむやにしょうとしている。
私は最近新聞を読んでいないが、この件はきちんと報道されたのだろうか。
報道されていないとすれば、マスコミも無意識国民並みの熱に浮かされた無意識集団ということになる。
何か大きな事件で世間が沸き立てば、その騒動の陰で秘密裏に鼠が動き回るのは毎度のことなのだ。
今からでも遅くない。
ちゃんと報道しろ。
2013/01/21(Mon)
美しい国ニッポンの危機管理。
30代のころ長い外国生活で日本に帰って来て思うことは日本という国は内向きということだった。
島国で生の情報が直接飛び込んでこないということもあるだろうが、それが脆弱なものであろうと、自分の持っている基準というものが諸外国でも通用する普遍的なものだと思い込んでいるふしがある。
そのことが示すように私が常々思っていることは日本および日本人は自分を外側からの視点で眺めることが苦手だということだ。
たとえば今回のアルジェリアの人質事件関して、世間では人質が何人死んだ、武装グループが何人死んだ、というようなことばかりが報道されているが、それとは少し異なった視点から今回の事件を眺めてみる必要がある。
それは人質事件に際し、各国の首脳が出したコメントについてだ。
今回の事件に関してはフランス以外のさまざまな国の首相のコメントが紹介されているが、特にイギリスのキャメロン首相と日本の安部首相のコメントが繰り返し流され、目だった。
ご承知のように阿部首相は”絵に描いたように”終始「人命尊重」の一点張り。
しかし私は彼が繰り返す言葉になぜかリアリティを感じない。
人命尊重、そして人質が助かってほしいことは言わずもがな。
国民の誰もが願っていることである。
彼の言葉はその国民の総意を代弁し、大原則を繰り返しアナウンスしているに過ぎない。
それは彼の淡々とした表情とも相まってなぜか聞くごとに虚しい。
一国をあずかる首相であるからには、国民の総意や大原則をトレスするのではなく、もたらされた情報を駆使し、つまり現場の空気を察知し、一歩も二歩も踏み込んだもう少しリアリティのある、”発言”をすべきなのである。
その点においてイギリスのキャメロン首相のコメントは安部コメントとは対照的だった。
「我々は事態が深刻なものになることを覚悟しなければならない」
政府が収拾した現場の情報を元に口にする彼のコメントにはひしひしと現場の状況が伝わり、その厳しい表情とともにリアリティが伝わる。
そして国民にむかって”覚悟”をするように促す。
そして当然のことのように事態は彼がコメントする無残な方向へと動く。
この時点でまだ安部首相は”人命尊重”的発言を繰り返している。
私は彼の繰り返される人命尊重コメントを聞いて、彼が最初の首相の座に就いたときのキャッチフレーズ「美しい国ニッポン」を思い出す。
安部のコメントはどこまでも”美しい”のだ。
美しく、そしてリアリティが乏しい。
そしてこの外の空気に疎いリアリティのなさは日本そのものであるように感じる。
たとえばここで小さな実験をしてみよう。
キャメロン首相と安部首相のコメントを入れ替えてみる実験である。
キャメロン首相。
「我々は人命尊重を第一に考えている」
安部首相。
「我々は事態が深刻なものになることを覚悟しなければならない」
キャメロン首相がなんとのどかでノーテンキに見えることか。
そして美しい国ニッポンの安部さんにこのキャメロンの言葉ななんど似つかわしくないことか。
アルジェリア軍政権基準では、今回のような方法が取られることは大方の国が想像したはずであり、私もそのように思っていた。
だがこのキャメロンのように”危機を覚悟すべき”と言った国と、人命尊重をトッププライオリティとしてあげた国の今回の件に関するその後の危機管理はどうだったのか。
イギリスは大手石油企業BPと協議の末、すでに18日には3機の救援機チャーター便を現地に飛ばし、現地の外国人従業員ら数百人をアルジェリアから移送ししている。
そして国独自のチャーター機も飛ばし、ガスプラントのフィリピン人従業員34人を乗せて、ロンドンに向かわさせた。
さらには英外務省が自国民保護のための特殊チームを航空機でアルジェリアに派遣している。
当然のことながら危機管理に長けた米国もチャーター機を飛ばし、救出された米国人の移送のためにイナメナスの空港に向かった。
