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山本譲司著『累犯障害者』獄の中の不条理 新潮社刊 |
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p12〜 塀の中での半世紀 下関駅放火事件の福田容疑者についても関心を抱き、いろいろと調べてみた。その結果判明し たのは、彼もまた障害者であるという事実だった。 福田容疑者は、過去10回にわたって刑務所に服役していた。実刑判決を受けた罪名は、すべて 「放火罪」だ。 福田容疑者は知的障害者だったのだ。1996年、広島で起こした放火事件をめぐる裁判では、精 神鑑定がなされ、「知能指数66、精神遅滞あり」と判断されている。 p16〜 「刑務所に戻りたかったんだったら、火をつけるんじゃなくて、喰い逃げとか泥棒とか、ほかにも あるでしょう」 そう私が訊ねると、福田被告は、急に背筋を伸ばし、顔の前で右手を左右に振りながら答える。 「だめだめ、喰い逃げとか泥棒とか、そんな悪いことできん」 本気でそういっているようだ。 「じゃー、放火は悪いことじゃないんですか」 「悪いこと」 即座に、答えが返ってきた。当然、悪いという認識はあるようだ。 「でも、火をつけると、刑務所に戻れるけん」 p18〜 「外では楽しいこと、なーんもなかった。外には一人も知り合いがおらんけど、刑務所はいっぱい友 達ができるけん嬉しか。そいから、歌手が来る慰問が面白かたい」 福田被告がそう言うように、彼の人生のなかでは、刑務所こそが安住の地だったのかもしれな い。「刑務所は安心。外は緊張するし、家は怖かった」とも彼は言う。 福田被告は、少年時代、父親からの凄まじい虐待を受けている。彼の弁護人に聞いたところに よると、体中、傷跡だらけで、特に胸部から腹部にかけての全面に広がる火傷の跡は酷いという。 父親から何度も、燃えたぎる薪を押し付けられていたのだ。 そんな生い立ちからすると、はじめに入った少年教護院は、彼にとって、「避難場所」と感じたか もしれない。 p20〜 そしていま、刑務所の一部が福祉施設の代替施設と化してしまっている。 |
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第一章 レッサーパンダ帽の男---浅草・女子短大生刺殺事件 p30〜 なるほど、と合点がいった。新聞・テレビの大手メディアは、「知的障害者の犯罪」というタブーに は触れることができないわけだ。確かに、センシティブな問題だ。容疑者の障害を公表すれば、知 的障害者は事件を起こしやすいという、あらぬ誤解と偏見を社会に与えてしまう恐れがあるから だ。障害者団体からの抗議もあるかもしれない。 だが、本当にそれでいいのだろうか。同様の悲劇を未然に防ぐには、事件の背景にあるものが 一体何だったのかを、社会全体が直視すべきなのではないか。 p58〜 仮釈放が許可されるうえでの最も重要なバロメーターは、「受刑者本人の反省の度合い」だ。通 常、有期刑の受刑者は、刑期の三分の一を経過した時点で、来所した保護観察官との一対一の 面接が行われる。その場で反省の弁を口にすれば、大抵の保護監察官は言葉通りに受け取り、 「改悛の情あり」と更生保護委員会に報告してくれるのだ。そこで面接前には必ず、担当刑務官か ら、「演技でもいいから反省の態度をとるように」とのアドバイスをうけることになる。 ところが、知的障害のある受刑者たちの多くは、その声にもまったく関心を示さず、馬耳東風と いった体だった。結局、仮釈放日は、可否量刑不当なく刑期満了日に近づいていく。 悔悟の態度を表すことができない人たちである。たぶん、裁判の場でも、言葉を発することなど、 ほとんどなかったと思われる。 「今回の裁判が彼に本当の反省と苦しさを体験させ、贖罪意識を生む場であって欲しい、そんな 思いで弁護をしてきた」 副島弁護士のこの言葉は、かつて被告人だった私の胸にも突き刺さる。