幼いころから本に親しむ、文章を読むことがごく自然にできる環境に育ちました。
母方の祖父は幼稚園時代の僕を、よく自分の家に連れて帰り、紙芝居を買って読んでくれた。「みにくいアヒルの子」。自分で読みたくなり、僕が読むとおじいちゃんとおばあちゃんは「修は賢い。すごい」と大喜び。僕も褒められるとうれしくて、何度も読む。すぐに暗記しました。
ほかにもいっぱい紙芝居を買ってもらった。覚えるのも早くなって、まるで紙芝居屋。このとき、僕の日本語力の基礎ができた気がします。
父方の祖父の家には歴史画や絵巻、画集などすごい数の本があり、それを見るのが楽しくて。おじいちゃんはたくさん歴史の話をしてくれた。
◆父の影響で文学
僕は父が二十九歳、母が二十五歳のときに生まれた。父は会社員、母は四歳年下の妹の世話で大変。でも、おじいちゃん、おばあちゃんはいろんな面で余裕がある。子育てでの協力は大切だと思う。
両親は「人に迷惑をかけるな」ということ以外、進路や生き方に何も言いませんでした。ただ、本をたくさん買ってくれた。何十回と繰り返し読んだ。読み過ぎで小学二年のときにはクラスでただ一人、眼鏡をはめていました。
中学になると文学に傾倒していったのは父の影響。父はロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」が好きで、家には国内外の古典がたくさんあった。すべて読みました。
◆母に助けられて
大学卒業後、就職した日本長期信用銀行(当時)を半年でやめた後は、ギャンブルや株で大損したり、会社をつくって失敗したり。母には適当なことを言ってお金を無心しましたが、何も言わず貸してくれた。食いつなぐため、数年後に予備校講師になり、借金は全部返しましたが、母は「うそは全部分かっていた」と。このときの失敗や経験は、今の大きな糧になっています。
数年前、授業のスタイルを「分かりやすい」だけではなく、生徒自身が「勉強したい」と思わせるように変えた。きっかけが高校時代、父にもらった小冊子。父の会社で全社員に配られたもので、古代ギリシャの政治家デモステネスが、演説で聴衆を行動に導いた逸話が載っていました。父は会社のことをよく語る人で、その冊子がくしゃくしゃになって部屋の片隅から出てきた。「これだ」と思いました。
「いつやるか? 今でしょ!」のフレーズは、四年前の授業で一度だけ使った。それが偶然、CMに使われた。両親は「良い言葉」と言っていますが、産婦人科医の妻(36)からは「売れない芸人の一発芸みたいに、あんまり浮かれないように」と言われています。
思考の基礎は言語力。その言葉の力で今、飯を食っている。ぼくの紙芝居を喜んで聞いてくれるおじいちゃんとおばあちゃんがいなかったら、現代文講師の林修はいなかったかもしれない。もし子どもができたら、両親には全面協力してもらうつもりです。
(聞き手・山本真嗣、写真・川上智世)
<林修(はやし・おさむ)>1965年、名古屋市生まれ。大手予備校「東進ハイスクール」現代文講師。東海中、東海高校、東京大法学部を卒業。予備校や車のCMが話題となり、テレビ番組でも活躍している。父方の祖父は、大和絵などで知られる画家、故・林雲鳳氏。
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