無料通話・メールアプリ「LINE」のスタンプにもなっている明光義塾のキャラクター「だるま先生」がやけに僕に似ていて、とても親近感を覚える。人気子役タレント・はるかぜちゃんも「ホントだ!」と共感してくれ、以来、だるま先生を気に入ってくれた。
昨日、たまたま彼女のツイッターでLINEが話題になったことから、彼女は「乙武先生とだるま先生は似ている」とつぶやいた。これに対して、多くの方から「それは不謹慎な発言だから控えるべき」「不快な発言だ」とのリプライが殺到した。その経緯と彼女の反論については、こちらにあるのでお読みいただければ。
では、いったい彼女の発言のどこが不謹慎なのだろう。まず、「だるま先生と僕が似ている」と言いだしたのは、ほかでもない僕自身であり、さらに僕とはるかぜちゃんは年齢こそ離れているものの、たがいに信頼しあう友人である。だから、彼女が僕を揶揄しようとしての発言でないことも理解している。
そうした事情は彼女もツイッター上で懸命に説明したが、それでも「不特定多数の見ている場所で、誤解を与えるような発言をすべきではない」「この発言を読んで不快になる人もいる」と食い下がる方が多くいた。つまり、「僕以外の四肢のない人が読んだら、傷つくのではないか」という先回りした配慮である。
もし、彼女が「四肢のない人全般」を指して、「だるまみたい」と無邪気に発言したのなら、「それは気をつけたほうがいいかも……」と思わないでもない。でも、彼女は不特定多数を指したのではなく、あくまでも「“乙武先生が”だるま先生に似ている」と言ったのだ。話を、僕個人に限定しているのだ。
以前にも書いたが、「背が高いですね」というのは、一般的にはほめ言葉として捉えられる。でも、もし背が高いことを気にしている人に「背が高いですね」と言えば、その人を傷つける可能性がある。つまり、「だるま」という言葉が、「背が高い」という言葉が、それぞれ誰に向けられたものであるかを考えることが重要だと思うのだ。
今回の騒ぎは、「障害者」を「障がい者」を表記する流れと良く似ている。「害」という字は、障害者が不快に思うのではないか――障害者がすべて同じ心境であると「一括りにした」「先回りの」配慮。それは僕からすると「臭いものにはフタ」と受け取れなくもない。そうした思考自体が、誰かを不快にしていることだってある。
先回りの配慮をありがたく思う障害者もいれば、そうした配慮を不快に思う僕のような障害者もいる。少しでも相手を傷つける可能性のある言葉を見つけて、鬼の首を取ったように「不謹慎だ」と正義の味方を気取る人々の姿は、とても滑稽だ。ならば、「背が高い」という言葉だって誰かを傷つける可能性があるのだから、もう二度と使えない言葉ということになってしまう。
ずいぶん長くなったので、このへんで。最後にどうしても伝えたいのは――
「結果的に大々的な宣伝になったのだから、明光義塾は何かくれ(笑)!」
ちがった……「思考停止にもとづく安易な配慮こそが、誰かを傷つけていることもある」ということ。心の隅に留めていただければ。エロだるまより。