ヤクザの息子、不倫、売春街の弁護士…橋下氏の素顔

■売春業者が雇った茶髪の弁護士

 飛田新地は、1階で酒を飲み、2階で一律「15分1万2000円」で売春を行う「伝統的」なスタイルを守っている。橋下市長が飛田新地の売春業者の弁護士だった事実は、ルポライターの井上理津子氏が12年間の取材を通じて書いた『さいごの色街飛田』(2011年)で明らかになった。

 09年秋、取材のために飛田組合会館を訪れた井上氏は、応接室の額に入った1枚の写真に驚いた。当時髪を茶色に染めていた橋下氏が組合長と並んで写っているものだった。

 「『行列ができる法律相談所』に出演していたころの橋下知事じゃないですか」

 橋下氏が同番組に出演していたのは03-07年で、09年当時は大阪府知事だった。組合幹部は「組合の顧問弁護士で、以前組合に来たときに撮った写真です」と答えたという。

 井上氏はこう書いた。

 「飛田は当初暴力団『鬼頭組』の縄張りだった。この地域を『殺人軍団』という悪名をとどろかせた『柳川組』が引き継いだ。組合には暴力団関係者が介入した。橋下氏はその組合の顧問弁護士だった」

 橋下氏がかつてどれほどの期間、売春業者の顧問弁護士を務めていたかは明らかになっていない。橋下市長は記者会見で弁護士の守秘義務を理由に「全てを話すことはできない」と言及を避けた。

 橋下氏の弁護士としての経歴に問題があることは、橋下氏を現在最も痛烈に批判しているのが、96年当時に法律事務所で橋下氏の「親弁(指導役の弁護士)」だった人権弁護士、樺島正法氏である点からも分かる。

 樺島弁護士は講談社の雑誌『g2』に掲載された記事で、橋下氏についてこう振り返った。

 「優秀だった半面、金銭に対する執着心も感じた。国選の刑事事件などは避け、損害賠償保険の交渉業務など、金になりやすい紛争を好んでやっていた気がする」

 「(同和問題に関する訴訟で)同和地区に住んでいたけど、私は同和じゃなかった。だから、補助金ももらえなかったし、深く恨んでいる。私は同和問題はやりません』と言いだした」

 98年に法律事務所を辞め、独立した橋下氏は、優れた手腕で年収3億円を稼いだ。当初の収入源は行方をくらました交通事故の加害者を探し出し、損害賠償をさせる仕事だったという。橋下氏が茶髪にブランド品で身を固め、ポルシェやハーレーダビッドソンを乗り回していたのはそのころだった。その後、橋下氏は破産者が続出した高利貸しの顧問弁護士を6年間務めた。

鮮于鉦(ソンウ・ジョン)週末ニュース部長
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