被告人にとって、いや 人間にとっての反省とは、一体何なのか。 まず考えられるのは、成長する過程で学習した「反省」という概念に基づき、それを言葉や態度 であらわすことである。人間社会においては、反省を自己に留めておくのではなく、他者に伝える ことが求められるからだ。 だが、多くの知的障害者は、他人とのコミュニケーションを苦手としている。人との交流を通して身 に付けるはずの倫理的基準が、知識としてなかなか備わらない人たちだ。したがって、法を犯した 場合も、容易には反省に結びつかない。よしんば反省に辿り着いたとしても、その意思を外に向か って発信するスキルがない。 しかし、果たして反省が、外形的表現によってのみ判断されていいものなのか。反省とは、本来、 心の中で起こる内面的現象をさすものではなかろうか。犯した罪を意識し、その自責の念に煩悶 すること。それが反省ではないのか。 山口被告は、そうした反省に至っただろうか。それは、最後まで分からないままだった。 この国の司法はいま、彼ら知的障害者の内面を窺う術を持ち合わせていない。結果的に彼ら は、反省なき人間として社会から排除され、行き着く果てが刑務所となる。 こうした現実に、社会はどう向き合えばいいのだろうか。山口被告のような人間は、社会の中で どう生きればいいのか。また社会は、彼のような存在をどう受け入れればいいのか。そのことが 問われた事件だった。 |
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第二章 障害者を食い物にする人々---宇都宮・誤認逮捕事件 誤認逮捕 p74〜 これで結審である。あとは、12月24日に予定されている判決公判を待つばかり。しかし、判決公 判直前のことである。男性の養父が拘置所に面会に行き、「本当にやったのか」と強い調子で確認 したところ、男性は突然、「俺、やってねぇ!」と犯行を否認し始めたのだ。 12月24日に開かれた第3回公判。弁護人からの要請により、判決の言い渡しは延期され、被告 人に陳述の機会が与えられる。男性は、「俺、やってねぇーんだ」と発言し、はじめて法廷の場に おいて無罪を主張した。 さらに、年が明けて2005年1月11日、被告人に対する尋問が行われる。弁護人と男性との遣り取 りは、次のようなものだった。 「裁判が始まる前、私に『やってない』って言ってないよね」 「うん」 「なんで言わなかったの」 「忘れてた」 「忘れてたっていうのは、何を忘れてたの」 「言うのを忘れてた」 「そういうの忘れてたってこと、よくあるの」 「うん」 「ここにいる裁判官に『間違いないですか』って言われて、『はい』って言ったんだよね。覚えてる」 「うん」 「なんで間違えて『はい』って言ったの」 「考えつかなかったんだよね」 ここで裁判官が割り込む。 「じゃー今度は、『やってねぇ』って考えついたんですか」 「なんだか頭のほうで考えてたのが、『俺、やってねぇ』っていうのを考えついたんだ」 「考えついたのは、いつですか」 「うーん」 再び弁護人の質問に戻る。 「『やってる』って言った時と『やってない』って言った時では、何が違うかわかる」 「分かんねぇーんだよ」 こうした遣り取りが続き、第4回公判は終了する。 ところが、それから六日後、事態が一変する出来事が起きた。真犯人が逮捕されたのだ。 p77〜 このように、状況証拠も物的証拠も揃っていた。逮捕された男が真犯人であることに、疑う余地 はない。 p78〜 この日、宇都宮地方裁判所では、誤認逮捕された男性への無罪論告が行われることになって いた。誤認逮捕の公表から一週間、急遽、組み入れられた公判だけに、開廷時刻は午後4時15分 と、いかにも中途半端な時間である。 しかし一方で、私が「大挙して傍聴に来るのでは」と考えていた人たちの姿は、どこにも見当たら なかった。言うまでも、それは福祉関係者だ。それらしき人を見つけては声を掛けてみるが、いず れも福祉関係者ではなかった。地元「下野新聞」が、誤認逮捕された人物が重度の知的障害者で あることを、あれだけ大々的に報じていたのだ。