帝國召喚 ジャンク編1「転移男」03


 さて、この世界に来て早10日。ようやくこの世界のことが朧げながらもわかってきた。
 ……遅いって言わないでくれよ? こっちだってこの世界に適応するので必死なんだからさあ。

 ま、結論から言っちまえば、ここは『平行世界の日本』だった。
 どうやらこの世界の日本は、幸か不幸か太平洋戦争直前にこの世界に飛ばされちまったらしい。
 で、そのまま65年以上が経過し現在に至る――って訳だ。
 当然敗戦なんて無いから憲法は帝國憲法のまま。『平和憲法? なにそれ美味しいの?』って世界だ。もし憲法第九条の様なことを主張すれば、狂人扱いされることは間違いない。 ……ま、それについては俺も同感なんだけどね。

 この世界では、日本は『帝國』って呼ばれている。なんか思いっきり『悪』なイメージだが、ちょっとだけ格好イイと思ってしまったのは秘密だ。
 帝國はその呼び名に相応しく、この世界の過半をその支配下に置いているらしい。『世界人口50億の内30億以上が帝國領に住んでいる』ってんだから驚きだ。
 その支配構造は結構複雑で色々序列があるらしいが、そこから先は俺もよくわからない。唯一つだけ言えることは、『戦前以上の階級社会』ってことだけだ。 ……なんでも、身分どころか種族や国籍にも上下があるらしい。

 ……らしい、らしい、ばかりでスマン。
 けど、俺だってまだ来てから10日しか経ってないのだから、まあ勘弁してくれ。




 ――とはいえ、以上のことは現在の俺に何の関係も無かったりする。
 「まんぷく」の住み込み店員である俺は、ウマウマと暢気にシャオちゃんが作ってくれた飯を喰っていた。
 いや〜、もうコンビニ弁当三昧の生活には戻れんなあ〜

「このシシャモ、美味いですね」

 俺はシシャモに齧り付き、思わず感嘆した。
 噛んだ瞬間に旨みが広がり、卵はハラッと解けて食感も抜群だ。
 ……今まで喰ってきたシシャモとは比べ物にならないよ!

「シシャモじゃあありませんよ。ガピーです」

 シャオちゃんは笑いながら俺の間違いを訂正した。

 何でも本物のシシャモは超高級魚で、今までカペリンっつー魚を代用していたらしい。
 けど、そいつも乱獲が祟って高級魚の仲間入り。で、代用の代用としてガピーを食べる様になった――という訳だ。
 とはいえ、これはあくまで帝國の立場から見た話であり、カペリンもガピーもこの世界じゃあ昔から、当たり前に食べられている魚だそうだ。
 ま、その辺の事情は俺の元いた世界の日本だって同じこと。いちいち気にする程のことじゃあない。
 美味ければ全てが許されるのだ。
 ……でも海老蟹だけは勘弁な。アレはちょっと――

「? どうしたのですか?」

 顔を顰めた俺を、シャオちゃんは不思議そうに見る。

「い、いや別に……そういやあ、シャオちゃんは4月から高校だっけ」

 俺は慌てて話題を変える。
 卒業は3月だから、シャオちゃんはまだ中学生なのだ。

「いえ、高専(高等専門学校)ですよ」

 この世界の学制は戦前の延長線上にあるため、元の世界のそれと大分異なる。
 まず小学校が6年、次いで中等学校が4年。ここまでの10年が義務教育だ。
 で、更に勉強したい子供は『高等教育機関受験資格試験』を受ける。これに受からなければ上の学校には進めない……つーか、入学試験を受けられない。

 この『高等教育機関受験資格試験』ってのは、義務教育で勉強した範囲をきちんと理解しているかどうか調べる試験で、ほぼ全教科&全範囲から出題されるマラソン試験だ。
 尤も、この試験は落とすための試験では無いので、教科書の例題レベルの問題が解ければ余裕だそうだ。事実、大半は一発で受かるらしい。
 しかも試験は年複数回ある上、合格した科目も持ち越せるため、その気になれば合格しない筈が無い……とされている。まあ何事にも例外はあるのだろうが。

