どうして息子が命を奪われなければならないのか。

三浦由美子さん(広島市安佐南区)

 「帰りが少し遅くなるから」。息子の伊織からメールがあったのは、2011年5月2日の夜8時ごろでした。高校2年だった伊織は自転車競技部に所属。4月の県大会は団体戦で2位の好成績を挙げ、ますます熱心に練習するようになっていました。その日も翌日からの合宿に備え、競技仲間がいる別の高校を訪問していたのでした。
 仕事から帰ったばかりの私は疲れから、うとうとしながら、伊織の帰りを待っていました。リビングの電話が鳴ったのはその時です。警察からでした。電話口で告げられたのは、とても信じられない内容でした。そう遠くない県道で自転車と軽乗用車が衝突したこと。自転車に乗っていた若者が全身を骨折し、心肺停止となり、ICUに運ばれたこと。そして自転車の登録番号が伊織のものであること。
 一体、何が起きたのか、何をすれば良いのか。まったくわかりませんでした。娘に言って、何度も何度も伊織の携帯電話に連絡させました。まったくつながりませんでした。涙が頬を流れてくるのを感じました。娘はぶるぶる震えています。病院に向かう車の中で、主人は部活顧問の先生に電話しようとしたのですが、何度やってもうまくボタンが押せません。皆が激しく動揺していました。
 伊織に会えたのは、夜中の3時を過ぎてからでした。伊織は顔を包帯に包まれ、ベッドに横たわっていました。包帯の間から覗く皮膚は腫れ上がり、両足の太ももは逆方向に曲がっていました。どう声を掛けていいのか、私は言葉が見つかりませんでした。目の前にいるのが果たして本人なのか、どうも確信が持てなかったのです。でも、親指の爪に付いていた歯の跡を見た時、「ああ、やはり伊織なんだ」と思いました。時々、爪をかむのが癖だったからです。
 事故の詳しい状況はなかなか、わかりませんでした。不可解だったのは、軽乗用車と正面衝突したという事実。急な飛び出しでもしなければ、正面衝突することはあり得ない。車との間隔に余裕があったら、避けられるはずですから。もしかしたら、息子の方に過失があるのでは、と最初のうちは不安に思っていました。
 しかし通夜の日になって、事故に飲酒運転の疑いがあると報道で知りました。
 やがて少しずつ全容が見えてきました。
 あの夜、泥酔状態のドライバーの運転する車が中央線を大きく乗り越え、対向車線を走っていた伊織の目の前にいきなり現れ、はねたのが真相でした。伊織は車のフロントガラスに頭を突き入れ、ボンネットに乗った状態になり、車はそのまま100メートルも走り続けたそうです。そして対向車を避けた拍子に体は歩道に投げ出され、車は蛇行し 50メートルほど先でやっと止まったということでした。
 ドライバーはこの日、知人と店で飲酒した後に運転。ひどく酔っていて、事故を起こした直後も、駆け付けてきた人々に暴言を吐くなど、手の付けられない状態だったと言います。「まるで鬼のような形相だった」。現場にいた人から、後からそう聞きました。
 供述調書を読み、事実が明らかになると、怒りと無念さで心が張り裂けそうになりました。「どうして私の息子が命を奪われなければならないのか」。「飲酒運転への社会の目は厳しくなっているのに、どうしてなくならないのか」。伊織の死をきっかけに、飲酒運転をわが身の問題として捉え、悲劇を防ぐよう、自分たちの力で何ができるかを考えるようになりました。事故から4カ月が過ぎるころには、飲酒運転撲滅を呼び掛けるステッカーを配布するといった活動を始めました。私と同じように飲酒運転で子どもを亡くした福岡市や出雲市の母親とも知り合い、運動の輪を広げていきました。
 アルコール依存症との関連も指摘される飲酒運転は常習性が強いのが特徴です。ことしの5月には、飲酒者自身の自覚だけでは防げないことから、撲滅のための条例づくりを求める要望書も広島県に提出しました。ここ最近では、伊織の通った高校の生徒さんや保護者の皆さん、先生方たちと「生命(いのち)のメッセージ展」を開催。交通事故や犯罪などで命を奪われた全国約150人のオブジェを展示しました。伊織のパネルのそばには、事故の衝撃で前輪が曲がった愛用の自転車も置き、飲酒運転の危険を訴えました。
 進学して、成人して、結婚して、子どもができて・・・。そんな将来や命のつながりを伊織は失ってしまいました。それが何より悲しい。飲酒運転が厳罰化され何年もたつのに、悲惨な事故は今も後を絶ちません。広島県でも飲酒運転事故数と死亡者数が昨年を上回ったと聞き、あらためて憤りを感じます。もうこれ以上、誰一人として被害者にも加害者にもなってほしくない。今はそうした思いでいっぱいです。

