セクシャリティにこだわるな!
私は30才になるまではバイセクシャル(男も女も好き)で
女性相手にはバリタチ(受身は一切しませんよなセク)でした。
その時は私が受身になることは絶対に無理だし、ないと思ってました。
ある日を境にリバタチ(責め主体だけど受身にもなりますよなセク)になりました。
転機があったんですね。
その時くらいからパンセクシャル(あらゆる性別、セクシャルが好き)と確立しました。
それもこれもまたの機会に話すとして。
レズ友と話すとだいたいセクシャリティの話しになります。
「私はバリタチだよ。受身とか無理」
「えー、ボイじゃないのにリバでしょ?経験ないだけじゃない?」
「無理、私は絶対バリタチだよ」
「あなたはタチでしょ?」
「私はリバだよ。フェアがいいの。何でも半分こ」
「でも主導権にぎってるでしょ?」
「そんなことないよ 半分こがいいの」
「私はバリネコだよ」
「相手に何もしたいと思わないの?」
「してみたいとは思うけど…」
「FTXです。付き合うのはノンケが多くてバリタチになってしまう」
「されたくないわけじゃないんでしょ?それで満足?」
「あまり考えてないよ」
「私は相手に合わせてタチにもネコにもなるよー」
「それはリバってことでしょ?」
「リバにもなるよ」
「え?」
「え?」
「男性経験ないけどバイだよ」
「え?そんなに女が好きなのに?」
「レズ寄りのバイだね」
「私はパンセクシャル」
「なにそれ?バイじゃないの?どんな人が好きなの?」
「どんな人でも好きになった人が好きな人だよ」
「?????」
ビアン同士、セクマイ同士と言ってもお互いを理解できるわけじゃありません。
それぞれ考え方や愛し方があって、
それぞれを理解しようとすると頭から煙出そうなくらい考えてもうわっけわからなくなる。笑
そんな時、友達が言った「セクシャルに拘り過ぎなんだよ」
あうっ。。。私こだわってました。
「ビアンは分類するのが好き。分類に拘る。そんなのどーだっていい」
とは海外ドラマの『Lの世界』のシェーンのセリフ。
ただね、こだわってしまう私も思ったわけですよ。
性別には男と女しかないでしょ。
「私は女です」なんて自己紹介聞いた事がない。
はたまた「男性を責めるのが好きで、受身は少しでいいんです」とか
「私は責めができません」なんかもあまり言うことじゃないよね。
なんでそんなに分ける必要があるのかと。
タチ(能動的)、ネコ(受動的)、リバ(どっちも)であとはこだわる必要があるのかと。
特に"バリ"がつく人。
SEXって2人が愛し合うものでしょ?それって一方的な愛じゃないの?
と疑問でしょうがなかった(自分もそうだったくせに)
今となっては愛し合う形は人それぞれだと思うけど、まぁ聞いて。
あ、FTMと付き合ってる女性は別ね。
そこは同性愛ではなくて、特殊な異性愛だから別の話しだ。
"バリ"タチの中には内在的にFTMである人や性別違和症候群の傾向にある人とか、
またはただ受身になるきっかけを失っているだけの人に分けられるのかなと。
後者の場合は相手には積極的にできても、自分に対するものとなると消極的になりがちだからだと思う。
日本人は自分に自信がない人が多いらしい。
自分の長所はすぐ答えられないのに、短所は多く並べられる人がほとんどという何かの結果をみたことがある。
(ちなみにアメリカだと外見も内面も長所を並べまくって、短所は「ない」と言い切る人が多かったのは驚いた)
そうゆう心理も関係してくると思った。
FTMで強く心身の性の一致を求める人がトランスセクシャル。
バリタチの中には手術までは望まないトランスジェンダーがいてもおかしくないよね。
違和感を感じてるにも関わらず、
そうゆうことを話す機会や知る機会がないために自分をよくわからずレズに生きているのか…。
あ゛ーまた頭から煙が出そう!プシュー
タイトルに反して私がこだわりまくり。笑
セクなんかどうでもいいんだ!
はい、もう説得力ゼロ。笑
同性愛を知ることが難しい世の中だから色々考えてしまうわけで、
「お前は何者なんだ!」じゃなくて、ありのままを受け入れられれば
こんなに難しく考えることも、わざわざ言うこともなくなるんだろうと思う。
好きな人、恋人、パートナーと相対した時に自然体で幸せだと思う自分が全て。
それでいいじゃない。
自分も他人も細かく分類することはない。
どんなに考えて分類しても、好きになった相手によって変わったりするのもよくある話し。
セクにこだわらず、ありのままの自分でいいじゃないの。
しっくりまとまらないな;
混同する記述をしましたが、FTMは同性愛者じゃありません。
FTMは男だから、恋愛対象が男ならゲイだし、女なら異性愛者です。
ってそんなこともいちいち言う必要もないのさ。
でも特にヘテロ世界では理解されにくい話しなわけで、
また現実的に同性愛にしても受け入れ姿勢がなされていない状況で、
セクシャルマイノリティの中で神経質になる人の気持ちもわからんでもないが、
でっかくいこうよ、人生は!(なんかのキャッチコピーだった?)
やっぱりしっくりまとまらず。
マジョリティもマイノリティも仲良くしようよ!
んー、違うな。適当すぎる。
早くパートナーシップ制(同性婚)認めてくれよ!
