江戸時代の武士道−忠義は何にはらうのか
江戸時代の武士道 −忠義は何にはらうのか 産経抄というものがある。 短文の新聞コラムなのだが、優れた文章も多い。 1つ、以下でご紹介したい。 【産経抄】 7月17日 2011.7.17 産経 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110717/plc11071702310002-n1.htm よく「島津に暗君なし」といわれる。戦国時代から江戸時代、薩摩や大隅などの国を治めた島津家では不思議なくらい賢明な当主が続いた。そのことが関ケ原で敗戦したにもかかわらず、藩の取りつぶしを免れ、明治維新の主力となりえた理由でもあったというのだ。
http://blogs.yahoo.co.jp/houzankai2006/50700639.html
島津家
▼だが島津家の場合は例外的である。江戸時代、幕藩体制が安定してくると、各藩には暗君や暴君がしばしば現れ、家臣や領民が悪政に苦しめられた。今年いっぱいでテレビ番組が終了する『水戸黄門』など人気の時代劇の歴史背景でもあった。
▼だが家臣らが藩主の暴政に手をこまねいてばかりいたわけではない。産経新聞社『地球日本史(3)』収蔵の笠原和比古氏「武士道とデモクラシー」によれば「押込(おしこめ)」という制度があった。もともとは一種の刑罰だったが、藩主にまで適用されるようになったという。
▼「手順」はまず家老や重臣らが暴政を改めるよう諫言(かんげん)する。聞き入れられない場合、重臣らが「押込」を決定し藩主に宣言する。その上で藩主から大小の刀を取り上げ、身柄を拘束する。藩主は座敷牢のような所で「反省」の態度をみせるまで監禁されたそうだ。
▼この「押込」は江戸時代の社会で次第に正当化されていく。笠原氏はその背景として、武士道の「忠義」の考え方の変化を指摘している。つまり「忠義」は藩主個人のために尽くすのではない。藩という「国家」のためにあると考えられるようになったからだ。
▼そのことを理解すれば、今の政治家にできるのはもう、菅直人首相の「押込」しかない。思いつき政策で国政を混乱させても反省する様子もない。批判も受け入れず政権にしがみつくのだからその「資格」は十分だ。 おそらく、「押込(おしこめ)」 をする側も 命がけ。 自分の命をかけて、主君を主君たらしめんとし、藩の安泰を 祈ったのであろう。 日本の 「機能としての藩」がすぐれていたのは、押込のあとの君主に、自らが入れ替わる (下剋上) するのではなく、旧藩主の血筋の者が新たな君主についたという。 ここに 秩序があり、絶対的な国家としての藩の 存在の意味が読み取れる。 簡単にできるものではなかったからこそ、家臣も賢人であり、 藩 (国家)が安定して存続できた、ということが言える。 君主も家臣も命がけで 国家を守る。
保身をしながらの運営など 武士道の中には 存在できず、消滅していったことを知っていたい。 success |
今の政治家に忠義、国家は存在しません。
選挙に勝てる組織しかありませんね。哀しい現実ですげ・・
傑作
2011/7/17(日) 午前 11:27
こんばんは
自分も本物の政治家は少ない本当に僅かしか・・
傑作○
2011/7/17(日) 午後 11:37
君主も家臣も命がけで 国家を守る。
保身をしながらの運営など 武士道の中には
存在できず、消滅していったことを知っていたい。
大拍手!!です
ほんとそう思います
☆
2011/7/18(月) 午前 1:00 [ 誇り君 ]
カマちゃんさま
選挙に勝てる組織…。 涙
「国家観」は不在ですね…。なんのための政治家なのやら。。。
2011/7/18(月) 午前 7:58 [ success ]
あまのじゃくさま
おはようございます。
江戸時代は、絶対的な君主観だと思っていたんですが、結構民主的(?)だなあと思いました。
リスクマネジメント、きっちりできていたんですね。
しかし、今は…
2011/7/18(月) 午前 7:59 [ success ]
誇り君さん
>君主も家臣も命がけで 国家を守る。
そういった「大義」でたくさんの方が、礎になっていったのですね。
それもすごく価値のある生き方だと思います。
いつもご来訪、ありがとうございます。^^
2011/7/18(月) 午前 8:01 [ success ]