事故の衝撃でねじ曲がった伊織さんの自転車

広島市安佐南区の飲酒運転死亡事故(2011年5月2日)

 2011年5月2日午後9時35分ごろ、安佐南区大町西3丁目の県道で、トラック運転手の男が酒を飲んで軽乗用車を運転し、自転車で帰宅中だった同区の崇徳高2年三浦伊織さん=当時(16)=をはね、死亡させた。中国地方の裁判員裁判で初めて危険運転致死罪が適用され、懲役10年とした広島地裁判決が確定。男には飲酒運転の常習性が認められた。

遺族の願い

2012年12月3日付朝刊でメッセージを伝えた由美子さんに、プロジェクトへの感想や要望、飲酒運転根絶への思いについて聞いた。

命の重み 伝えたい

 伊織を失って1年半。機会のあるたびに、飲酒運転の根絶を訴えてきましたが、事故件数は昨年を上回って増え続けていると聞き、無力感を覚えていました。
 そんな時に、このプロジェクトが立ち上がり、声を掛けていただきました。飲酒運転をゼロにしようとの趣旨に対してたくさんの方々に賛同いただき、多くの企業や団体が協力してくださいました。感謝の思いに堪えません。
 新聞紙面に手記が載った反響は思った以上に大きかったです。知人や友人からも連絡をいただきました。新聞だけでなく、チラシやポスター、さらにはイベントを通じてもメッセージが伝えられ、これまで関心のなかった人にも思いが届いたのが何よりうれしく思います。特にフェイスブックには多くの方々からのコメントをいただき、胸が熱くなりました。飲酒運転をわが身の問題として考えていただける機会になった点がこのプロジェクトの大きな成果ではないでしょうか。
 私たち家族にとって、一番悲しいのは、無関心です。「お酒を飲まないから、車を運転しないから、関係ない」と言う人がいます。しかし、伊織がそうだったように、いつ誰が飲酒運転事故に巻き込まれても不思議はありません。
 今でも伊織のことを思うと、胸が締め付けられ、何をする気力もなくなってしまいます。私と同様に飲酒運転事故に遭い子どもを亡くした島根の母親は、朝に目が覚めると「今日も生きなければならないのか」と思ってしまうことがあるそうです。私たちの悲しみや苦しみは尽きることはないでしょう。「もし、大切な人が犠牲になったとしたら…」。そう考えると、飲酒運転は決して他人事ではないはずです。
 アルコール依存症との関連が指摘される飲酒運転は、運転者本人の自覚だけでは根絶は不可能です。家族ぐるみ、地域ぐるみでどうブロックするか。みんなの力が必要なのです。
 2007年に法律が厳しくなってからは、確かに飲酒運転事故は減りました。全国的にみても広島県の事故件数は多くはありません。ですが、ただ数が少なければ、良いのでしょうか。一人の命の重さを考えるなら、飲酒運転をめぐる事故も犠牲者もゼロでなくては意味がありません。
 飲酒運転の被害にあってから対処しても、失われた命は戻ってきません。抑止効果を高める意味で、飲酒運転撲滅条例の制定はとても重要だと考えています。広島県が飲酒運転根絶を全国に先駆けて実現した都市になれば、本当に素晴らしい。そのためにも、今回のプロジェクトはこれからも継続してほしいと願っています。