6/15(土)藤倉大・全ピアノ曲+シュトックハウゼンI-XI
2013年 06月 03日
毎年初夏に芦屋で開催しているリサイタル・シリーズでは、関西出身・在住の作曲家をフィーチャーしています。2011年は塩見允枝子(箕面市在住)の《フラクタル・フリーク》全曲のほか、山路敦司(大阪電通大教授)・田村文生(神戸大准教授)への委嘱作を、2012年は片岡祐介(京都市在住)・副島猛(京都市在住)への委嘱作を初演しました。
(この3年間東京で続けて来た「POC」のシリーズの原点は、1994年5月に芦屋・山村サロンで開催した西村朗作品個展でした。「POC」の命名者は西村氏で、このときが実は、大阪出身の西村氏にとって関西での初個展でした。)
今年(2013年)の第1回公演は、大阪府摂津市出身の藤倉大氏の全ピアノ作品を取り上げます。既に東京ではオーケストラや室内楽などで何度も個展を開いている藤倉氏ですが、地元・関西で作品がまとめて演奏される機会はこれが初めてとの事。現在作品リストにある全ピアノ曲(破棄作は除く)が通奏されるのも、今回が世界初のようです。なお、タレント・歌手の鈴木紗理奈さんとは、摂津市立第三中学校で同学年、同じ陸上部だったそうな。
シュトックハウゼン(1928-2006)と藤倉氏(1977- )はちょうど50歳違いにあたります。今回は、彼らが20歳~30歳代に書き継いだピアノ作品群を、作曲順に取り上げていきます。
大井浩明・連続ピアノリサイタル2013 in 芦屋
Hiroaki OOI Klavierabend-Reihe 《STOCKHAUSEN UND DANACH》
山村サロン (JR芦屋駅前・ラポルテ本館3階) 芦屋市船戸町4-1-301
チケット:全自由席 前売り¥2500 当日¥3000 3回通しパスポート¥7000
予約/問い合わせ: 山村サロン 0797-38-2585 yamamura (at) y-salon.com
[チラシpdf http://twitdoc.com/20SS]
【第1回】 2013年6月15日(土)18時開演(17時30分開場)
――――藤倉大とシュトックハウゼンによる初期ピアノ曲群
藤倉大
《2つのエチュード》~「I. フローズン・ヒート」「II. ディーペンド・アーク」(1998) 約12分
シュトックハウゼン
クラヴィア曲 I (1952) 約3分
クラヴィア曲 II (1952) 約2分
クラヴィア曲 III (1952) 約30秒
クラヴィア曲 IV (1952) 約2分
クラヴィア曲 V (1954) 約5分
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藤倉大
《もろもろ》(2003)[ピアノと電子音響] 約8分
シュトックハウゼン
クラヴィア曲 VI (1954/61) 約25分
――――――――――――(休憩15分)―――――――――――――
藤倉大
《リターニング》(2006) 約4分
《ジュール》(2009) 約10分
シュトックハウゼン
クラヴィア曲 VII (1955) 約6分
クラヴィア曲 VIII (1954) 約2分
クラヴィア曲 IX (1954/61) 約10分
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藤倉大
《ミリアンペア》(2010)[トイピアノ独奏] 約3分
シュトックハウゼン
クラヴィア曲 XI (1956) 約12分
藤倉大
《2つのピアノ小品》~「I. セクセク(けんけん遊び)」「II. 綾取り」(2011) 約6分
シュトックハウゼン
クラヴィア曲 X (1954/61) 約25分
[※シュトックハウゼンI~XI + XVIII《水曜日のフォルメル》(シンセサイザー独奏、日本初演)感想集、シュトックハウゼンXVII《彗星》(オンド・マルトノ+パイプオルガン独奏、日本初演)感想集、シュトックハウゼン《自然の持続時間》(ピアノ独奏、日本初演)感想集その1・その2]
