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 銀座で昼になる。「明月庵ぎんざ田中屋」で胡麻だれ蕎麦。美味しいのでお替り蕎麦を追加する。以前この店で、女優の紺野美沙子を見かけたが、蕎麦屋で芸能人に遭遇する確率は多い。神田の「まつや」で歌手の尾崎紀世彦、別所哲也、白金の「利庵」で俳優の三国連太郎、カメラマンの加納典明、恵比寿の今はなき「竹やぶ」で秋山庄太郎、川島なお美、麻布の「千利庵」で立川志の輔などなど。
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 蕎麦を食べ、店を出る。私が高校生時代の遊び場だった、みゆき通りをぶらぶら歩いて紅茶の「マリアージュ フレール」でお茶。店内に入るとジュリー・ロンドンの「クライミー・ア・リバー」が気だるくお出迎えしてくれる。<柑橘フルーツとヴァニラ香る上質な紅茶 フレンチ・サマーティー・テ・デ・マハラジャ>なるダージリンとアッサムをブレンドした爽やか系の紅茶を注文。ケーキも一緒にチョイスするが、どちらも満点つけたくなる美味しさで、満足。

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 上の写真は三愛ビルにひっそりと置いてある、「銀座の恋の招き猫」のごろべえ。1963年のビルの開業と同時に誕生したという。生みの親は有名彫刻家の流政之さん。60cmの御影石で出来ているが、撫でると恋が成就するとか。私は過去幾度となくこの前を通っているにもかかわらず、ご対面したのは今日が初めて。銀座は奥が深い。

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 4丁目の信号を渡って、山野楽器へ誘われるように入店。足は自然とエスカレーターで3階の禁断のジャズコーナーへ向かってしまう。誘惑に抗えず、結局試聴の結果次の4枚を購入する。①カサンドラ・ウィルソン「ラヴァリー」、②シェリル・ベンティーン「ソングス・オブ・アワ・タイム」、フランク・シナトラ「シナトラ、ザ・ベスト!」、④ゴールディ・ホーン「ゴールディ」。

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 さて、歩行者天国の銀座通りを楽しんだり、「MATSUYA GINZA」でお気に入りブランドのシャツを買ったりしてからいよいよ本日の目的、「立川談志・談春 親子会」へ行くために歌舞伎座に向かう。歌舞伎座の裏通り、木挽町あたりの路地で歌手のミッキー・カーチスとすれ違う。ああ、そうか、ミッキー・カーチスも立川流の芸能人コースに名を連ねていたはず。師匠の談志へお祝いにでも駆けつけたのかもしれない。

 談志もさることながら実はこの立川談春、いま最もチケットの取りづらい落語家のひとり。今日のチケットも5月9日発売と同時にあっという間に完売。座席数約2千という大会場の歌舞伎座への出演は談志も談春も初めてという。モチロン、私もチケットは買えなかった。が、談春の書いた随筆本「赤めだか」を読んだばかりの身としてはぜひ談春の噺を聴きたいし、談志の健在ぶりも確かめたい。

 で、どうにかヤフオクで一週間かけてチケットをゲットしたという次第。ちなみに、この本の書評を作家の重松清氏はこう書いている。【すたたたんっ、と物語は始まる。名調子である。冒頭の1ページ。決して技巧を凝らしているわけではないのに、言葉がはずむように目に飛び込み、胸にしみる。なにに似ているかと考えたら、漱石の『坊ちゃん』なのだった。なるほど。これはいい。

 弟子入りから始まって、前座時代、二ツ目時代、そして真打ち直前まで・・・・。談春師匠の自叙伝は、同時に立川談志師匠率いる立川流の内幕話でもあり、抱腹絶倒にしてホロリとくる若手芸人たちの群像劇でもある。なにより、談志師匠、柳家小さん師匠、そして桂米朝師匠といった御大たちの肖像が素晴らしい。

 なかでも「揺らぐ人」である談志と最晩年の小さんとの微妙で複雑な師弟の情と、それ理解しつつも翻弄され、もどかしさやせつなさをグッと呑み込んで「師匠とは、弟子とはなにか」を噛みしめる談春さんの情は、芸人の世界のドラマを超えて読み手の胸にも深く、熱く、迫ってくる。

 優れた回想型青春記は、描かれている青春そのものの魅力だけで成立しているのではない、と僕は考えている。それを振り返る作者が、あの頃といまとの距離をどうとっているか。たんに懐かしむだけならつまらないし、オトナの視線でクールに(自分に都合良く記憶を改鼠しつつ)振り返ってしまうと、もっとつまらない。かといって過去にべったり入り込みすぎると、それこそ酒の勢いを借りた思い出話となにも変わらなくなってしまうのではないか】と。

 5時半入館。久しぶりの歌舞伎座だ。館内は補助席まででる満席状態で、開演時間の6時になるといよいよ出囃子が鳴りだした。さて、この出囃子が鳴りおわり、観客は緞帳が上がるのを今か今かと期待して舞台に熱い視線を向ける。が、緞帳は一向に上がらない。3分経っても、5分経ってもそのまま。隣りに座った客が、「談志だもの、何が起こるかわかりゃしない」と呟くのが聞こえる。