 ……しかし、もし元いた世界でこんな試験やったら一体どうなるだろうね?
 高校進学率八割切るカモナー

 で、上の試験に受かって初めて上級学校の入学試験を受けることが出来る。
 この道は二つあり、一つは高等学校、もう一つが高等専門学校だ。高等学校は4年制、高等専門学校は甲種が6年制、乙種が4年制である。
 高等学校は元の世界における高校と大学教養課程を合わせた感じで教養重視、高等専門学校は甲種ならば高校+大学全課程、乙種ならば高校+専門学校といった感じで実技重視……だと思う。多分。
 入学難易度としては、一に旧大学予科系高等学校、二に非予科系有名高等学校か甲種高等専門学校、三四がなくて五にその他だそうだ。

 高等専門学校に進んだ人の学歴はここで終わるけど、高等学校を出た人は『大学受験資格試験』に受かれば大学受験資格を得ることが出来る。
 ……尤も、大学の絶対数が少ないため、『受験資格は得たけれど……』って人が多いそうだけどね。
 旧大学予科系の高等学校の生徒なんかは、資格試験にさえ受かれば入学試験無しに系列大学に入れるけど、こういった高等学校は上で挙げた様に難関校揃いだし、進学先の学部も成績で割り振られるから、これはこれで色々大変らしい。
 最高学府たる大学は4年制で、もっと勉強したけりゃあ博士課程(4年)に進む――という訳だ。

 新聞によれば、現在の帝國本國人の進学状況は――
 中等学校卒     男性 3%/女性 5%
 高等学校卒     男性35%/女性70%
 高等専門学校乙種卒 男性40%/女性20%
 高等専門学校甲種卒 男性15%/女性 5%
 大学卒       男性 7%/女性 1%未満
 ――だそうだ。就学期間も考慮に入れれば、かなりの高学歴社会だろう。甲種高等専門学校卒や大学卒が少ないのは、単に入り口が狭いからだ。
(ちなみに男性の高等専門学校志向が強いのは、就職に有利だし潰しが利くからだそうだ)




 シャオちゃんは進学先のことを嬉しそうに話してくれる。

「高専では栄養学を学ぶのですよ。楽しみです」

 高等専門学校栄養学科は乙種で、卒業すれば栄養士の資格も取れるそうだ。

「……店なら食品衛生責任者資格がありゃあ済むんだから、わざわざ高専なんか行かないで高等学校に行きゃあいいものを」

 高等学校なら楽しく遊べるものを、とロンさんは愚痴る。
 栄養士になれば食品衛生責任者資格を自動的に収得出来るが、わざわざそんなことをしなくても講習会を受講すれば取れる資格だ。どう考えても割に合わない。
(高等専門学校は実践重視で忙しい、というのが一般の認識だ)

「お父さん。私は栄養学を勉強したいの」

 だいたい学校は遊びに行く所じゃあ無いわよ、とシャオちゃんはやんわりとロンさんを窘めた。

「けどなあ…… 学生時代は友達と遊ぶのが仕事だぞ?」

 それもどうよ?と正直思わないでも無かったが、ロンさんの経験を考えれば口に出せない。
 ……実はロンさんは56歳。一人娘のシャオちゃんが16歳だから、かなり年が離れている。

 ロンさんの故郷は清華だそうだ。
 あ、清華ってのは帝國から見て極東にある国で、帝國と敵対する唯一の大国らしい。
 で、獣人ってのは昔は迫害されていたらしく、ロンさんは子供の頃家族と共に帝國に逃げてきたのだそうだ。
 ……ロンさんは簡単に言うけど、当時は帝國も転移してまだ20年足らず。その勢力圏は清華から遠く離れていた筈だ。おそらく相当な苦労があったに違いない。