今回の裁判のは、警察や検察に対する抗議の意 思を示すため、大勢の福祉関係者が押し寄せてくるに違いない。そう私は思い込んでいたが、実際 はまったく違った。どうやら男性は、重度の知的障害者であるにも拘わらず、福祉とは一切つながっ ていなかったようである。 p80〜 結局、山田さんへの謝罪は、一言もなかった。この論告の一体どこが、山田さんの名誉回復に つながるというのだろうか。 検察や警察の名誉を回復するために仕組まれた論告セレモニー。そんな気がしてならない。 p81〜 午後6時22分、ついに山田さんが、拘置支所の中から姿を現わした。200日ぶりに塀の外へと解 放されたのである。人懐こい笑みを浮かべながら、門衛の刑務官に、ぺこりとお辞儀をする山田さ ん。すると、すぐに怒鳴り声が聞こえてくる。 「こらっ正、そんな奴に頭なんか下げてどーすんだ。お前がどういう立場だったのか分かってんの か」 その声の主が、山田さんの養父だった。 不自然な親子関係 p82〜 「きょう、こうやって出てこられたから、いいようなもんだけどよ、警察にはもっと反省して欲しいよ。 俺は、正が犯人じゃないって、はじめっから分かっていたんだ。ひらがなの読み書きも、足し算・引 き算もできないんだからな。こいつの知能の程度からしたら、強盗なんかやれるはずないんだ。そ れに足も障害を抱えてんだし、悪いことしたって、逃げ切れるわけがない。そんなこと、誰が見たっ て分かりそうなもんだけどな。でも警察は、はじめっから犯人だと決めてかかってたんだ。面会の 時、正が言ってたんだけど、『お前がやったんだろ』って、何度も何度も取り調べの奴に怒鳴られた んだそうだ。知的障害があることをいいことに、いいようにやられてたんじゃないか」 養父は、拘置支所の駐車場において、激しい語勢で私にそう捲くし立てた。 閉鎖病棟での隔離生活 p94〜 そして1986(昭和61)年、祖母が死去する。居場所を失った正さんは、親族の要望によって、宇 都宮市内のある精神科病院へと入院させられてしまう。その入院先は、一般病棟ではなく閉鎖病 棟だった。 結局、その後正さんは、35歳から48歳までの13年間を、この精神科病院の閉鎖病棟内で過ごす こととなった。 p95〜 医師の案内のもと、閉鎖病棟の隅々にまで足を踏み入れたが、コンクリートと鉄に囲繞された保 護室など、内部の造作は、驚くほど刑務所と似ている。医師や看護師の指示に従わない患者は、 すぐに保護室に収容し、外から鍵を掛けられてしまうらしい。これも、刑務所での受刑者処遇と類同 性がある。いや、矯正施設では使用厳禁となっている拘束具によって、いまだに多くの患者の肉体 的自由が奪い取られている現状からすると、刑務所以上に人権侵害は甚だしいのかもしれない。 ベッドに両手両足を固定され、下半身にはオムツが巻かれている患者たち。彼らの叫び声が病棟 内に響くが、誰一人として気に留めているふうではなかった。きっと、それが閉鎖病棟内における 日常風景であるからだろう。 「俺たちゃ、無期懲役刑を受けているようなもんさ。俺は14年以上ここにいるんだがね、その間に 18回脱走したよ。全部連れ戻されちゃってさ、保護室にぶち込まれて酷い目にあった」 初老の男性のこの発言が引き金となり、「俺も」「俺も」と入院患者たちが、次々に脱走自慢と病 院批判を口にする。 ヤクザに食い物にされる障害者 p100〜 この件により、養父は「強要未遂」で逮捕されることになる。なぜ養父は、逮捕の危険を冒してま でも、成年後見制度の手続を阻止しようとしたのか。 その理由は、正さんの障害者年金にあった。障害者年金について、後見人に口だしされたくなか ったようだ。養父は、正さんと養子縁組を結んで以来、一度も一緒に生活したことはないが、年金 手帳だけはしっかりと自分が管理し、ひと月約8万3000円の障害者年金を搾取し続けていたのであ る。 養父が養子縁組していたのは、正さんだけではなかった。正さんと同じ頃、立て続けに6人の知 的障害者と養子縁組している。