先ずはこれだな。
現状ヘテロとフェアじゃないし、
いくらありのままと言っても社会的に認められないんじゃ生きづらくてかなわん。
社会周知がんばんべー!!エイ、エイ、オー! ←本題見失ってる気がして声小さめw
いつになく、グッダグダでぐっちゃぐちゃ。笑
Special Thanks!(PC用表示で閲覧可)に『キセキ』を追加しました。
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女性相手にはバリタチ(受身は一切しませんよなセク)でした。
その時は私が受身になることは絶対に無理だし、ないと思ってました。
ある日を境にリバタチ(責め主体だけど受身にもなりますよなセク)になりました。
転機があったんですね。
その時くらいからパンセクシャル(あらゆる性別、セクシャルが好き)と確立しました。
それもこれもまたの機会に話すとして。
レズ友と話すとだいたいセクシャリティの話しになります。
「私はバリタチだよ。受身とか無理」
「えー、ボイじゃないのにリバでしょ?経験ないだけじゃない?」
「無理、私は絶対バリタチだよ」
「あなたはタチでしょ?」
「私はリバだよ。フェアがいいの。何でも半分こ」
「でも主導権にぎってるでしょ?」
「そんなことないよ 半分こがいいの」
「私はバリネコだよ」
「相手に何もしたいと思わないの?」
「してみたいとは思うけど…」
「FTXです。付き合うのはノンケが多くてバリタチになってしまう」
「されたくないわけじゃないんでしょ?それで満足?」
「あまり考えてないよ」
「私は相手に合わせてタチにもネコにもなるよー」
「それはリバってことでしょ?」
「リバにもなるよ」
「え?」
「え?」
「男性経験ないけどバイだよ」
「え?そんなに女が好きなのに?」
「レズ寄りのバイだね」
「私はパンセクシャル」
「なにそれ?バイじゃないの?どんな人が好きなの?」
「どんな人でも好きになった人が好きな人だよ」
「?????」
ビアン同士、セクマイ同士と言ってもお互いを理解できるわけじゃありません。
それぞれ考え方や愛し方があって、
それぞれを理解しようとすると頭から煙出そうなくらい考えてもうわっけわからなくなる。笑
そんな時、友達が言った「セクシャルに拘り過ぎなんだよ」
あうっ。。。私こだわってました。
「ビアンは分類するのが好き。分類に拘る。そんなのどーだっていい」
とは海外ドラマの『Lの世界』のシェーンのセリフ。
ただね、こだわってしまう私も思ったわけですよ。
性別には男と女しかないでしょ。
「私は女です」なんて自己紹介聞いた事がない。
はたまた「男性を責めるのが好きで、受身は少しでいいんです」とか
「私は責めができません」なんかもあまり言うことじゃないよね。
なんでそんなに分ける必要があるのかと。
タチ(能動的)、ネコ(受動的)、リバ(どっちも)であとはこだわる必要があるのかと。
特に"バリ"がつく人。
SEXって2人が愛し合うものでしょ?それって一方的な愛じゃないの?
と疑問でしょうがなかった(自分もそうだったくせに)
今となっては愛し合う形は人それぞれだと思うけど、まぁ聞いて。
あ、FTMと付き合ってる女性は別ね。
そこは同性愛ではなくて、特殊な異性愛だから別の話しだ。
"バリ"タチの中には内在的にFTMである人や性別違和症候群の傾向にある人とか、
またはただ受身になるきっかけを失っているだけの人に分けられるのかなと。
後者の場合は相手には積極的にできても、自分に対するものとなると消極的になりがちだからだと思う。
日本人は自分に自信がない人が多いらしい。
自分の長所はすぐ答えられないのに、短所は多く並べられる人がほとんどという何かの結果をみたことがある。
(ちなみにアメリカだと外見も内面も長所を並べまくって、短所は「ない」と言い切る人が多かったのは驚いた)
そうゆう心理も関係してくると思った。
FTMで強く心身の性の一致を求める人がトランスセクシャル。
バリタチの中には手術までは望まないトランスジェンダーがいてもおかしくないよね。
違和感を感じてるにも関わらず、
そうゆうことを話す機会や知る機会がないために自分をよくわからずレズに生きているのか…。
あ゛ーまた頭から煙が出そう!プシュー
タイトルに反して私がこだわりまくり。笑
セクなんかどうでもいいんだ!
はい、もう説得力ゼロ。笑
同性愛を知ることが難しい世の中だから色々考えてしまうわけで、
「お前は何者なんだ!」じゃなくて、ありのままを受け入れられれば
こんなに難しく考えることも、わざわざ言うこともなくなるんだろうと思う。
好きな人、恋人、パートナーと相対した時に自然体で幸せだと思う自分が全て。
それでいいじゃない。
自分も他人も細かく分類することはない。
どんなに考えて分類しても、好きになった相手によって変わったりするのもよくある話し。
セクにこだわらず、ありのままの自分でいいじゃないの。
しっくりまとまらないな;
混同する記述をしましたが、FTMは同性愛者じゃありません。
FTMは男だから、恋愛対象が男ならゲイだし、女なら異性愛者です。
ってそんなこともいちいち言う必要もないのさ。
でも特にヘテロ世界では理解されにくい話しなわけで、
また現実的に同性愛にしても受け入れ姿勢がなされていない状況で、
セクシャルマイノリティの中で神経質になる人の気持ちもわからんでもないが、
でっかくいこうよ、人生は!(なんかのキャッチコピーだった?)
やっぱりしっくりまとまらず。
マジョリティもマイノリティも仲良くしようよ!
んー、違うな。適当すぎる。
早くパートナーシップ制(同性婚)認めてくれよ!
先ずはこれだな。
現状ヘテロとフェアじゃないし、
いくらありのままと言っても社会的に認められないんじゃ生きづらくてかなわん。
社会周知がんばんべー!!エイ、エイ、オー! ←本題見失ってる気がして声小さめw
いつになく、グッダグダでぐっちゃぐちゃ。笑
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