 その後、ロンさんのお父さんは帝國軍に志願。特に望んで激戦地を渡り歩き戦死した。
 ロンさんも義勇少年兵として帝國軍に志願。同様に激戦地を渡り歩いた。
 ……二人が命がけで戦ったのは、帝國本国居住許可が欲しかったからだそうだ。
(今でもそうだが、当時の獣人達は特に帝國に憧れており、皆なんとかして帝國本国に住みたいと考えていたそうだ)

 帝國は親子二代の血の忠誠の代償として、ロンさんが志願して10年後に本国永住資格を与えてくれた。
 既に父の戦死により本国長期滞在許可を得ていたロンさんだったが、これで子々孫々まで帝國本国に住めることになったのだ。
 永住資格を得たロンさんは軍を除隊、その後現在に至る――という訳だ。

 こんな生活を送ってきたため、ロンさんの青少年時代は遊びとは程遠かった。
 だから、娘のシャオちゃんには思う存分遊んで欲しいらしい。
(以上はロンさんと酒を飲んだ時に聞いた話だが、シャオちゃんは詳しくは知らないだろう)

 けど、シャオちゃんにはシャオちゃんの考えがある訳で――

「ありがとう。でも、高専でだって友達と遊べるわよ」

 シャオちゃんは「まんぷく」の料理を栄養学の観点からも見たいらしい。
 ……いや、偉いねえ。おじさん感心しちゃうよ。

「俺なんか、大学時代ですら何の目的意識も無かったのに……」

「え? 稲葉さんって大卒なんですか!?」

 何気無く呟いた言葉に、シャオちゃんが猛烈に反応した。
 ……し、しまったっ! こっちじゃあ大学進学率一桁だったよ!?

「い、いやあ…… 駅弁……じゃなくて地方の国立だし……」

「国立って! お前、帝大卒だったのか!?」

「はい? いや……只の国立……」

 後で知ったのだけど、国立大学は帝國大学のみで東京、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋の7つしかないそうだ。
 ……言うまでも無いことだが、帝國大学は帝國教育機関の最高峰である。
(まあ公立大学なら県立、府立、総督府立の大学がそれなりにあるが、何れも帝大程では無いにしろ難関に変わりは無かったりする)

「……稲葉さん、実は凄かったんですね」

 俺を眩しげに見るシャオちゃん。
 ……なんか、何気に酷いこと言われている様な気がするのは気のせいだろうか?

「つーか、なんで帝大出が行き倒れるんだよ」

 この世界の大卒はエリート、帝大卒なら超エリートということはわかる。
 ……が、正直俺には二人の反応が理解しかねた。
 なんか見る目が思いっきり変わったって感じ? へへーって今にも平伏しそう。

「いえ、普通の大学ですよ! 二流……いや三流かな?」

 うん、嘘は言って無いぞ。だからこれは学歴詐称なんかじゃない。断じて違う。

「……大学に二流三流ってあるのですか?」

 私には雲の上の話なのでよくわかりません、とシャオちゃんは悲しげに首を振った。

「しかしお前……仮にも大卒がこんな職場にまで身を落とすたあ、一体何があったんだ?」

 ……ロンさん、自分の職場を『こんな』って言うのもどうかと。

「お父さん! 駄目だよ! (……何か余程の理由があるんだよ)」

「(借金で夜逃げとか?)」

「(……どうしてお父さんはそうなのかなあ? もう少し夢を持ってよ)」

「(……具体的には?)」

「(稲葉さんは天下の帝大卒で、将来を誓い合った恋人がいたんだよ! で、その恋人が死んじゃって自暴自棄に……)」

「(…………)」

「(な、なんで溜息吐いて首を振るの!? いいじゃない夢があって!)」

「(行き倒れにゃあ夢も希望も無い『夢』だがな。 ……しかしお前、一見現実的な癖に相変わらずの夢想癖だな)」

「(ひ、酷いよ!)」

 ……一体何を話しているのだろう。

 親娘が目と目で交わしている会話の内容など、俺に知る由も無かった。





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