自費出版のリブパブリのブログ

現代史、進化、人類学・考古学、動物生態学など、様々な分野の呟き(しかし長文の)を展開します。
 海外旅行が好きなので、その訪問記なども随時、紹介していきます。


テーマ:

kawanobu日記/南米周遊――ウルバンバ川に面したマチュピチュ村のホテル;ジャンル=紀行 画像1

kawanobu日記/南米周遊――ウルバンバ川に面したマチュピチュ村のホテル;ジャンル=紀行 画像2


kawanobu日記/南米周遊――ウルバンバ川に面したマチュピチュ村のホテル;ジャンル=紀行 画像3


 ペルーレイルの美しくもスリリングな渓谷を縫う列車旅は、1時間半ほどで終わった(写真上)。発車が午後3時37分で、到着は5時02分、と旅程表にある。デジカメの撮影時間を見ると、ほぼ定刻にマチュピチュ村駅に着いた(写真中央)。世界遺産マチュピチュ遺跡の拠点の村である。

割当の部屋は浴槽なし
 ホテルは、ウルバンバ川河岸段丘上の狭い土地の線路際の土産物店の並ぶ道を歩いて5分ほどの所にある。道が狭いので、我々は時折、線路上を歩いてハナクパチャというホテルに入った。
 部屋に浴槽のあるものとない部屋がある、と予め添乗員さんに言われていた。浴槽のある部屋に当たった人はラッキーだと思ってください、という。これまでの飛行機・列車の座席指定からアンラッキーが続いているので、浴槽などないと覚悟し、部屋に入ったら、はたしてシャワーだけの部屋だった。
 シャワーだけはいいのだが、部屋にバスタオルだけで、バスマットもハンドタオルもない。後で届けてもらうことにする。

出発1週間にして初めて日本のニュースに
 ただウルバンバ川渓谷に面していて、窓からの景色はいい。大きな丸石がゴロゴロと転がる幅10メートルほど急流の先、目の前には高さ400メートルはありそうな断崖絶壁が聳え立つ。この岩を削って渓流が発達したのだ。翌日、インティプンク(太陽の門)に登る途中、村を見下ろしたら、まさにこの岩山が切り立つように立っていた。ウルバンバ川は、この岩山をぐるりと回り込むようにして流れていた(写真下=画面中央に小さく列車が見える。PCの方はクリックして拡大してご覧下さい)。
 当然ながら鉄砲水が出れば、ホテルなど流されてしまう。ただホテルは、見た感じ、築40年といったところで、設備も古いので、その心配はないのだろう。
 リブパブリは、はるかマチュピチュ村で、この日、出発後に初めて日本のニュースを見た。部屋に備え付けられている年代物の14インチのブラウン管テレビだが、NHKの国際放送が入る。
 この日は、5月31日で、日本をたって1週間になる。政局や国際経済で何か動きがあるかと見たら、ユーロが大きく売られ、ドルも98円と安い。
 当然ながら、東京市場は株安、である。これでまた景気が悪くなるのか、と暗い気分に陥った。

尾崎紀世彦の死とゴッドファーザー
 夕食で1階のロビーに集合したら、ツアー一行のおばさんの1人が尾崎紀世彦が死んだ、と言っていた。彼の死を伝えたおばさんの世代にとって、尾崎紀世彦は忘れえぬ歌手なのだろう。
 晩年は、とっくに忘れ去られているのに、ドサ回りなどで自分を安売りすることを潔しとせず、都税を滞納したりしたプライドの高かった歌手である。リブパブリは、彼のヒット曲である『また逢う日まで』は知らないが、『ゴッドファーザー~愛のテーマ』だけは聞いたことがある。凄い歌唱力だと驚いた記憶がある。その後、カラオケでこの歌に挑戦したことがあるが、とても歌いきれなかった。
 映画『ゴッドファーザー』は三部作を全部見たが、第1作が一番、印象に残る。最初に見た時は映画の背景をなかなか理解できなかったが、そのうち現代史を深めるにつれ、なぜシチリア・マフィアがアメリカの裏社会を支配するようになったかを、そしてイタリアの「南北問題」を学んだ。『ゴッドファーザー』は、その入口となった忘れられない映画であった。
 その主題歌を日本語で歌ったのが、尾崎紀世彦である。若い世代で、彼ほどの歌唱力のある歌手も少ないのではないか、とおばさんの話を聞きながら、ボンヤリと思っていた。

昨年の今日の日記:「暴虐の前『皇帝』にして反日扇動家、中国の前総書記、江沢民危篤の報によせて」
PR

気になるキーワード