帝國召喚 ジャンク編1「転移男」06


 稲葉です……
 何か留置場はとっても寒いです……そういえば今、真冬なんですよね……

 稲葉です……
 留置場唯一の防寒具であるこの毛布、なんだかとっても臭いです……一体最後に洗ったのは何時なんでしょう……

 稲葉です……
 寒くて臭い留置場ですが、取調べでの怖い思いを考えれば何だか天国の様に思えてきました……泣いてもいいですか?

 稲葉です……
 俺、これから一体どうなるとですか?

 稲葉です……稲葉……稲…………ハッ! 俺は一体何をっ!?

 警察署の一画に設けられた、暗くてじめじめした留置場(おまけに臭くて寒い)――その一室に稲葉はいた。
 部屋の隅に蹲り虚ろな目で何やらブツブツと独り言を呟いていた稲葉だったが、突然我に返り、そんな自分に愕然とする。

 くっ……留置場の隅に体育座りした挙句、ヒロシってたとは……稲葉昌由、一世一代の不覚っ!
 ……しかし、かなり精神的にヤバいんだなあ、俺。

 取調べはとても辛かった、怖かった。
 丸一日にも及ぶ取調べ――あくまで稲葉の主観で事実とは異なる――を受け、精神的にも肉体的にも疲労困憊である。
 アレはもはや精神的な拷問である。ぶっちゃけ、あれではやっていなくても『やりました』と言ってしまうだろう。

「自白偏重カッコ悪い。だから色々批判されるんだよ、痴漢の取調べなんか先進国ってレベルじゃねーぞ!?」

 ……何故かこっちの帝國警察と現代日本警察をごちゃまぜにして、ひとしきり警察批判をする稲葉。
 が、直ぐに現実に戻り、大きな溜息を吐く。

「問題は、ロンさん達だよなあ……」

 自分はまあいい……いや、よくはないがまあこの際置いておくとして、問題はロンさんとシャオちゃんだ。
 身内から犯罪者が出たのだ、さぞかし肩身の狭い思いをしているに違いない。近所付き合いの深いこの世界だ、商売にだって影響が出るだろう。
 ……そして何より、下手したら『永住資格剥奪』である。

 この世界で本国人――転移前から帝國人だった人々とその子孫――以外の人間が帝國本土に住むのは難しい。
 何せ、外地人の一人当たりGDPは内地人(本国人)の1/15〜20程度という恐ろしい程の経済格差なのだ。そしてこれすらも豊かな旧列強諸国を合わせた平均であり、旧列強諸国や一部の比較的豊かな国々を除外すれば『1/20や1/30は当たり前、下になると1/50や1/100も珍しくない』というビックカメラな世界である。厳しくしなければたちまち本国は人で溢れかえってしまうだろう。幾ら国際化されたとはいえ、元々が閉鎖的な帝國人である、そんなことになれば排斥に走るのは目に見えていた。

 故に、帝國は外地人の本国入国を厳しく制限している。本国居住どころか本国入国すら至難の業で、少なくとも外地の一般人が訪れるのは不可能に近い。許可されるのは、基本的に貴族や富裕層、或いは国費留学生といった『選ばれた者達』のみだ。まあダークエルフについては名誉本国人扱いで、殆どフリーパスなのだが……
(とはいえ本土と準本土たる神州島には、観光目的の滞在も含めれば常時1000万人を越える非本国人が存在している。 ……ちなみに帝國の総人口は32億人、うち本国人は本土に1億2000万人、神州島に6000万人、外地に2000万人の計2億人である。これらの事実を考えれば、稲葉が元いた世界の日本以上の“国際化”振りであろう)

 帝國本国入国資格には以下のランクがある。

 『観光許可』甲乙があり、甲は30日以内、乙は1週間以内の本国滞在を許可。観光用だが出張の際にも用いられる。
 『短期滞在許可』90日未満の本国滞在を許可。短期の留学・ビジネス用。
 『中期滞在許可』90日以上の本国滞在を許可。留学・ビジネス用。
 『長期滞在許可』許可された個人のみ、本国に居住することが出来る。就学・就職も可。
 『永住許可』許可された個人とその配偶者・子孫は、本国に居住することが出来る。就学・就職も可。

 このうちロンさん達が持っているのが永住許可(資格)である。まあ元の世界の永住資格みたいなものだが、その内容はずっと厳しい。
 例えば、毎年近況報告や全指の指紋押捺をしなければならないし、実刑判決を受ければ資格を取り消され、追放されてしまう。
 ……そんな訳で、今回の件で『永住資格が剥奪されたら』と気が気でないのだ。

「なんとしてでも、それだけは避けないと……」

 このままでは恩を仇で返してしまう、と稲葉は一人悶々としていた。
 ……そんな時、突然鉄格子が開けられた。
 そして警察官が顔を出し、稲葉に『出て来い』と促す。

「面会だ」

 面会? ロンさん? シャオちゃん? ……もしかして、両方?
 嬉しくない、と言えば嘘になるが、恐怖もまた大きい。
 ……だって、『恩知らず!』なんて怒鳴られたり、泣かれたりしたら日にはもう立ち直れないから。