そして、蛸部屋の如きアパートの一室に、彼らを詰め込んでいたの だ。もちろん、すべての障害者年金及び生活保護費は、養父が管理した。そのほかにも、養子縁 組を結ぶことができない、養父より年上の知的障害者も数名おり、彼らの年金や生活保護費も実 質的に管理していたようだ。これだけの年金を手中に収めていれば、相当な額になったであろう。 さらに養父は、年金を騙し取っていただけではなく、「息子たち」に対して、暴力を振るうこともしば しばだった。ちなみに、養父の管理するアパートには、ある指定暴力団の代紋が掲げられていたと いう。 P102〜 だが、いずれにせよ一番の疑問は、福祉行政は何をやっていたのか、ということだ。この厭わしい 状況がつくりだされる前に、何らかの手段を講じることができなかったのだろうか。 養子縁組や障害者年金の手続の際、行政窓口にいつも同じ人物が現れることに、誰一人として 気付かなかったわけではあるまい。疑心を抱く職員は、何人もいたに違いない。ところが、福祉行 政は何も動いていない。本来なら、ヤクザ組織に食い物にされている彼らのような障害者こそ、最 も重要な支援対象であるはずなのに。 |
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第四章 閉鎖社会の犯罪---浜松ろうあ者不倫殺人事件 頓珍漢なやりとり p169〜 裁判は6回を数えた。毎回気になるのは、手話通訳が行う手話が、ろうあ者である被告に正確に 伝わっているのかどうかだった。まともに意思の疎通ができているのかどうか、非常に疑わしいの だ。それは、かつて刑務所内のろうあ者からも聞かされたことだった。いや、裁判だけでなく、取調 べ段階においてもだ。 弁護士と細江被告との間に、こんな遣り取りがあった。 「被害者とは30回くらい会った。警察の取調べにおいて、そう被告人が述べたと記録にあります が、本当ですか」 「違う 8回」 「では、30回というのは、どういう数字ですか」 「セックスの回数」 これは、警察における手話通訳者の誤訳を露呈したものだが、裁判中も、手話通訳者が裁判官 に対して、「間違って伝わったかもしれません」とか、「うまく通じているかどうか、自信がありませ ん」という言葉をしきりに口にした。その結果、質問と答えとが擦れ違う場面が、随所に見られる。 問題はそれだけではない。手話通訳の拙さだけではなく、細江被告の語彙の貧困さや理解力の 貧しさが、それに輪をかけているようにも思われた。細江ひこくには、抽象的な言葉の概念がまっ たく理解できていないのだ。 たとえば、「かよみさんは、どうして不倫を承諾したとおもうか」との質問には「嬉しいから」と答え、 「どうして山中に死体を遺棄しようと考えたのか」という問いには「車が妻のだから」と応じる。「恋の 駆け引き」や「精神的に追い詰められる」という言葉に至っては、意味すら分からず、ただ首を捻る ばかりだ。 p170〜 彼らの精神世界は、われわれとは異なるのではないか。言語世界の有りようが違うと、感受性や 倫理観さえも違ってくるのではないか。そう感じることが度々だった。裁判での細江被告も、かよみ さんとの情事の様子について、「最高 気持ちいい」などと臆面もなく述べている。 |
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第五章 ろうあ者暴力団---「仲間」を狙いうちする障害者たち p178〜 ろうあ者だけの暴力団----。この事実を知った時、多くの人たちは、驚愕するのではないかと思 う。私も、刑務所に入っていなければ、そうだったろう。だが、すでに私は、服役中、この話を耳に していた。 ---大阪にろうあ者だけの「組」がある。でもそれだけでない ろうあ者のヤクザ ほかにも結構い る。 そう教えてくれたのは、ろうあ者である受刑者仲間。彼は、自分のことも「暴力団の準構成員」と 名乗っていた。さらに彼の説明によると、「加害者と被害者 どちらもろうあ者になる事件 多い」と いう。 