イギリスが今回の事件とは関わりのない地域のプラントで働く大量の現地従業員を退避させたのは、武装グループの計画が9・11のときのように連鎖計画であることを警戒してのことであることは明白だ。
ところがこの時点、つまり安部首相が”人命尊重念仏”を繰り返しているそれらの日々、日本はまったく”人命尊重”にむかって行動していない。
開放された日揮の社員は自分で帰国便の切符を買うために右往左往しているありさまなのである。
この好対照。
危機を口にする国が即座に危機管理に動き、人命尊重を繰り返す国の危機管理が機能しない。
政府は今日つまり事件がほぼ終息に向かっている21日になってすでにオペレーションを終えている各国の敏速な危機管理を見て(一説にはアメリカからの忠告を受けて)あわてて政府のチャーター機をアルジェリアに飛ばしている。
私には今回の政府の詰めの甘さ、リアリティの欠如、は民主党政権下における原発事故対応と二重写しに見えてしまう。
政権が変わろうと、それは平和ボケ島国における日本人から日本人の手に為政が受け渡されたに過ぎないのである。
2013/01/15(Tue)
体罰は犯罪か。
先日、門司港での同窓会の折、古沢先生がお亡くなりになったとの報に接した。
古沢先生は私が中学校三年の折の担任で職業担当の先生だった。
職業担当というと先生方の中ではマイナー立場で、そういったこともあるのか、男性だが非常に押し出しの弱い、どちらかと言うと慎ましい感じの先生だった。
しかし私はこの先生にビンタを食らったことがある。
中間テストの折に何のテストだったか忘れたが、生意気な私は机の上に教科書を堂々と出し、カンニングを行っていたのだ。
古沢先生が見回り、私のそばを通った時も私はそのままカンニングを続けた。
先生は私の横で立ち止まり「立て」と小さな声で言った。
立つとビンタが飛んで来た。
平手打ちである。
痛みよりもこの日頃は慎ましい先生がビンタを張ったことに驚くとともに小さなショックを覚えた。
古沢先生はビンタを張ったあとに私の目をじっと見つめていた。
その眼鏡の背後の目を見たとき、少し血の気の引くのを覚えた。
彼は涙ぐんでいたのだ。
その古沢先生の眼は言葉にならない多くのものを語っており、ワルだった中学生の私は言葉にならない何かを感じた。
以降、テストでカンニングをすることはなくなった。
このことが示すように私はあまり勉強の出来ない子だった。
というより勉強というものが嫌いだったのだ。
したがって高校受験の時も商業高校程度の私立(当時は私立は出来の悪い子が行く高校だった)にしか行けないと自他ともに思っており、私立に行くつもりで公立高校は一応形どおりに受けただけで、通るとは思っておらず、合格発表の時も見に行かなかった。
だがその合格発表の日の午後、私の家に電話が入った。
公立に合格したという知らせだった。
いったい誰が知らせて来たのと母に問うと、古沢先生だと言う。
彼は私のことを気にかけており、わざわざ合格発表を見に行ったらしいのだ。
たぶんおそらく私が知る限り、彼が生徒にビンタを張ったのは私だけで、ひょっとしたら彼はそのことをずっと負い目に感じていたのかも知れない。
半世紀後の同窓会でその古沢先生が亡くなったと聞いたのだ。
そして亡くなる前の先生のことを知っている同級生の口から聞いた言葉に私は胸の傷むのを感じた。
彼の家の本棚には私の出版した本がずらりと並んでいたというのである。
生前にお会いしておけば良かったと悔やんだ。
次の帰郷のおりには墓に花を手向けるつもりだ。
◉
大阪の高校で体育の教師が生徒を殴り、生徒が自殺したという報道で世間の論調が沸騰しているおり、私が思い出したのはその古沢先生のことだった。
あの古沢先生のビンタは温かかった。
優しかった。
そういった身体行為を”体罰”という言葉でひとくくりする世間の論調に危うさを感じる。
こういう身体の接触行為というものは百あれば、そこに百の個有の事情と差異がある。
大阪での事例はその一件がどのような状況でどう行われたのかという報道が一切ないのは報道の体を成していない。
個人的には何十発も殴るというのは、確かにこれは常軌を逸脱しているとは思う。
