メカAG このエントリに書いたことの抜粋だが、 続々・片瀬久美子がなにを間違えているかこれも誤解している人が多いようなので、独立したエントリとして書いてみる。集団線量というものが多くの人にとって理解しづらいようだ。なかにはAさんが浴びた放射線量とBさんが浴びた放射線量をどうして足し合わすんだ?馬鹿げている、という人までいる。 * * *これは鉄砲の弾が飛び交う戦場をイメージするとわかりやすい。その戦場に1日いると1%の確率で被弾するとする。一人の人間のリスクとしてはそれほど高くないかもしれない。わざわざ戦場に来るのだから理由(メリット)があるのだろう。そのメリットに対して1%の被弾のリスクは、それほど大きくないと考えることができる。これがALARAの考え方。しかしその戦場に1万人の人間がいる場合、ほぼ1日100人の人間が被弾することになる。これが集団線量の考え方。 * * *ここでのポイントは個々の人間が「1%ぐらいのリスクはたいしたことない」と考えていようがいまいが、1万人のうち100人は結果的に被弾するということ。しかし1万人のうち100人程度が被弾するのは許容範囲だという考えもできるだろう。冷酷なようだが何事も犠牲はつきものだ。これが集団線量にALARAを適用した考えだ。間違えてはいけないのは、個々の人間が「1%のリスクはたいしたことない」(ALARA)と考えているから、1万人いてもほとんど誰も被弾しないはずという結論を導いてしまうこと。これはALARAの誤った適用例。集団線量を否定している人は、こういう考え方のようだ。 * * *ちなみにこのモデルに閾値説の考え方を適用すると「1%の被弾率ならまったく無害だ」となる。弾丸だと違和感があるが、これが毒ガスなら1%ぐらい吸っても微量だから無害かもしれない。この場合1万人が1%の毒ガスを吸っても、やはり無害なのには変わりなく、死者はゼロであろう。毒ガスと弾丸の違いは、前者は摂取量によって人間への影響が決まるのに対して、後者は確率的に影響が決まること。弾丸は1発でも被弾してしまったら死んでしまう。しかし被弾する確率自体はそれほど高くない。毒ガスは戦場にいる人間を別け隔てなく襲う。しかしその影響は濃度に依存するから1%ぐらいなら影響はない。濃度の薄い毒ガスを1万人が吸っても死者はゼロだろう。放射線の影響は確率的に決まる。これが化学物質による毒と違うところ。 * * *追記2013-06-03 http://twitter.com/mo0210/status/341378030838624256 | ICRPは、その「集団線量」という考え方を採ってはいけませんよ、と言っているわけだが。 なぜ「いけない」と言ってるのかは、別のエントリ(冒頭で示しているエントリ)で説明しているのだけどね。ひとつのエントリですべて書きつくすとしたらすごく長大になっちゃうよね。一言でいえば「社会的影響を考えれば、正しいからといって公表すべき情報とは限らない」ということ。 http://twitter.com/mo0210/status/341378534331260928 | しかも、集団線量という概念を採用しないということと、ALARAとは独立なこと。俺もこのエントリでそう書いているつもりなのだが? http://twitter.com/mo0210/status/341379490993303552 | 「科学が分かっていない!」という人は科学を分かっているのか?なんかこの人も言葉遊びがしたいだけみたいだな。どういう理由で相手を「科学がわかっていない」と言ってるか、理由の部分が重要。 http://twitter.com/mo0210/status/341378890431864832 | 「閾値説派」とは誰のことなのだろうか?たとえばbuveryって人とか?
科学をわかるかわからないかって対称な話じゃないよね?(多くのルールを守れるか否かという点で)法律で置き換えると簡単だと思うけど、「法律がわかっていない」というのは法律でわかるべきところの一部がわかっていないことがばれてしまう状態で、一方の法律がわかっているというのは無謬性とかの高度なレベルが要求される。だから、「科学がわかっていない」という人は科学をわかっているのか?というのは、他人を犯罪者呼ばわりする人は法律家なのか?みたいな幼稚な話だと思うな。科学において素人でもわかる明白なルール違反(矛盾とか計算ミスとか)を一個でもしたら、それはルールを破っていることが素人でもわかるけど、一方で科学がわかるというのは、すべてが矛盾なく正しい複数の結論がある場合に、それのどれを選択するかとかで、知識や経験や才能が使えること。