会員なら、この商品は10%Amazonポイント還元 (ポイントが表示されている場合は、表示ポイント+10%還元)。 |
登録情報
|
前者は例えば、心の専門家が新しいタイプの人間管理の手先になる可能性や、生活における苦悩をすべて心の問題にすり替えて片づけてしまう可能性についてであり、後者は例えば、心という領域まで商品化されてしまう傾向への不安、心の専門家に依存することでますます生身の人間同士のつながりが希薄になっていくことへの不安、個人の問題に還元することで社会が問われなくなることへの不安である。よく読むと、特に後者(社会)についての指摘が多いように筆者は思う。
問題意識自体は本質的なので、心理療法の初学やカウンセリングに大きな期待を持っている人にとっては一読に値すると思われる。
しかし一方で、心理療法の現状についてそれ程正確な描写がなされておらず(例えば不登校に関する下りなどかなりヒドイ)批判がやや的はずれな箇所のある点と、問題が生じる可能性の指摘や社会に関する理想論が先行して、建設的な提案が皆無である点を不満要因としてあげておこう。「縁の思想を大切にしたい」と述べるだけの結論部分のお粗末さにはがっかりしたものである。心の専門家サイドにも社会的理想と現実とのギャップを埋めるささやかな実践として心の専門職を行っている人々もいるわけで、どうせならそういった人との連携などを通して、より建設的な提案を聞きたいと思った。
これまで長く臨床心理学に携わってきた著者であるが、以前からカウンセリングに対して違和感を持ちながら、今「臨床心理学論」を唱えているその切り口は鋭い。
「心の専門家」は基本的に没社会的・個人還元的で、問題を社会の問題としてではなく、個人の資質や家族のいたらなさ、つまり個人の問題へ閉じ込めていく役割を担っているのではないか。困難に陥った者が真に求めているものは、心の専門家ではなく、自分のおかれた困難な状況を理解し、その状況を切り開いていくべく「共にたたかって」くれる仲間と出会うことである、という著者の意見に共感するところが多い。
人が困難に出会ったとき、安易に心の専門家に向かうのではなく、その人自身の日常生活の関係性の中に、困難に向かう力を見いだしていくことの大切さを痛感させられた一冊である。
|
|