2012年06月03日

追悼!尾崎紀世彦〜また逢う日まで 逢える時まで

5月30日


歌手の


尾崎紀世彦【おざき・きよひこ】



さんが 肝臓癌の為 69歳で亡くなられました



4月に 突然失踪騒動として ワイドショーに取り上げられ 大騒ぎでしたが 人知れず入院していたんですね




尾崎紀世彦


父親が イギリス人で

母親が日本人



元々 コーラスグループ


ザ・ワンダースのメンバーとして活動



数々のテレビアニメの主題歌を唄い


大人の事情で


ワンダースじゃなく


ジ・エコーズ名義で唄った




【ウルトラセブン】がヒット


冒頭の


(セブン セブン セブン
セブン セブン セブン セブン…)



の 3番目に セブンを唄っている男性が

尾崎紀世彦であることは あまりにも有名ですよね



昭和45年



【別れの夜明け】で

ソロデビュー



翌年の昭和46年に

唄った 2作目の



【また逢う日まで】


が ミリオンセラーになる大ヒットで


一躍その名を高めます



実は この曲



尾崎紀世彦のオリジナルでは ありません


なんと3度目の正直でヒットした歌なんです


元々



アンパンマンの生みの親



やなせたかし が 作詞した



エアコンのCMソングとして


筒美京平が曲を付けましたが


なんと スポンサーからの意見で CMがボツとなり この曲は日の目を見ませんでした




曲を気に入っていた


筒美京平は


新たに


作詞家の 阿久悠の歌詞に巡り合います



阿久悠は 安保闘争で挫折した青年を描いた
歌詞を付け



【ひとりの悲しみ】

というタイトルを付け


グループサウンズで人気だった



ズー・ニー・ヴー の唄で レコード発売されるも ヒットしませんでした




このメロディーを気に入っていた、尾崎紀世彦自身がこの曲を唄いたいと熱望



そこで阿久悠は 新たに


歌詞を付けます



それが




【また逢う日まで】




この歌詞のテーマは

男女対等



これまでの歌謡曲は

別れる時


すがる女を 残し

1人部屋を出ていく男と 残された女の哀しみを描いた作品が多く


阿久悠は フランス映画のセリフのような



男 (また逢う日まで)

女 (ええ また逢えるその時まで)



2人は 一緒に住み慣れた部屋を出て行き


2人で表札の名前を消し



2人で 別れの挨拶を
して 別々の道へ



そんな意味が この詩にはあるんだそうですよ




今回は 2番の歌詞から


(また逢う日まで
逢える時まで


あなたは 何処にいて

何をしてるの


それは 知りたくない


それは ききたくない


たがいに 気づかい

昨日に もどるから



ふたりで ドアをしめて


ふたりで 名前消して


その時心は 何かを話すだろう)



この曲は 9週連続1位を獲得



この年の日本レコード大賞のグランプリを獲得




阿久悠にとっても

筒美京平にとっても

初のレコード大賞受賞曲



さらに 紅白歌合戦にも 初出場



翌年の 高校野球の入場行進曲にも選ばれました




【また逢う日まで】の大ヒットの中


続く




【さよならをもう一度】



も ヒットしました




作詞は 阿久悠


作曲 川口真




(ラララ…



いつか 逢える

きっと 逢える

さよならは 愛の ことばさ



さよならを もう一度あなたに


去って行く その肩に



今日で 終る わけではないと


声を出して 教えたいの


このままいると こわれそうな 二人だから

はなれるのさ




いつか逢える きっと逢える



さよならは 愛のことばさ)




翌年 昭和47年に唄ったのが



ニーノ・ロータ作曲の

映画音楽


【ゴッドファーザー 〜愛のテーマ】この曲に 千家和也が日本語詩を付け 唄い大ヒットし



2回目の紅白歌合戦に出場しました




(広い世界の片隅に

やがて二人の 朝がくる


あふれる光が ほほの涙を うつしだす



愛する心に 言葉は いらない



どうぞ 一人で 泣かないで



忘れかけてる 悲しみを 窓から 逃がして


そっと二人で 見送ろう)




尾崎紀世彦は



この後 長いブランクを経て



平成2年 久々の紅白歌合戦に出場して



【また逢う日まで】を唄い 3回目の出場を果たしましたが これが紅白歌合戦には最後の出場になりました




その後 アニメソングを歌ったり



ビールのCMソングになった





【サマーラブ】を昭和62年にヒットさせます


平成になると

尾崎紀世彦は 復活します



それが




【THE 夜もヒッパレ】

という番組への出演



この番組は かつてヒットを飛ばし 少し低迷していた歌手が


最新のヒット曲を唄うのが 人気の番組で



僕は よく ヒッパレを見ていたので よく 尾崎紀世彦が出演していたのを覚えています




6月1日の音辞苑で


Mr.Childrenの



【イノセントワールド】



をご紹介しましたが


僕の記憶が正しければ


尾崎紀世彦が ヒッパレに初出演した時に
唄ったのが




【イノセントワールド】


だったような気がします



難しかったと言いながら 歌い上げていた姿を 覚えています




ダイナミックな歌声と
もみあげ姿が 忘れられない 歌手でしたよね



追悼の最後に


尾崎紀世彦が唄った

NHKみんなのうた


2作品をご紹介しましょう



まず



昭和52年に初放送された



【秋物語】



原曲は フランスの



【悲しきイルカ】



劇作家の



山元清多が 寂しがり屋の人間の男の子を
なぐさめていて


秋になっても帰らず

冬に凍え死んだ ツバメを歌詞にしました





(それは お人好しの ツバメの物語



なつがすぎたの しらずにいて


こごえた ツバメがいた


とおい 南の国 わすれたのか それとも

そらの道をひとり

はずれ あそんでいたからか


それが聞いておくれ


わらわないで そのわけを



さびしがりの おとこの子を なぐさめてたからさ



いまは だれも おぼえてない ちいさな物語


あきのおわり あさの道に おちてた ツバメがいた


それが聞いておくれ


わらわないで そのわけを


さびしがりの おとこの子と やくそくしたからさ




なぜか かなしいのさ


いまも なぜだろう



なぜか かなしいいろ

それは なぜだろう)




そして平成7年放送の



【ふるさとの五月】



作詞は 大津あきら


作曲 鈴木キサブロー



(ふるさとの五月は

母のぬくもり


風と若葉が かおれば


過ぎ去りし笑顔が


遠い声で 呼ぶ あなたは 愛しさの果て



青空も あの星屑も

此処に あるのに)




奇しくも この歌のタイトルと同じ


五月に 天国へ旅立ってしまいました



尾崎紀世彦さんの御冥福をお祈り致します





さてここで音辞苑アーカイブス




昨年6月3日の記事は




【庄内平野 風の中】



ご当地ソングの女王



水森かおり の昨年の
紅白歌合戦出場曲をご紹介しました


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