確かに、彼の言う通りだった。ここ数年、ろうあ者がろうあ者に対して行った「恐喝事件」や「詐欺 事件」が頻発している。 手話で脅迫 2002年の7月18日、二人のろうあ者の男が、熊本県警に逮捕された。一人は55歳、もう一人が 31歳。いずれも住所不定・無職である。二人が逮捕されたのは、2件の「詐欺事件」によるものだっ た。 まず1件目。それは、40歳代のろうあ者の女性に、「出資すれば、株で儲かる」などと架空の話を 持ち掛け、女性から現金1700万円を受け取っていたという事件である。 2件目の詐欺は、一人暮らしの老女を狙った犯行だった。 「中国で治療を受ければ病気が治る」 70歳代のろうあ者の女性に、そんな嘘をつき、約120万年を騙し取っていたのだ。 この二人の犯罪者は、「ろうあ者の集い」などに積極的に参加し、そうしたなかで騙す相手を選ん でいたという。 「ろうあ者同士は、信頼されやすいから」 55歳の男は、逮捕後、こう供述している。 p184〜 だが一方で、「デフ・コミュニティ」の中で完結する彼らの犯罪については、どうしても、その「特異 性」を意識してしまう。さらには、事件を敷衍してみると、デフ・コミュニティそのものに対する「特殊 性」を感じないわけにはいかない。 p185〜 聾学校では、彼らろうあ者の言語である手話は、口話を妨げるものとして、「手まね」という蔑称 がある。耳の不自由な児童・生徒に無理矢理声を出させ、徹底的に発音練習を強いるのだ。発音 時の口や舌の形が間違っていれば、口内に指を突っ込まれたりもする。だが、声を発している本人 たちには聞こえてはいない。これには、ナンセンスを通りすぎて、滑稽な感じすらしてしまう。 また、口話による会話ができるよう、いくら読唇術を覚えたところで、それには限界がある。「煙 草」と「卵」、「好き」と「愚痴」、「パパ」と「ママ」、「言いました」と「聞きました」などなど、口の形だけ では、区別できない言葉は何百、何千と存在するのだ。にも拘わらず、強制的に発声練習を続ける 聾学校。算数を学ぶにしても、「1+1」という数式の答えは「2」というよりも、きちんと「いちたすいち は、に」と発音できるかどうかが問題となる。こうして、ほとんどの教科が、その分野の知識を高め るための授業ではなく、単なる発音練習の場と化してしまうのである。すべては、聴者の言葉に近 づけるための訓練だ。 p186〜 「音声言語を持つ人」と「手話と言う言語を持つ人」、それは、「日本語を話す人」と「英語を話す人」 以上に立場の違いがある。こうなると、常識の違いというよりも、文化の違いがあると見たほうが いいだろう。 したがって多くの場合、ろうあ者が結婚する相手は、やはり、ろうあ者となる。実際に、ろうあ者同 士が結婚する確率は、9割以上だといわれている。それが、デフ・ファミリーを形成し、デフ・コミュニ ティへとつながる。このコミュニティ内の結び付きは、非常に強固だ。それは、聴者社会にはない、 独特の文化を共有しているからであろう。 p187〜 しかし、ろうあ者人口は限られている。結局のところ、デフ・コミュニティは、非常に狭い社会なの だ。ろうあ者にとっては、「学校」「恋愛」「就職」「結婚」、それぞれにおける選択肢は極めて限定さ れており、聴者とは同日の談ではない。 狭い社会のなかで、濃い人間関係をつくって生きているろうあ者たち。彼らには、「犯罪」の相手 ですら、ろうあ者に限定されてしまうのだろうか。 |