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藤倉大 Dai Fujikura, composer
藤倉大は1977年大阪府摂津市生まれ。15歳で渡英、今や20年以上を英国で過ごしている。エドウィン・ロックスバラ、ダリル・ランズウィック、ジョージ・ベンジャミンに作曲を師事。これまでに、イギリスのハダースフィールド国際音楽祭作曲家賞、ロイヤル・フィルハーモニック作曲賞、ウィーン国際作曲賞(クラウディオ・アバド作曲賞)、ドイツのパウル・ヒンデミット賞、2009年の第57回尾高賞および第19回芥川作曲賞、2010年の中島健蔵音楽賞、エクソンモービル賞をはじめ、受賞多数。
藤倉の作品を初演・演奏した指揮者には、ピエール・ブーレーズ、ペーター・エトヴェシュ、ジョナサン・ノット、グスターボ・ドゥダメルらが挙げられる。近年は国際的な共同委嘱も増え、今シーズンは木管楽器・打楽器による5人のソリストとオーケストラのための《Mina》が、シアトル響・バンベルク響・名古屋フィルによって同時に初演される。スタニスラフ・レムの小説『ソラリス』に基づくオペラも、フランスとスイスにおいて共同制作の予定である。楽譜はリコルディ・ミュンヘン(ユニバーサル・ミュージック・パブリッシング・グループ)より出版されている。ロンドン在住。オフィシャル・サイト www.daifujikura.com
ピアノ練習曲第1番《フローズン・ヒート》(氷結した熱)(1998)は、同年夏ロンドンでジェーン・トレーナーにより初演。同第2番《ディーペンド・アーク》(深まる弧)(1998)は2001年春にブルガリアでヴェセリン・スタンボロフにより初演。ロンドン・トリニティ音楽院在籍時に書かれた習作である。第1番にはアンサンブル版もある。
《もろもろ》(2003)は、オランダ・ロゴス・フェスティヴァルの委嘱、2004年1月27日に向井山朋子により献呈初演。電子音響とともに、ロンドン在住の映像作家、山口智也のビデオを同時上演するヴァージョンもある。
《リターニング》(2006)は、小川典子とシティ・オブ・ロンドン・フェスティヴァルの委嘱、同年6月30日により献呈初演。個人からの委嘱はこの作品が初めてだったと云う。曲を通してピアニッシモの弱音であること、習いたての子供のように「ペダルなしで」弾くこと、同時に鳴らす音は3つまで、基盤となるリズムのパターンも3つのみ、というルールに則った。これらの書法への挑戦は、その後の作風の転機ともなった。
《ジュール》(2009)はBBCラジオ3(英国放送協会クラシック・チャンネル)の委嘱、ロンドン在住の韓国人ピアニスト、キム・ソヌクによってリーズで初演。ジュールはエネルギーの単位である。ピアノ協奏曲《アンペア》と同様に、奏者のエネルギーが指を通じて楽器へ流れ込み、激変する強度と速度のうちにオーラとして現前し、また楽器へと還流する様子をイメージしたと云う。
独シェーンハット社の2オクターヴ半のトイピアノのための《ミリアンペア》(2010)は、同年4月11日ニューヨークにてフィリス・チェンにより献呈初演。曲の後半には、「19世紀のピアノ協奏曲のように、大袈裟な加速減速を伴う」カデンツァが挿入される。
2011年8月、夫人が出産を間近に控えたたため、大規模の作曲に取り組むのはやめ、数年おきの習慣となっている、書法探求のためのピアノ小曲を書くことにした。《2つのピアノ小品》~「I. セクセク(けんけん遊び)」「II. 綾取り」(2011)が完成した一週間後、長女が生まれた。坂本龍一60歳の誕生日に捧げられている。
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■シュトックハウゼン: クラヴィア曲第I/II/III/IV番
