*1.仮想現実
当HPの掲示板にて、2人の女性に薦められたSF小説。それが『クラインの壺』でした。
作者は岡嶋二人。聞いた事のない名前。
しかし、今までロクに読んだ事のなかった日本人作家によるSF小説、しかも女性が「面白い」と言って薦めてくれるのだから読みやすく楽しみやすいものに違いない。
そんな訳で興味を持ち、さっそく書店にて購入。10月23日読破しました。
この小説の内容を極めておおざっぱに分類すると、SFの中でも“仮想現実体験もの”であると言えます。
フリーター・上杉彰彦は、ゲームブックシナリオコンテストで応募した作品『ブレイン・シンドローム』をイプシロン・プロジェクトと呼ばれる組織から買われ、最新のゲームの原作として使わせてほしいと持ちかけられます。
自分の作品を評価され、喜んでイプシロンと契約する彰彦。
しかし、イプシロンが開発しているゲームとは「これまでのゲームの歴史を覆す」と言われる画期的な装置で、原作者である彰彦にさえ詳細を秘密にしたまま開発が進められます。
やがて彰彦の元に、そのゲーム装置“クライン2”、通称K2がほぼ完成したとの知らせが入る。そして彰彦は、アルバイトの高石梨紗と共に、K2のモニターとしてテストプレイを行うために研究所に呼ばれます。
K2は大きな球形の装置で、そこから隣の小部屋につながる筒が伸びており、筒の中にベッドのようなものが設置されています。
そのベッドはまるで人間の型を取る装置のような、人間の形に作られた鯛焼きの鋳型(いがた)のような形をしており、プレイヤーが素っ裸でここに寝転がると、上からも鋳型が降りてきてプレイヤーをサンドイッチにします。
このベッドの内側にはスポンジのようなマットが敷き詰めてあり、プレイヤーはこのスポンジにすっぽり包まれる形になります。
ベッドのスポンジに包まれた彰彦は、唐突に、飛行機の部屋の中にいます。身体を見ると、さっき素っ裸になったはずなのに服を着ている。
そう、プレイヤーである彰彦は特殊なスポンジを通して皮膚に擬似的な刺激を受け、もちろん視覚や聴覚その他にもシミュレートが施され、コンピュータの作り出した仮想現実(*1)の中にいるのです。
実際の身体は素っ裸でK2の中にいるはずだというのに、シミュレーションで再現された上着も、靴も、壁も天井も、周りにある何もかもが本物としか思えない。
信じられない気持ちの彰彦は、しかし、その仮想現実の空間の中で自分がゲームの主人公となり、そこで自分の書いたシナリオが進行し始めた事に気付きます……。
という訳で、これは真っ向から“仮想現実体験”を取り扱った作品です。
仮想体験をメインに取り扱ったものといえば、最近のものでは映画『マトリックス』(*2)、少し前の映画なら『トータル・リコール』などが思い浮かびます。
なんともこれは、ふたを開けてみると意外にもサイバーパンクな香り漂う設定じゃないですか!
しかし、『マトリックス』などのように神経系統に直接疑似信号を送り込むのではなく、わざわざ皮膚の上からスポンジを通して擬似的な感覚を与えるだなんて、なんと古くさく面倒くさい発想なんでしょうか。
しかも、このスポンジ仮想空間の中で飲み物を飲めばちゃんと飲み込む感覚があると言うのですから、そりゃいくらなんでも無茶な設定じゃーありませんか?
まあ、そんなあら探しはともかく。
彰彦はゲームのモニターを続けているうち、やがて身の周りで奇妙な出来事が起こるようになり、イプシロン・プロジェクトという組織を疑うようになります。
極端な秘密主義の組織、イプシロン・プロジェクトの本当の目的とは?
ただの“新型ゲーム”と呼ぶにはあまりに奇妙な点の多い、K2の正体とは?
そのような謎が次第に提示され、少しずつ物語が進展し、読者はぐんぐん引き込まれてゆくことになります。
この小説の文体の特徴として、描写が非常に丁寧だという事が挙げられます。
描写が丁寧だと言うと、いささか説明的になりすぎて読むのがおっくうになるものも多いのですが、この作品の場合そういう丁寧さではない。
単純に描写の説明が多いのではなく、むしろ必要最低限の表現におさえられていてテンポ良く読める方です。しかしながら、描くべきところはよく描いている。
特に、人物がとてもよく表現されており、どのキャラクターも非常に実在感溢れる存在となっています。
SFに限らず、小説その他フィクションの物語というものは
「どこか別世界のお話」
という感覚を抱かせがちなものですが、この作品は人間達がとても人間くさく描かれており、キャラクターに親近感がわくようになっています。
こういった点が女性にも受け入れられる要員となっているのでしょう。
それにしても、主人公の勘が鈍い!!
これには本当にイライラさせられました。
ある重大な謎が提示され、物語中盤でその謎を解くヒントが提示されるのですが、このヒントというのがもうすっごく解りやすい。
「ああ、そういう事か!」
と、僕の中ではその時点で謎が解けてしまったのですが、どうやら彰彦はそのヒントを見ても答えに気付かない様子。
そして、彼はその謎を解明するために色々と調べ回ったりするのですが、謎の答えが解ってしまった読者としてはもう
「ちがうーっ! そうじゃないって!」
とヤキモキさせられて辛抱たまらん。
結局その関係なさそうな調べものも後でちゃんと役に立つ場面が出てきて、そのへん後から考えるとご都合主義なんですが、まあそれはいいとしましょう。
それにしたって、読者が中盤で解ってしまった謎を、ズルズルとクライマックス手前までひっぱるのはいかがなもんでしょうか。
いや、それで物語がつまらなくなっているという訳ではないのですが、あれははっきり言って拷問のようでした。
終盤でやっと謎の答えに気付く彰彦。
と思ったら、それがあまりに驚愕の事実であるので、自ら推理した結論であるにも関わらず
「まさか……!
嘘だ……そんな事、嘘だ……」
と、呆然としてつぶやく彰彦。
何を今さら。
って感じですが、まあ彰彦がその事実に気付いてくれる事で物語はいよいよ加速し、いやがおうにもクライマックス感が高まります。
彰彦の行動から眼が離せなくなる読者。
そして……
ラストでは意外な結末!
仮想現実を扱った物語はほかにもたくさんありますが、この作品ほど真っ向から仮想現実の恐怖をテーマとして扱っているものは珍しい―――という事に、ラストで気付かされる事になります。
舞台は現代の日本だし、おまけに仮想現実世界はスポンジ体験だけど、この小説の根底には立派なサイバーパンク精神が宿っているようです。
(1999.10.27)
現実ではないが、架空の出来事がまるで現実の出来事であるかのようにリアルに体感させること。ヴァーチャルリアリティ。
*2.『マトリックス』
映画俳優キアヌ・リーブスが、下手なカンフーアクションを頑張って練習し、特訓の成果をみんなにお披露目するという映画。でも結局まだまだ下手くそだったので、撮影技術を駆使して一生懸命ごまかしましたというお話。
というのは嘘っぱちなので、くわしくはコラム0125参照。