殴るのは一発、思いを込めたものでしかも平手であるべきであり、拳を握って殴るというのはこれも常軌を逸脱している。
いわゆる報道で判断のつくのはその程度のことであり、この一件があったから教師と生徒の身体接触のすべてが悪であるという一方的な世間論調は危い。
ある女性の教育評論家は”再犯率”という言葉を使っていた。
つまり”体罰”を行う教師は”再犯率”が高い、とまるで犯罪者扱いである。
この教育評論家の言に倣えば古沢先生は”犯罪”を犯したことになる。
その”犯罪”によってワルだった私は更生したことになる。
評論家はその矛盾をどのように穴埋めするのか。
2012/12/28(Fri)
言葉は風なり(Cat Walkより転載)。
選挙に関する投稿は適当な時期に締め切りにしょうと思っていたが、関連して次々に投稿が寄せられているうちに、他のテーマまで掘り起こされたり、小さな対論が立ち上がったりもした。
そのうちにまとめて私個人の意見も差し挟もうと思いながら、そのようなわけでなかなかタイミングが掴めず、加えて投稿を全部読んで消化し、取捨選択してまとめるのにいっぱいいっぱい、ということもあり(こんな時にノーテンキに歌は唄ったが)まだ私の意見は述べていない。
よく車座対論などで喧々諤々、口を挟もうにもなかなか出番が回って来ないというアレのようなものだ。
だがCat Walkはじまって以降、ゴミ問題に同じく百家争鳴。
これはなかなかの見ものである。
私は皆さんのご意見は掲載していない(あるいは掲載を不可)分を含めて全部プリントアウトし、バインダーで閉じ、一冊のノートのようにしているのだが、そのようにして通読してみると2012年暮れという時代の潮目における普通の市民の証言として大変貴重なものに思えて来た。
そんな中、投稿掲載2回目(19日)の、一回目の投稿を読み、それらの投稿が私の意見(トーク)に流された信者のように見え不気味だ、と投稿していた方がいらしたが、とてもとてもそんなものではなく、これほど個人の顔の見えるバライティに富んだ論調各論は、この”空気読み”で自分の意見を飲み込む風潮のある時代においてはむしろ珍しいのではないかとさえ思っている。
ちなみに通読してみると、その批評的投稿をなされていた方の書かれていた選挙に関する意見が(バランス感覚を重んじるあまり)いちばん自分を殺した無個性なものだったのは皮肉なものだと思う。
他者を批判するおりは、その批評に叶うだけの自分のしっかりした見解を構築しないとみっともないことになる、という見本のようなものだ。今一度ご自分の意見を読まれ、今後に生かしていただきたい(ごめんなさい。私ははっきりモノを言うたちなので)。
まあそんなことも含め、今回は大変面白い展開となったが、ひとつほほうと思ったのは、今回の選挙で落ち込んでた方がこの場で展開されたさまざまな意見を読むうちに癒され、力が湧いて来たというような投稿を読んだ折りだ。
この時代、とりわけ3、11以降、直近の選挙まで、この世の中を覆う閉塞状況に対する手っ取り早い答えというものはない。
だが、その閉塞の中においてさえ、個人としてのその思いを吐露する”言葉”が生きている、ということはまさに”生きている”ことの証であり、それは一つの風通しのよい穴であり、酸素不足の、そして線量に満ちた世の中の空気の浄化行為でもあるわけだ。
その意味において”言葉”とは場の空気に命を与える”風”のことなのだ。
さて、暮れも押し迫って、昨日は昨年の「書行無常展」に携わった10数名のスタッフに忘年会を兼ねて飲食を振る舞い、家の帰るのが朝方となったが、暮れはそれなりに忙しく、今回の投稿に関する私の意見は年末から正月開けのCat Walkの休み期間内にまとめてみようと思っている。
そして以下におそらく最終回となるだろう、投稿を掲載する。
投稿者内における対論に関してK.S.さんは「私は基本的にS.Sさんの意見に賛成です。」と書いているが、掲載不可で投稿された方の中には「S・Sさんの投稿に対するT・Aさんのコメントは、冷静かつ、的確であると感じました。」との意見もあることを付け加えておく。
「言葉は風」の思いを残して今年のトークの最終回とする。
みなさん、よいお年を。
2012/12/17(Mon)
あちら側の神経系とこちら側の神経系はどこかでぷっつりと切れているのかも知れない。
