【 鳳凰 】
【 麒麟 】
御年 九十二歳とは思えぬ筆使い・・・・・・
現・日本芸術院会員の諸氏らよ。お前たちは(ちょっと 言葉がベラン調になって、ごめんなさい。そうまでして僕が怒っていると思って下さい) 何をしているのだ。恥ずかしいとは思わなぬのか!
この人こそ、最も芸術院会員にふさわしい人格が備わっている作家とは思わぬのか・・・・・
この大鷲は師匠・山本丘人であり、高山辰雄であり、上村松篁であり、はたまた稗田一穂そのものであるのかも知れませんね・・・・・
僕が稗田一穂(ひえだ・かずほ)という人の名前を知ったのは、高山辰雄の特集を終え、成城のアトリエに伺った時、僕は正直に「高山先生、僕はあなたをズーッと探していたようです。今、特集を終えて、次に誰と御会いしたら良いか、わかりません」というと、辰雄は優しい口調で「稗田さんには会ったの?」「稗田? 誰ですか?その人は」「ともかく会ってごらん」「はい」
この時、初めて稗田一穂という人の存在を知ったのである。
高山辰雄と言えば、あの東山魁夷も一目置く画家で、東山魁夷が逝去され青山葬儀場で行われた「お別れ会」の、その葬儀委員長を務めたのも、この高山辰雄であった。
そんな人から出た稗田一穂という人の名前でもあったのだ。
そう言えは、こんな事もあった。高山辰雄の原稿を書き終え、校正の為に辰雄のアトリエ、世田谷区成城に伺った時の事である。ブライバシー原稿の中で「先生。この『草々会』という箇所は原稿から削除してもよろしいですか?」と、すると辰雄は急に真面目くさった口調で「いや、いや、それだけは削除しないで下さい。なんだったら高山辰雄なんて言う名前は君の原稿から削除してもらっても良いんだよ。草々会は大切なんだ。」と真剣に言われるのであった。以来、私は「草々会展」に顔を出すこととなった。
この草々会(そうそうかい)は云わずと知れたもの、新しい日本画の創作発表の場として、各人が各々の主義主張に基づいて作品を出展して、お互い研鑽を積むというもので、従って売り絵ではないからサインは誰一人としてされていなかった。それにここに集(つど)った作家たちは、皆が高山辰雄の絵に取り込む姿勢にみな共鳴をしていた作家たちであったと、今にして思うと私はその様に捉えている。
私が草々会に始めて訪ねた時には、すでに加倉井和夫は亡くなり、考えてみれば、それから山岸純や荘司福といった人もいましたが、すでに今ではこの世の人ではない。
今では院展作家で現・日本芸術院第一部部長を務めている松尾敏男、それに那羽多目功一。創画会では稗田一穂、それに前・創画会の理事長を務めていた上村淳之。日展では東山魁夷夫人・スミさんの弟にあたる川崎鈴彦。さらに京都の岩倉寿(ひさし)。それに辰雄の弟子の一人である那須勝哉(なす・かついち)とそれに最後に加わった人が竹内浩一といった錚々たるメンバーで構成されていたのである。
辰雄を将来の日本画の行く末をこの人たちに託したかったに違えない。
その意思をついで松尾敏男は本気で日本芸術院の改革、つまり会員諸氏の意識改革に立ち上がったのであるが、他の分野(洋画・彫刻・工芸・書・建築)の人たちはご自分の分野には詳しいが、他の分野の事は少しも勉強していないから分からないのである。
松尾氏の願ったことは『これからは、「芸術院会員になりたい」と思う人を会員の諸先生方は推薦するのではなく、「この人には是非、会員になっていただきたい」と心から思う人を推薦していただきたい』だた、それだけの事なのである。真理はいつも単純なものである。
あいさつ回りがどうとか、持ってくるお土産がどうとか、頭の下げ方がどうとか・・・・・そんなことはどうでも良いことである。それよりも、その会なり、組織においてどうしても必要である思う人を推薦することである。自分の派閥を少しでも増やしたいなどと政治的なことを考えているようでは、ますます日本芸術院の権威も失われるのは火を見るよりも明らかなことである・・・・・・
要するに「木を見て森を見ない」のではなく、「森を見ながら木を見て歩ける」本物の作家が今一番、日本芸術院に必要不可欠なのである。
そこで来る26日に日本芸術院会員の補充選挙が行われるが、そこに松尾敏男の推薦で稗田一穂が立候補することになったが、そこで、例えば票が過半数に達した場合、快(こころよ)く稗田氏が「ありがたくお受けいたします」と言ってくれるのか、それとも常識ある稗田氏の事「せっかく過半数の票をいただいても、今更、高齢のこともあり、今更なっても何のお役には立てませんから、ご辞退いたします」何て言われたら、松尾氏の今までの努力はどうなるのか?
それを恐れた私は直接このことを稗田氏に尋ねると「日本芸術院は大切な機関として受け止めています。ありがたくお受けするつもりです。その時は、遠方はご挨拶に伺われないかも知れませんが、その時は東京近辺の会員お一人、お一人に時間をかけてもタクシーでも乗って、ごあいさつに伺うつもりです。それが常識と考えます」と稗田氏は僕に話してくれたのである。
来る10月31日、選挙の投票が終わってから日本橋高島屋に於いて「稗田一穂展」が開催されるが、自分から会員なりたいと思ってる人であれば、自分自ら宣伝を兼ねて投票の前に個展を開催するとこであろうが、稗田一穂はそんなことをする人ではない。そのことを現・会員諸氏はよく考えることです。
それこそが本物ではありませんか・・・・・・・・
(完)