政府が約束した見直しは、極めて不十分だった。東日本大震災に伴う復興予算が、被災地以外に流用されていた問題である。今回表面化したのは、省庁所管の公益[記事全文]
「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」憲法41条には、こうある。だが、その名に恥じない働きをしていると胸を張れる議員は、どれだけいるのか。[記事全文]
政府が約束した見直しは、極めて不十分だった。
東日本大震災に伴う復興予算が、被災地以外に流用されていた問題である。
今回表面化したのは、省庁所管の公益法人や都道府県に積まれた「基金」の使い方だ。
たとえば、大半の道府県では森林保全の基金を通じて林道整備に使われた。
緊急雇用対策の基金にいたっては、浜にあがってくるウミガメを数えるといった「保護監視」事業や、ご当地アイドルの活動費など、およそ震災復興とは関係ない使途が目白押しだ。
「日本経済の再生なくして被災地の復興なし」という大義名分のもと、復興予算が何でもありの中身になったことに根本的な原因がある。
復興予算の多くは臨時増税でまかなわれる。これでは国民への背信だ。被災地を支える気持ちにも水を差しかねない。
財務省は調査を進めており、基金からの支出の凍結を自治体などに求める方針という。本来なら、流用が発覚した昨秋の時点で、基金の実態も調べるべきだった。
基金制度は、景気対策などでもたびたび使われてきた。自治体などの判断を尊重しつつ素早く支出でき、年度をまたいだ活用も可能だ。使途が細かく決められ、年度中に使い切ることが原則の一般予算を補う役回りである。
その一方で課題も多い。目的からはずれた使われ方や、逆に未使用のまま放置されている問題が、会計検査院などからしばしば指摘されてきた。
どう改めていくか。
使途をきちんと公表する。それをチェックし、問題をあぶりだした上で、次の予算編成にいかす。この地道な作業を続けていくしかあるまい。
安倍内閣は、民主党政権が始めた「行政事業レビュー」を強化する方針だ。5千を超える政府の事業ごとに概要や予算額、執行状況を国民にわかりやすく公開しつつ、省庁が自ら検証する仕組みである。
基金についても、7月にデータを公表することを決めたところだった。予算への信頼を取り戻す第一歩として、さっそく真価が問われる。
ただ、予算案を決めるのは政府だ。それを自らチェックする仕組みには限界がある。
国会の責任は重い。
予算案の審議に偏りがちな現状を改め、決算にも目を光らせる。予算と決算のサイクルを通じて政府を監視し、注文をつける。それが本来の姿だ。
「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である」
憲法41条には、こうある。だが、その名に恥じない働きをしていると胸を張れる議員は、どれだけいるのか。
衆院小選挙区の一票の格差を是正し、選挙制度の抜本的な見直しをする。昨年11月の自民、公明、民主のこの3党合意は、ほごにされるのが確実だ。
制度改革をめぐる与野党対立が解けず、安倍政権は衆院の小選挙区定数を「0増5減」する新区割り法案について、衆院の3分の2の多数で再可決する方針を固めた。
これで一時しのぎの格差是正は実現する見通しだ。だが、それ以上は手がつかぬまま国会は幕を閉じ、抜本改革はうやむやに終わりそうだ。
最高裁が衆院の一票の格差を「違憲状態」と断じたのは、2011年の3月だ。国民への約束といえる3党合意や衆院選をへて、2年以上たったいまにいたってもこの体たらくだ。
与野党は、それぞれ定数削減や制度改革の案を出している。ただ、自民党は公明党の議席維持に配慮した複雑きわまる制度を唱え、野党の一部は極端な定数削減を言い募る。
要は、自分たちが有利になる制度を主張するばかり。有権者の意思をいかに適切に国会の議席に反映させるかという真摯(しんし)な姿勢はまったく見えない。
一方で、司法からの「違憲」あるいは「違憲状態」の判断に対し、「立法権への侵害だ」という反発がまかり通る。
党利党略がさまざまに絡み、自らの身を切る改革は難しいのだろう。だとしても、各党の間で妥協を図る政治的な意志も交渉術も持ちあわせないというならば、国会の手による改革は不可能だと認めるしかない。
1993年に自民党が下野し、自民党と社会党中心の「55年体制」は終わりを告げた。いまの小選挙区比例代表並立制の導入が決まったのは、翌94年のことだ。
それから6回の衆院選をへて、政権交代は2度実現した。一方、最近の3回の選挙では、得票率の差以上に議席数が大きく開くという小選挙区制の特性が如実にあらわれた。
いまの制度の点検を含め、衆院と参院の役割分担も念頭においた選挙制度の抜本改革をセットで考える。そのためには、首相のもとで各界の有識者らが議論する「選挙制度審議会」に委ねるしかない。
安倍首相はじめ各党党首は、その決断をすべき時だ。