今日法事で久々に90歳になる大叔父さんに会いました。
大叔父さんはシベリアに抑留されたものの、命がけで生還した数少ない証言者でもあります。
でもあまり深い自分の体験談は話したがりません。
そんな中で今日初めて打ち明けてくれたことが、なぜ深く語りたくないのかの理由でした。
「頼まれて話をしたことは何度もある。しかし『私が聞いた証言と違いますよ』などと
言われ、強く否定されることがある。『この体験は同じ部隊だった○○県の××さんが
証言してくれるから絶対に間違いは無い』と答えても、証言してくれる戦友はもう高齢で
他界してしてしまってる。シベリアでの経験は、想像を絶する辛さがあった。
忘れないし、自分は嘘など言っていない。
聞きたいと自分からやって来る人が、証言を否定するのでどうしようもない。
ほかの証言をした人が、自分より10歳も若かった、なんてこともあった。
そんな奴等の証言を信じて、何故自分の証言は信じてもらえないのだろう。
自分の体験を証明してくれる人がこの世にいないことは、とても寂しいよ。」
と私に話してくれました。
大叔父さんは、今日も最も辛かった体験を語ることは、殆どありませんでした。
ロシア兵は頭が悪いので、腕時計を奪ってきても、使い方がわからなかった、とか
点呼の時に一桁の計算もできないので、5人ずつに分かれて並んだ、とか
食事は1日一食、手のひらに乗る大きさの小さなパンと、お椀1杯分の粗末なスープ。
毛布は無く、真冬でも布切れ1枚しか支給されず、1000人の収容所で一晩で
20人の仲間が死んだ日があったよ。とか、
遺体は日曜しか処理できないので、小さな箱に体を折り潰して無理矢理詰めた、とか
死んだ戦友の骨を持ち帰るなんて、考える余裕すらなかった、頭がおかしくなってた、とか
これだけ聞いていても、十分残酷な体験なのに、たぶん大叔父さんの一番辛いことは
もっと心の奥に閉ざされたままのように思えました。
慰安婦問題も、慰安婦の相手になった男性達の殆どが既に他界し、彼女らの証言を
否定する人がいない、というところをつけ込まれていると言っても過言ではないでしょう。
勿論、大叔父さんも「慰安婦の強制連行」については否定していました。
別れ際、大叔父さんには「南京大虐殺の画像は、通州事件です。」と一言伝えました。
大叔父さんは頷いていたものの、とても苦い表情を浮かべ、何も言わずに立ち去りました。
きっと明日もいつものように日課の散歩を1人で楽しみ、夜は早く床に入り、
昔のことは思い出さないように過ごすのでしょう。
私は大叔父さんに、それ以上は何も言葉をかけることが出来ませんでした。