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2013年6月2日(日) 東奥日報 ニュース



■ 107年前のレール、沢筋に/中泊

写真
ほぼ平行な森林軌道のレールが残る沢筋=5月26日、中泊町小泊の板割沢
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 明治、大正、昭和と全国の山間部で木材の搬出に使われた森林軌道(森林鉄道)。県内では津軽、下北半島を中心にヒバの搬出などに活躍したが、戦後はトラック輸送が取って代わり、路線廃止とともにレールは撤去された。ところが、中泊町小泊の板割沢の沢筋に、小泊林道板割沢支線のレールの一部が残っていることを、地元の歴史研究家らが今春確認。全国で2番目に古い1906(明治39)年敷設のさび付いたレールは、トロッコが行き来し、ヒバの切り出しが盛んだった往事を、ひっそりと今に伝えている。

 板割沢で森林軌道のレールを確認したのは、小泊の歴史を語る会会長で中泊町文化財審議会委員長の柳澤良知さん(74)=中泊町小泊朝間=と、元森林鉄道保線手の伊南義美さん(78)=同小泊砂山=。伊南さんは森林管理署の林野巡視などで山に入るうちに、数年前から沢筋にレールがあることに気づき、地元の歴史に詳しい柳澤さんに連絡。二人は雪解けを待ち、今年4月から確認作業を続けていた。

 明治時代に敷設されたレールは、土中に長い間埋もれ、大雨による土砂の流出で露出したり、水際にさび付いたものが目につく。1本が約5.5メートルで、折れたり、ねじれているレールが多いものの、板割沢の全域で35本ほどが確認された。

 中には平行な2本のレールがそのまま残り、敷設当時の面影をとどめているところもあった。水中に枕木が沈んでいたり、1カ所にレールが10本ほど、まとまって残っているところもある。

 青森市森林博物館の元専門員・草〓(くさなぎ)與雄さん(青森市)によると板割沢支線は05(明治38)年、車道として開設され、06年、小泊林道とともに青森営林局初の軌道が敷設された。国内では和歌山県九度山町の軌道が04年の敷設と最も古いものの、数年で撤去されたという。

 板割沢支線の軌道は板割沢に沿って山中に延び、延長は約1660メートル。伐採したヒバなどをトロッコに積み、勾配を利用して人力で搬出していた。49年、小泊林道と合併して支線の名称が消え、65年に全面廃止された。

 廃止後、軌道は撤去するのが一般的だが、伊南さんは「本線なら廃止とともにレールを取り外すが、軌道跡を林道として活用する計画もなく、支線のため予算や作業員の確保まで手が回らなかったのではないか」と推測している。

 かつて営林署に勤務していた伊南さんは「板割沢支線は、52年に一度だけ保線の応援で入った記憶がある。廃線になり、レールはとっくに取り外したと思っていたのに、まさか残っているとは」と驚きを隠さない。

 柳澤さんは「山奥まで軌道を敷いた当時の労苦と情熱に圧倒された。沢で何かにつまずき、レールだったこともあったが、見つけるたびに『忘れないでほしい』という叫びを聞く思いがした」と古いレールを見つめていた。

※「草〓與雄さん」の「〓」は「弓」へんに「剪」

 ◇

森林軌道・森林鉄道 山間部で切り出した木材搬出のため作られた専用鉄道。トロッコに木材を積み、勾配を利用して、人力などで運搬する森林軌道と、機関車でけん引する森林鉄道に大別される。主に津軽半島のヒバ輸送に使われた「津軽森林鉄道」は1908(明治41)年に部分開通し、全国初の森林鉄道として知られる。県内には約200路線、総延長千キロを超える森林鉄道があったものの、トラック輸送の普及とともに衰退。70(昭和45)年までにすべて廃止された。

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