今年の夏前にいささかショックを覚える出来事があった。
6月のことだが、夏用のカーテンを作るために工務店の業者を呼んだ。
30代半ばの劇作家の三谷幸喜を小振りにしたような、感じのよい営業の青年がやって来た。
仕事もなかなか誠実で、持って来た資料の中に好みのデザインがないと言うと、わずかな賃金の工事のために暑い最中、大きな重い見本帳を何度も持って来てくれた。
そして二週間後に無事取り付けは完了した。
その日、お礼にと、近くのレストランで昼をごちそうし、四方山話をしたのだが、その折にふと原発のことに話を振ってみた。
「ところであなたのような勤め人は原発なんてどのように考えてるのだろうね」
青年は「えっ」と浮かぬ顔をした。
それからちょっと口ごもって言う。
「原発ってどうなってるんですか?」
「あれっ、知らないの?今福島の人が一つの市の人口の6万人くらい家や土地や仕事を失って全国に逃げているんだけど」
「へーっそんなことがあるんですか」
私は呆然とした。
あまりの無知に一瞬この青年はウソをついているのではなかと疑ったが、そのような青年ではない。
彼は中堅の大学も出て、都内各所に店舗を張る中堅どころの工務店の営業マンである。
頭も良いし、人間的にもすこぶる感じが良い。
それだけにこの”おそるべき”と言って差し支えない無知にはいささかショックを覚え、一瞬しばらく会話が途絶えた。
「あのう、たとえば君たち、お勤めをしている仲間で原発問題とかが話題になったりすることはないの?」
私は気を取り直してあたらな質問をした。
「えー、そういうのぜんぜんないですねぇ」
「ぜんぜんって、まったく話題にならないということ?」
「そうですね、これまで一度も話になったことはありませんね」
悪気もなく彼は淡々と答える。
「じゃどういう話をするの?」
「やっぱり仕事の話が多いですね。
あいつが大口の注文を取ったとか、
下請けはあそこがちゃんとした仕事をするとか、
だけどここ数年はどの会社もよくないですから、仕事の話をしていても暗くなることが多いですけど」
◉
その青年と別れてのちもいささかショックは長引いた。
そのショックとは、このような普通に常識的な会話の出来る青年が、人間の生き方の根幹にかかわる原発問題に関してまったく無関心だったということもあるが、それ以上に、そういう信じ難い人たちがこのような状況下の日常に暮らしてるということをまったく知らなかった私自身の無知にもいささかショックを受けていたのである。
思うにこの青年が置かれているポジションはおそらく企業国家日本という国の就労者におけるマジョリティ層を形成しているという見方が出来るだろう。
ということは日本で暮らすマジョリティを形成する人々は原発問題に無関心ということも出来る。
いやというより、何かを無意識に遮断しているのかも知れない。
意識的に、あるいは無意識に”耳を塞ごうとしている”のかも知れない。
「原発」その言葉は最終ステージの不治の癌のという言葉のように、もう”聞きたくもない”忌語であるのかも知れない。
そして何よりもこの青年とその仲間のたちにとって彼らの関心は「原発よりメシの種」なのである。
私はその青年に会って以降、原発問題はこの日本においては広がりを見せないだろうと感じていた。
なぜなら青年はマジョリティ層を確実に形成する一人であるからだ。
つまり今回の選挙の争点のトップが雇用や経済で、原発問題が下位に来ていることは普通のことであり、なんら不思議なことではないのである。
かりに山本太郎が杉並区の選挙に出て、28パーセントの得票があったとするなら、案外それは大出来で、件の青年ショックがいまだに気持ちの中にくすぶっている私としては原発問題を、そしてフクシマをわがことして考えているのは10人に1人、つまり10パーセントくらいではなかろうかと思う。
(日本の)世の中とはそういうもの、とたかをくくるつもりはない。
だが自分の隣に普通の生活を営んでいる人間の”神経系”というものは、あんがい神経系の異なる人々のそれとは繋がらず、ぷっつりとどこかで切れているのではないか、との思いを強くする、今回の選挙結果ではあった。
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