 どうにか再度の出囃子で緞帳が上がり、舞台中央の奈落から二人そろってお辞儀姿で登場。場内割れんばかりの大拍手で二人を迎える。久しぶりにみる談志はひとまわりしぼんでしまったように小さく、老いていた。喉の病気のせいもあるかもしれないが、声も聞きづらい。72歳の天才噺家はこの日弟子の盛りたて役にまわり、小話とジョークで高座を繋いだ。やれ露悪趣味的ナルシズムだの、衒惑的饒舌だのと揶揄された独特の毒舌もやや鳴りを潜め、談志自身が言うようにこれが最後の高座になるやも知れぬという気持ちにさせる。

 初めて談志をみたのは、私がまだ高校生のころ。友達のY君と三越だったか伊勢丹だったかのデパートのホールでのことだった。真打となって五代目立川談志を襲名して3,4年後の頃だったかもしれない。落語ではなく、スーツ姿でのトークショー的なものだった。いま記憶にあるのは、トークの中身より談志の着ていたスーツのデザインや袖口のカット、ボタンの色だった。斬新で洒落ていた。ちょうど、色気づき始めていた高校生の私はチョッピリ憧憬の眼差しでそれらを見詰めていたのだった。

 以来、テレビはモチロン(「笑点」の司会や、深夜放送の「落語のピン」はすべて録画して)、高座に通ったのも10回はくだらないだろう。十八番の噺の一つ、「芝浜」も絶好調の時期に聴いていて至福の時を堪能している。その程度のファンである私にしても、今日の談志は少し寂しい。もっともっと、たくさんたくさん、好調時の談志を聴いておけばよかった、そう感じた。

 まっ、CDやDVDもたくさん発売されている。一期一会のジャズと一緒、記録されたメディアで楽しむしかないのだ。そういうことだと、私は自分を納得させた。そうそう、DVD「笑う超人 立川談志X大田光」の特典映像の中に収録されている談志の「鼠穴」、わたしが言うのもなんですが絶品でオススメです。

 さて、この夜の立川談春はというと、最初に「慶安太平記」というめずらしい噺から「善達の旅立ち」。寄進300両を江戸から京都まで運ぶ役目の寺の坊主。これに付きまとうは飛脚に成りすました反徳川の盗賊。で、こいつが狙うは江戸からの紀伊徳川への献上金三千両だ。うん、景色が目に浮かんでくる。談春、喋り方もきれいで正統派を感じさせる。この噺、意外なところでさげが待っていて、私など「えっー、そこかよ」と思わず声を出してしまう。

 仲入り後の談春2席目は、おおっなんと「芝浜」だ。イエモトの十八番だ、場内シーンと固唾を呑む。マクラなしでいきなり、「ねぇ、あんた時間だよ、起きておくれよ」と女房が勝公を起こすシーンから始まる。談春は落ち着いている。噺のテンポもゆっくりと間を持たせて、仕草ひとつで観客の想像力を喚起しているかのようだ。

 じつは今日発売の雑誌、「en-taxi」の対談(立川談春・柳美里・福田和也)で談春はこういっている。【芝浜の朝焼けの色が何色で・・・・ということは一切言わなくて、目だけで表現できたらいいと思うんです。黙ってタバコを吸っていて、何かボソッと感想を言って財布をただ拾う。それくらいの表現で全部伝えることができないかなって思っているんですけど、でもやっぱり怖くて何か言っちゃう。何も描写せずに、目だけで「あいつは夜明けの風景を見ているんだなあ」と思わせたら凄いだろうなと思う】と。

 はたして、今夜の観客がそう思ったかどうかはわからない。が、私には情景が見事に浮かんできて、浜の汐風すら感じたほどだ(へへっ)。モチロン、私がかって聴いた談志の「芝浜」とはまるで違う。客が泣けばいいってもんじゃないのはわかっているが、あのとき談志の「芝浜」を聴いたあのとき、周囲の客はほとんど泣いていた。私も感動して泣いた。なかには号泣している客もいた。あのとき、出口に向かう客たちの中には「ああ、いい噺を聴いた」と目にハンカチを当ててお互いに言い合っているのをたしかに私は聞いた。文化を超えた芸術をそこに見たと思った。

 ホメ過ぎるのもナンだが、芸能を芸術に高めて見せて欲しい。毎回でなくともいいのだが、私も世間も感動を求めている。談春の春はまだ遠いのだろうが、ぜひ師匠を越えた感動をいつか見せて欲しいと感じた一夜だった。最後に談春が舞台で挨拶をする。「こんなカタチでお届けしてよかったのかどうか・・・・・」すると、私の後ろの客が「よかったに決まってるじゃない」と小さい声で呟く。ファンとはいいもんですね、談春!

 蛇足ですが、会場内でフリーになった山中秀樹アナ、フジの阿部知代アナ、TBS2時チャオ!の久保田智子アナなど多数のアナウンサーを見かける。トークというフィールドでは同じなので、勉強がてらに現在旬の芸人を見ておこうということだったのか。

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