日本人にとって東京裁判とは何か?
マッカーサー元帥はなぜ東京裁判を批判したのか?
その謎と真実を豊富な資料と証言によって解き明かす
マッカーサー研究の決定版、衝撃のノンフィクション。 「東京裁判は誤り」のルーツは「南北戦争」にあった―
「この裁判は史上最悪の偽善です」
――チャールズ・A・ウイロビー陸軍少将(連合国軍GHQ参謀第二部長)
「戦犯には手をつけるな。手をつけてもうまくいかない。
現地司令官に一任するべきだ。東京裁判とニュルンベルグ裁判には全く抑止力はなかった」
マッカーサー元帥(連合国軍最高司令官)
東京裁判を批判し、裁判の誤りを認めたマッカーサー。
そのとき日本のメディアは何を報道し、何を報道しなかったのか。
朝日新聞を始めとする全国54紙の報道を完全収録!
はじめにより
今年、極東国際軍事裁判(以下、東京裁判と略す)の判決によってA級戦犯七名が処刑されてから
六十五年目の年を迎えたが、今日でも、日本の民族派論者たちによって、日本の戦後体制を決定した
東京裁判についての論争が果てしなく繰り広げられるのは、その解釈をめぐって様々な未解決の問題が
横たわっていることに原因があるからであろう。
例えば、平成二十年十月三十一日に、航空幕僚長を解任された田母神俊雄空将が先の戦争に対する
政府見解(村山談話)に異論を唱え、大きな話題を呼んだように東京裁判を肯定するか否かによって、
日本の戦争責任や戦後体制の捉え方が全く異なってくるのである。
その意味で、戦後の日本の針路を決定した東京裁判についての論争が果てしなく繰り広げられるのは、
至極当然とも言えるのであるが、こうした中で、これまであまり議論されてこなかった、もう一つの
未解決の問題が存在するのである。
例えば、戦後の日本の民族派論者の間では、東京裁判を強行したダグラス・マッカーサー元帥には、
「極東国際軍事裁判所条例」によって、再審査権(減刑権)が与えられているにもかかわらず、
その権限を行使せずに裁判所の判決をそのまま受け入れて、A級戦犯七名を処刑したことが定説となっている。
そのマッカーサーが昭和二十五年十月十五日に、トルーマン大統領と行ったウエーク島会談で、東京裁判を
厳しく批判したことによって、さらにマッカーサーの人間性に対する誤解が増幅していったのであるが、
これは元々「極東国際軍事裁判所条例」に規定されたマッカーサーの「権限」に対して、誤った見方が
あるからである。
(中略)
これまでも戦後の日本とアメリカには、マッカーサーや東京裁判について書かれた書物や映画はおびただしいが、
それらに対して偏見を持つことなく、その真実を正しく伝えたものはあまりにも少ないし、中には作り話が
定説となっているものさえある。
その理由は、わが国の歴史教科書を見ても分かるように、戦後、東京裁判の真相が封印されていることに
あると思う。
本書は、戦後の日本で固定した、このマッカーサーに対する負のイメージに再検討を行い、数ある
マッカーサーの定説を覆して、新しい「マッカーサー像」を作り出した異色作であるが、本書を通じて、
マッカーサーが批判した東京裁判のもたらした誤った歴史認識から脱却して、日本人が失った自信と誇りを
取り戻すための一助となれば幸いである。
本書では、こうしたマッカーサーに対する負のイメージを払拭するために、著者が発見した様々な
歴史的資料に基づいて、まず戦後の日本でまことしやかに語られてきた「東京裁判をやらせたのはマッカーサーだ」
という定説に対して再検討を行った。これが、マッカーサー批判の根拠の一つになっているからである。