 稲葉は期待と恐怖半々で、2名の警察官に前後を挟まれつつ、ノロノロと面会場所へと向かった。





――――その少し前、某所。

「おや? こんな夜遅くに如何したのだね?」

 自分を呼び止める声にシャオが振り向くと、初老の男性が立っていた。

「あ、宮下さん。こんばんは……」

 シャオはぺこりと挨拶をする。
 宮下は一週間程前にこの町……というか近所に引っ越してきた人で、毎日の様に“まんぷく”で食事してくれる常連なのだ。

「こんばんは。早く家にお帰り、警官に見つかったら大変だよ?」

 軽く眉を顰める宮下。
 まあこんな遅くに女の子が一人歩きしているのだから、当然の反応だろう。
 が――

「宮下さんは、うちに警察が来ていること知らないのですか?」

 シャオは不思議そうに尋ねた。
 近所なのだから、あの騒ぎを知らないはずがない。

「警察!? ……一体、何があったのだね?」

 が、どうやら宮下には初耳の様だった。

 なんでも、今日は朝早くから出かけていたそうで、今まで都心にいたらしい。
 ……どうりで今日は“まんぷく”に顔を出さなかった筈である。

 シャオが事情を説明すると、宮下は軽く溜息を吐いた。

「……それは気の毒に。何の理由で捕まったかは知らないが、稲葉くんは警察の世話になるような若者には見えなかったがなあ」

 いや、もしかしたら食い逃げあたりなら有り得るかもしれないが、とてもそんな警察が大捕物に出張る様な事件をしでかすとは思えない。
 宮下はそういった本音を微妙に暈し、感想を述べる。

「で、ですよね! 稲葉さんにそんな度胸がある筈無いですよねっ!!」

 我が意を得たり、といった感じで勢いづくシャオ。
 宮下も幾分引き気味だ。

「……ま、まあ度胸があるかどうかは知らないが――
 兎に角、彼は警察が大騒ぎする様な事件を起こす人間じゃあない。私が保証しよう」

 私は何人も犯罪者を見てきてるからね、と宮下。

「宮下さんは警察官だったのですか!?」

 思わず一歩後ずさってしまうシャオ。
 尻尾が警戒のためピンと張る。

 ――こう感情をストレートに表す尻尾を見ると、獣人達が一時期『断尾』に走った理由も納得出来るな。

 宮下は苦笑する。

 帝國が転移して十年程経った頃、突然獣人達の間に『子供の断尾を行う』という奇妙な現象が発生した。
 何でも、『感情を余りにストレートに表す尻尾は、文明社会で暮らす上では不都合でしかない』との噂が獣人達の間に広まり、『文明社会に適応するためには断尾せねばならぬ』とばかりに一斉に断尾に走ったのだそうだ。
(尻尾はバランスをとる為にも重要なので、大人はもう無理だから子供達に――という訳だ)

 児童保護と獣人の能力減退を危惧した帝國政府が『断尾禁止令』まで発令したことも考えれば、この現象はどれほど広範囲で行われていたかがわかるだろう。
 ……尤も、この現象は一過性のもので、数年で収まったらしいが。

「いや、弁護士だよ」

 警戒を解く為に、宮下は誤解を訂正してやる。

「べ、弁護士さんですか!」

 地獄に仏、とばかりにシャオは表情を明るくする。
 勿論、尻尾は大振りである。

「ああ、だから力になれるかもしれない」

「……でも、お金が……」

 シャオはそう言って俯いた。
 大振りだった尻尾も垂れ下がる。

 ……稲葉の元いた世界だろうがこっちの世界だろうが、結局はこの問題に行き着く。
 つまり、『金がなければ何もできない』のである。

「ああ、金の心配はいらないよ。私はもうリタイアじた人間でね、もう働いてはいないのさ」

 仕事じゃないから金はいらないよ、と宮下は言う。

「でも……」

「それに正直な話、“まんぷく”が閉鎖されたままでは私の食事はどうなるのだね?」

「はい?」

 思いがけない言葉にシャオは目を丸くする。
 が、宮下は大真面目だった。

「私は独り身だが、炊事など出来ん。食器を洗うのも面倒臭いから使い捨ての紙コップを使ってる位だ。
 が、出来合いは冷めてて不味いから問題外だし、他の食い物屋(蕎麦屋等)は品数が少なくて偶になら良いがとても常食には出来ん。
 ああ、ちなみに私は干魚を焼いたヤツが大好きなのだが、それはこの辺りではここでしか喰えんのだよ。他はどこも生魚を焼いててね。
 ……わかるかね? これは私にとっては死活問題なのだ」

「はあ……」

 そういえば、宮下の注文するメニューはいつも干魚の定食セットに他のおかずを1〜2品追加したものだ。
 いくら毎日魚の種類が変わるとはいえ、大体似たような種類である。よく飽きないものだと思っていたが……
(魚くらい自分で焼けばいいのに、とも思うが、コップを洗うのすら面倒臭がる様な人には無理な相談なのだろう)

「だから、私に任せたまえ」

「お、お願いします」

 シャオは決断し、頭を下げた。
 冷静に考えれば、家に弁護士を雇う様な金は無いし、ましてや弁護士の知り合いなんていない。
 ……なら、宮下に頼むしかないだろう。幸い宮下はご近所だし店の常連――だからこそ引き受けてくれたのだろうが――でもある。

 家計を預かる彼女は、ロン以上に家の経済状態を熟知していたのだ。

「あ、あの、お礼は出来る限り――」

「何、私はロンさんやシャオちゃんに雇われる訳じゃあない。稲葉くんに雇われるのさ」

 無論、彼が承諾すればの話だがね、と笑う。

「だから、貰うとすれば彼から貰うのが筋だな」

「……でも、稲葉さんはおけらです」

 稲葉は拾われた当時無一文だったそうで、全財産は給料の一部として前払いされた100圓だけの筈だ。
 その100圓も、何時の間にか稲葉の部屋に漫画本が積まれていたことから考えて、一体どれだけ残っていることやら……

「……ま、期待はしないさ。会えるかどうかわからないが、とりあえず稲葉くんの所に行ってみる」

「わ、私も行きます!」

「子供が行く所じゃあないよ。後は大人に任せなさい」

 そう言うとむくれるシャオを残し、宮下は警察署へと向かった。





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