1951年初夏にダルムシュタット講習会で聞いたメシアン《4つのリズム・エチュード》に衝撃を受け、翌年1月にパリへ留学、音楽院のミヨー作曲クラスには不合格であったが、メシアン分析クラスに入学。2月にピアノ曲「A - B」として書き上げたのが、クラヴィア曲第IIIと第IIである。3月に入り、当時26歳のブーレーズと出会う。6月までに第IVと第Iを完成。ベルギー人ピアニスト、マルセル・メルスニエに献呈、彼女により1954年8月21日にダルムシュタットで初演。第I曲に於ける、11対10の連符の中にさらに7対5のリズムを押し込める不合理時価の表記法は、当時ブーレーズから手厳しく批判されたが、遠くファーニホウらの新複雑主義の先鞭とも言える。
■クラヴィア曲第V/VI/VII/VIII番
第V~第Xの6曲セットは、1953年末に着想され、翌年第V~第VIIIの4曲の最初のヴァージョン(第I~第IVと同規模)が完成した。アメリカ人ピアニスト、デヴィッド・チューダーに献呈。
第Vは、太陽と惑星、あるいは惑星の回りの衛星のような、中心音とそれを巡る装飾音の対比のエチュードとして構想された。最終版は、メルスニエにより最初の4曲と併せてダルムシュタットで1954年8月に初演。
第VIは、1954年5月のヴァージョンでは40秒程度の小品だったが、同年12月の第2ヴァージョンでは20倍以上に増殖、翌年3月の第3ヴァージョンがチューダーにより録音された後、テンポ変化を13段のグラフで併記するという特殊な記譜法の最終改訂版が1961年に完成。
第VIIは、周期的リズムの再統合を目指した1954年8月の最初のヴァージョンが余りに退嬰的だったため、翌年3~5月に全面改訂が施された(反復モチーフの痕跡は残っている)。ペダルやハーモニクス奏法による響きの探究は、ブーレーズの第3ソナタ(1955/57)を先取りしている。
第VIIIは、最初のアイデアのまま上手く完結できた稀なケースである。静的な第VIIに対して動的であり、しばしば組み合わせて演奏される。
■クラヴィア曲第IX/X/XI番
第IXと第Xは最終版が1961年に完成、ドイツ人ピアニストのアロイス・コンタルスキーに献呈された。
第IXは1962年5月21日にケルン放送スタジオでコンタルスキーにより初演。滔々と奏される冒頭の和音連打は、最初の妻の家で後の妻が行った即興演奏に由来する。リズム構造は、自然界に数多く見出されるフィボナッチ数列(1, 2, 3, 5, 8, 13, ...)に基づく。後のスペクトル楽派の始祖的な作品。
第Xは、最終版の脱稿がコンサートの数日前にずれ込んだため、初演予定者のデヴィッド・チューダーが演奏を拒否(1961年5月)、翌年10月にパレルモでフレデリック・シェフスキーにより初演。手袋を必須とする急速なグリッサンドの交替や、指・拳・掌・手首・下腕・肘で7種類に弾き分けられる目まぐるしいトーン・クラスター(密集和音)の応酬は、フリー・ジャズ等にも決定的な影響を与えた。
第XIは、献呈者チューダーにより1957年4月22日にニューヨークで初演。縦54cm×横94cmの巨大な紙に19の断片が印刷され、奏者は目に入ったものから順々に弾いてゆく、という、「管理された偶然性」の作品。ただし、演奏順による指定の変化をその都度遵守するのは非常に困難なため、打楽器のための《チクルス》やブーレーズ《第3ソナタ》等と同様、事前にヴァージョンを決定付けておく演奏慣習も、初演直後から黙認されている。「演奏順を奏者が決める新作」を1955年にチューダーに打診した際、フェルドマン《Intermission 6》(1953)やアール・ブラウン《Twenty-five Pages》(1953)の存在を、シュトックハウゼン自身は知らなかったと云う。
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