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終章 行き着く先はどこに---福祉・刑務所・裁判所の問題点 ホームレスかヤクザか閉鎖病棟か・・・ p219〜 寮内工場に、5箇所の福祉施設と8箇所の更生保護施設に引き受けを拒否された、視覚障害者 のある受刑者がいた。50歳代後半の彼は生まれながらの全盲者で、いまは世の中に一人の身内 もいない。「窃盗罪」による服役だが、その内容は600円ほどの弁当を盗んだというものだった。 彼が刑期満了になる直前、私は聞いてみた。 「出所したら、どうするつもりですか」 彼は、迷わず答える。 「ここを出る時に貰える作業賞与金が1万5000円くらいあるんで、それで目いっぱい酒を飲むな。 それがこの世での飲み納めだ。そのあとは、なるべく人に迷惑がかからない方法で死ぬだけさ。海 にでも飛び込むか。はっはっは」 乾いた笑い声を上げた後、すぐに溜め息を漏らした彼。真顔に戻ったその表情からして、彼が口 にした言葉が、単なる冗談だとは思えなかった。そして、いまでも彼の安否については、大いに気 になっている。 実は私は、出所後2年が経過した頃から、獄中生活を共に送った障害者たちの消息を追いかけ ている。全盲の彼をはじめ、行方が分からない受刑者仲間も多いが、残念ながら、本当に自殺して しまった者がいた。その彼は肢体不自由者だったが、服役中から、「娑婆に戻るのが怖い」とたび たび訴えていたように記憶している。 もう一人、変死している者もいた。そして案の定、刑務所に戻ってしまった者も何人かいる。ほか には、ヤクザ組織に身を置く者、路上生活者となっている者など、出所後の生き方はさまざまであ る。 「俺よー、いま、めっちゃ楽しいんだ。周りには俺と同じように、ムショ上がりがいっぱいいるし、組の 兄貴たちにも可愛がってもらってるし」 そう言う彼は、軽度の知的障害者だった。確かに、刑務所にいた時よりも生き生きとしているが、 この調子だと、すぐに鉄砲玉にされかねない。ピストルを撃つ構えをして、「バキューン、バキュー ン」などと口にしながら、悦に入っている様子の彼。「あいつを撃ってこい」と命令されれば、即、飛 んでいきそうだ。しかし、彼にとってそこは、生まれてはじめて見つかった、自分自身の居場所なの かもしれない。なんとも遣り切れない思いがするが、いまのところ彼を受け入れてくれる福祉施設 はないし、彼自身もそれを望んではいなかった。 一方、寮内工場には、重い知的障害を抱えている受刑者も多数いた。彼らは、ヤクザ組織からの 勧誘を受けることもないだろうし、ホームレスとしての一人暮らしも不可能なはずだ。であるならば、 福祉とつながっている者はいないか。そう思い、私なりのアンテナを張って調べてみた。 心当たりがある場所に足を運んだり、行政機関に問い合わせたりするなかで、ようやく2人の知的 障害者の所在が判明した。が、残念ながら2人とも、福祉の支援は受けていなかった。福祉施設で はなく、医療機関にいたのだ。精神科の病院である。医療的な治療など必要ないにも拘わらず、彼 らはいま、精神科病院の閉鎖病棟に収容されている。 このように、彼らの消息を訪ねるなか、触法障害者を取り巻く世の中の現実が、かなり見えてき た。かろうじて再犯者になることを免れている者も、「路上生活者」「ヤクザの三下」「閉鎖病棟への 入院」、そして「自殺者」や「変死者」になっていたりと、それは、あまりにも切ない現実の数々だっ た。 -----福祉は、一体何をやっているんだ。 すべての福祉関係者に向かって、そう叫びたくなる。もちろんそれは、私自身に対してもだ。 p233〜 だが、こうした私の思いとは逆に、世の中はいま、「知的障害者であろうと精神障害者であろう と、罪を犯した奴は厳罰に処せ」という声が大きくなっているのではないだろうか。私も、その考え に頷けなくもないが、それが、社会防衛的発想、あるいは優生主義的発想に根ざしているのであ れば、かつての「魔女裁判」のような危険性を感じざるを得なくなる。知的障害者に対して、「得体 の知れない人間は、得体の知れないことをやらかしてしまうのではないか」というような思いがある とすれば、それは全くの見当違いである。私がいま関わっている知的障害者の多くは、被害者にな りこそすれ、加害者になるような人たちでは絶対にない。いや、刑務所で出会った知的障害者も、 そのほとんどが人生の9割以上は被害者として生きてきた人たちだった。そして刑務所に服役する ことになった罪も、本当に軽微な罪なのである。 では、なぜ、そんな障害者が起こした犯罪を本にまでして書きたてるのか、と問われるかもしれな い。 しかしそうであっても、私は触法障害者の問題について訴え続ける。 なぜなら、我が国の福祉の現状を知るには、被害者になった障害者を見るよりも、受刑者に成り 果ててしまった彼らに視点をあてたほうが、よりその実態に近づくことができるからである。そして そこには、日本社会の影の部分も見えてくるのだ。 |
