メカAG shanghai_iiは片瀬久美子の旦那らしい。本人も公表している。 http://twitter.com/kumikokatase/status/242580745812582402 | 上海IIさんと私は夫婦であることが知られておりで、二人とも放射線に関する発言をtwitterでしている。集団線量についての片瀬久美子の考え方を分析する意味でshanghai_iiの考え方について見てみたい。 * * * 「 LNT は ALARA と組み合わせないといけない」という主張は、「低線量分は被害推計には考えるべきではない」、という主張とセット マキノさんによる解説 - Togetter http://togetter.com/li/512438 | ALARAとセットというのは、LNTだけでは優先順位が決まらないことに拠っている。 | 例えば100mSv被曝予想の100人と、0.1mSv被曝予想の100万人。LNTだけじゃ、後者の方が優先順位が上になりかねない。住人が100人の100ミリシーベルトの村と、住人が100万人の0.1ミリシーベルトの都市を想定しているようだ。集団線量は前者が10人・シーベルト、後者が100人・シーベルトとなる。つまり都市の方の対策の方が深刻ということになる。自然放射線の年間被曝量が1ミリシーベルト程度だから、実際には都市の方には影響はでないだろう。しかし単純にLNT説にもとづいて集団線量を計算すると、都市の方が深刻だということになる。言いたいことはわかるが、それは集団線量を算出した後に、他のさまざまな要因を考慮して「政治的に」判断すべきこと。集団線量も個人の被曝量も政治的判断を行うための要素の一つに過ぎない。shanghai_iiのいう「ALARAとセット」というのも同じ事のなのだろうか。それなら別に異論はない。さまざまな要因のうち集団線量も一つの要素として考慮しつつ、ALARAで判断しましょう、というのであれば。 * * *ただ「LNTとALARAをセット」というのが、どうも集団線量(特に低線量における)の否定に聞こえてしまう。ALARAにもとづけば0.1ミリシーベルトの人口100万人の都市を優先させるという答えにはならないはずと暗に言ってるのではないか。「いや、そういう答えもありだ」というならいいんだが。0.1ミリシーベルトの都市は優先すべきではないというなら、やっぱどう取り繕ってもその主張は閾値説だよね…。低線量ならLNT説が算出する値よりもリスクは小さいはずだということなのだから。 * * *低線量域でも集団線量を考慮しつつ他の要素も考慮するというなら、異論はないのだが、そもそも低線量域では集団線量は意味がないから、考慮すべきではないというなら、それは違う。たとえばもっと微妙なケース。100ミリシーベルトの100人の村と、50ミリシーベルトの100万にの都市。100万人の都市は放置していいのだろうか。この時100人の避難ならすぐに済むから、その後100万人の避難をすればいいという考えは、この問題の本質ではないはず。同じ手間がかかると想定して考えるべき。そうでないと問題の本質を見誤る。たとえば救援隊を村に向かわせるにも都市に向かわせるにも、到着まで1年ぐらいかかり、どっちに向けて出発させるかという状況を想定すべきだろう。そういう場合やっぱ集団線量の値は、判断に対して結構なウェイトを占めると思うけどね。 * * *過去何度か繰り返しているが、閾値説派の主張は肝心の閾値をどこに設定するかの意見の一致が閾値派の中でも確率できていないこと。50ミリシーベルトなのか100ミリシーベルトなのか、あるいはもっと別な値なのか。LNT説は不正確だというけれど、では実際にシビアな判断をしなければならない時に、どの閾値を使うのだろうか。どういう根拠で決めるのだろうか。「LNT説は不正確」という主張は、正しいかもしれないが、役に立たない。「じゃあなにを拠り所に判断するんですか?」と。「LNT説とALARAはセットで使え」というのは、実際にはなにも言ってないに等しい。