引き続き李栄薫著『大韓民国の物語』の紹介の続きです。
日本が朝鮮を支配した目的は,「永久併合」だった。日本人はしばらく朝鮮半島に暮らして,あとは引き上げようと思っていたわけではない。朝鮮の社会と経済を日本と同様に作り変えようとした。それで,日本は自国の法と制度と文化を朝鮮に移植した。
代表的なものが「朝鮮民事令」である。この,当時の日本の民法は,現在の韓国の民法として引き継がれている。近代的民法の核心原理は「私的自由の原則」である。
朝鮮民事令が導入されて最初に起こったことが「身分制の解体」であった。日本の支配により,それまでの両班−平民の身分制が崩れた。平民のあるものは両班を名乗り,それまでの両班階級を軽んじ,パンマル(ぞんざいな言葉)を使うようになった。日本は,それまで肉体労働をしなかった両班たちも容赦なく労働に動員した。
1920年代に入ると,「白丁(ペクチョン)」という被差別階級が解放運動を始める。日本は,白丁階級も平等に戸籍登録させた。これにより,白丁も「姓」をもつようになり,子供たちは学校に通えるようになった。これに抗議した両班のデモは,日本の警察により鎮圧された。
日本は自国の被差別問題をそう簡単には解決できなかったにもかかわらず,外国の差別解消は徹底的に行った。ただし,これは公的な領域における状況であり,差別の慣習は農村社会では1950年代まで残った。
もう一つの変化は近代的経済開発と成長だった。
最近の研究によれば,植民地期の経済成長は年率3・7%であり,世界的にも高かった。経済成長を日本の資本が主導し,その結果日本人と朝鮮人の所得格差が広がったのは事実だが,朝鮮人の所得も着実に増加し,生活水準は上がった。
この経済成長をもたらした最大の要因は「私有財産制度の確立」である。朝鮮時代の人々は「免許皆伝の吸血鬼」たる両班の恣の収奪に対して無防備であった。1912年に導入された朝鮮民事令は「所有権絶対の原則」と「契約自由の原則」をもたらした。朝鮮の人々は財産を国家に登記することにより,両班による収奪から守られるようになった。
1950年代まで残った農村社会に残っていた差別がなくなる契機として,本書後半では,解放後の「農地改革」が挙げられています。
奴婢身分は農地改革によって消えた。農地の分配を受けた奴婢は土地を売り払い,自分の素性が知られていない別の場所に移り住んだ。そこで新しく土地を購入し,独立した自営農として一生懸命働き,夢にまで見た一家を創立する。子供には教育を行い,小学校の教師にまでなった事例もある。四民平等の時代が訪れたのだ。
これについて,かつて読んだ本では,身分制度消滅の最も大きな契機は朝鮮戦争だった。全土を二度に渡ってローラーをかけるように戦線が移動した戦争は,全国民的な人々の移動を引き起し,それまでの「素姓」を消し去った…。
おそらく,戦争と農地改革の双方が相まって身分制度が消滅したのだと思います。
日本が朝鮮を支配した目的は,「永久併合」だった。日本人はしばらく朝鮮半島に暮らして,あとは引き上げようと思っていたわけではない。朝鮮の社会と経済を日本と同様に作り変えようとした。それで,日本は自国の法と制度と文化を朝鮮に移植した。
代表的なものが「朝鮮民事令」である。この,当時の日本の民法は,現在の韓国の民法として引き継がれている。近代的民法の核心原理は「私的自由の原則」である。
朝鮮民事令が導入されて最初に起こったことが「身分制の解体」であった。日本の支配により,それまでの両班−平民の身分制が崩れた。平民のあるものは両班を名乗り,それまでの両班階級を軽んじ,パンマル(ぞんざいな言葉)を使うようになった。日本は,それまで肉体労働をしなかった両班たちも容赦なく労働に動員した。
1920年代に入ると,「白丁(ペクチョン)」という被差別階級が解放運動を始める。日本は,白丁階級も平等に戸籍登録させた。これにより,白丁も「姓」をもつようになり,子供たちは学校に通えるようになった。これに抗議した両班のデモは,日本の警察により鎮圧された。
日本は自国の被差別問題をそう簡単には解決できなかったにもかかわらず,外国の差別解消は徹底的に行った。ただし,これは公的な領域における状況であり,差別の慣習は農村社会では1950年代まで残った。
もう一つの変化は近代的経済開発と成長だった。
最近の研究によれば,植民地期の経済成長は年率3・7%であり,世界的にも高かった。経済成長を日本の資本が主導し,その結果日本人と朝鮮人の所得格差が広がったのは事実だが,朝鮮人の所得も着実に増加し,生活水準は上がった。
この経済成長をもたらした最大の要因は「私有財産制度の確立」である。朝鮮時代の人々は「免許皆伝の吸血鬼」たる両班の恣の収奪に対して無防備であった。1912年に導入された朝鮮民事令は「所有権絶対の原則」と「契約自由の原則」をもたらした。朝鮮の人々は財産を国家に登記することにより,両班による収奪から守られるようになった。
1950年代まで残った農村社会に残っていた差別がなくなる契機として,本書後半では,解放後の「農地改革」が挙げられています。
奴婢身分は農地改革によって消えた。農地の分配を受けた奴婢は土地を売り払い,自分の素性が知られていない別の場所に移り住んだ。そこで新しく土地を購入し,独立した自営農として一生懸命働き,夢にまで見た一家を創立する。子供には教育を行い,小学校の教師にまでなった事例もある。四民平等の時代が訪れたのだ。
これについて,かつて読んだ本では,身分制度消滅の最も大きな契機は朝鮮戦争だった。全土を二度に渡ってローラーをかけるように戦線が移動した戦争は,全国民的な人々の移動を引き起し,それまでの「素姓」を消し去った…。
おそらく,戦争と農地改革の双方が相まって身分制度が消滅したのだと思います。
一人娘であったため”花よ蝶よ”と育てられ、戦前の学習院で勉強をしたそうです。
90歳近い年齢ながら記憶は確かで、お聞きしたいことが沢山あったのに残念です。
曾孫の意見としては「曽祖父は国のためにしたことと思います。でも、あの後に爵位を受けるべきではありません。」
気の毒なことです。