本田以外は世界から遠ざかった

金子 達仁 | スポーツライター/FC琉球スーパーバイザー

たった1人の男が、すべてを変えた。救った。積み上げてきたものすべてが木っ端微塵(こっぱみじん)になりそうな危機を、歓喜の宴(うたげ)へと転生させてみせた。

多くの日本人が、いまもジョホールバルにおける岡野のVゴールを忘れずにいるように、この国のサッカーが続く限り、本田のPKを語り継いでいくことだろう。助走を前にした2度の深呼吸と、意を決して放たれたど真ん中へのインステップキックを。

破滅の波は、ほぼ完全に日本を呑(の)み込もうとしていた。後半、香川を左サイドに張り出させたことで日本はリズムをつかみつつあった。ベンチが右サイドからもチャンスをつくりたいと考えたのは当然のことだ。一見、ギョッとさせられた前田から栗原への交代は、おそらく、3バックにして内田を攻撃に参加させるためのものだったのだろう。だが、超満員のスタンドを絶句させたオアーの得点は、まさにベンチが手を加えた右サイドから生まれた。生まれてしまった。

ザッケローニ体制になって以来、これほどまでにわかりやすい“裏目”はなかった。そこからの選手交代は、ほとんど支離滅裂にさえ見えた。少なくとも、選手たちはベンチの狼狽(ろうばい)を痛いほどに感じていたはずである。

あのまま終わっていれば、監督に対する信頼は大きく、とんでもなく大きく揺らいでしまうところだった。試合終了後に待っていたのは胴上げではなく、スタンドからの罵声と選手からの冷たい視線になっている可能性が大だった。

本田が、すべてを救ったのだ。

あのPKを蹴ったことで、決めたことで、彼はまたひとつの大きな階段を上った。あの緊張にまさる場面は、たとえW杯本大会になろうともそうはない。世界で戦う上で間違いなく糧となるものを、この日の本田は手に入れた。

だが……目標を世界の頂点に置くのであれば、そこでも通用するものを手にしたのは本田だけだった。

先制点こそ幸運な形から生まれたが、この日、オーストラリアは日本に負けないぐらいの決定機をつくった。1年前に戦った時より、両者の力関係ははるかに拮抗(きっこう)していた。

日本が弱くなったのか。それともオーストラリアが強くなったのか。先発の平均年齢が30歳を超えるオージーが、奇跡的な成長を遂げたというのか。

選手たちは、どう考えるのだろう。

本田のPKはあまりにも劇的だった。終了の笛とともに込み上げてきた安堵(あんど)感には途方もないものがあった。目標がW杯出場にあるのであれば、いつまでも浸っていていい。岡野のVゴールを見た日本人が、その後数カ月間そうしていたように――。

W杯出場を勝ち取った選手たちには、心から祝福の言葉を贈りたい。ただ、世界の頂点からはいささか、いや、ずいぶんと遠ざかった感がある。だからなのだろう。いまのわたしには、安堵感はあっても、高揚感がほとんどないのだ。

(2013年6月5日付「スポーツニッポン」に掲載)

金子 達仁

スポーツライター/FC琉球スーパーバイザー

1966年1月生まれ。神奈川県横浜市出身。法政大学社会学部を卒業後、日本スポーツ企画出版社編集部勤務を経て、95年にフリーに。現在はノンフィクション作家、ラジオパーソナリティ、サッカー解説、FC琉球スーパーバイザーなど多方面で活動している。趣味は自動車、日本酒、阪神、ヘビーメタル、漫画、麻雀、旅行、料理、育児、読書など幅広い。主な著書は「決戦前夜」、「28年目のハーフタイム」、「秋天の陽炎」、「泣き虫」など。

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