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<来栖のつぶやき> 思いもかけず、引用文が長くなった。この本は、拙ブログに来てくださった方から、紹介された。 「気分が重くなるかも・・」と気を遣っていただいた。私自身、タイトルを聞いただけで「面白い」とは 到底期待できなかった。 しかし、読み進むにつれ、障害をもたれた方たちの悲惨が身に沁みた。悲惨の度合いは、そのま ま福祉行政の遅れを映している。紹介してくださったその方は言われた。「この本を読んで、『美し い国』を言うあの人が嫌いになりました」。 引用文が長く多量になったが、この本に寄せる私の気持ちの表れである。私自身の生活を問わ れているような気がしてならない。 私にも、ろうあ者の若い友人がいる。拙HPを訪れてくださってメールを交わすようになった。2年 程経った頃、名古屋へ来てくださり、初めてお会いしてお話しした。会って直ぐ「僕の声の大きさ、こ のくらいでいいですか」と問われた。自分の発する声の大きさが分からない、聞こえないのである。 県図書館で、お話しした。読唇術にも長けておられたし、筆談もリードしてくださったから、何の不 自由も感じなかった。手話も、ちょっと教えてくださった。彼の手話が、美しく見えた。 しかし、何もかも、障害者の方が、聴者(健常者)に合わせているのである。この本を読めば読む ほどに胸がきりきり痛んでならない。 私は、盲人の歌手大石亜矢子さんとも、息子を通して知り合った。透き通った美しい歌声。明る さ。私のような詰まらない者は、彼女に圧倒されつつ励まされる。泣いてしまいそうだ・・・。 |
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もう刑務所には戻さない 〜動き出す知的障害者支援〜 |
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NHK 〔クローズアップ現代〕9月4日(火)放送 | |||
知的な障害があるにもかかわらず、福祉の支援を受けないまま社会で孤立し、困窮の中で犯罪 に走ってしまう人が少なくないことが、全国の刑務所で明らかになってきている。出所しても孤立 した状況に変わりがないため、犯罪を繰り返してしまう実状も分ってきた。この春、法務省が全国 15の刑務所で調査したところ、知的障害と疑われる人が400人余、調査の前まで、知的障害で あると社会的に認知されてはいなく"埋もれていた人"が殆どだった。平成17年度の新規受刑者 の4人に1人近くが、一般より知的レベルが低いIQ相当値が69以下、"埋もれていた人"がこの中 に多く含まれているのではないかと考えられている。こうした事態を受け、法務省と厚生労働省 は、刑務所を出所した知的障害者を福祉施設に紹介する新たな取り組みも試験的に始めている。 どうすれば知的障害者を再び犯罪に至らせないように支援してゆけるのか。 現状と新たな取り組み、その課題を検証する。(NO.2459) |
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2007/09/14up | |||
関連;「あの人に迫る」 気負わず焦らず すべきこと やる 〜 山本譲司元衆議院議員 | |||
「裁判員を担う」現場からの教訓〜【2】障害者の弁護〜受け答え 真実 見て | |||
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