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世田谷美術館と作品「鋳物職」「ボタン」
やっぱ 良いですね
ただ上手に創っているだけの人では無いですね
「心に訴(うった)えるものがなければ芸術じゃない」とは故・北村西望の言葉である。
絵で言えば「こころが吸い込まれるような絵でないと本物ではない」というのが僕の自論である。
こういう人を両手を広げ日本芸術院に迎え入れる体質を作らなければ芸術院はダメになってしまうような気がしました。
いくら選挙とは言え「挨拶まわり」ほど無意味なことは無いと思いましす。そんな時間があるのであれば、作品を制作する時間についやして欲しいものです。
第二部も第三部もあいさつ回りをしている人は一人としていませんよ。第一部だけです「挨拶回り」をする習慣になっているのは・・・・・
山本丘人の一番弟子の稗田一穂を入閣させられない日本芸術院がどこにありますか?
皆さんは知らないと思いますが、洋画の日本芸術院会員の大津英敏先生の奥様(茜さん)は芸大の日本画科を卒業しているのですが、僕はある日、茜夫人に「あなたの芸大の時の先生は何方だったんですか?」と聞いたことがあります。そしたら茜夫人は「はい。稗田一穂先生が私の、その時の先生だったんですよ」と話していました。
いくらなんでも先生が生徒さんの所に「よろしくお願いします」と挨拶に行くとでも思っていますか? 行くわけが無いでしょうよ。親が子供に頭を下げるなんて本末転倒なことをしたら、それこそおかしいでしょうよ・・・・
これは稗田さんだけに限ったことではない。今までにも、何人もの作家が「挨拶回り」を嫌って立候補を辞退した例は枚挙に暇が無いことである。船越さんも忠良さんもそうでしたでしょうし・・・・
このまま、この問題を放置していたら、二流、三流によって芸術界が動かされることになりますよ・・・・
松尾先生の言われるように「これからは、会員になりたがっている人を推薦するのではなく、あなたには是非、芸術院会員になっていただきたいという人を推薦しなければなりません」と語っていますが、まったく同感である。
故・高山辰雄といえば東山魁夷氏も一目置いていた人ですが、現に青山葬儀所で東山氏の葬儀の際、葬儀委員長を勤めた方が高山辰雄氏です。
その高山氏は次のように言っていました。「所詮、人間が出来ていないと何をやっても始まりません・・・」と・・・・・こんな、言葉を言える人は高山辰雄先生だけです。
佐藤忠良展を見て、感じたことは「作家はものを創りにあたって、何を見て、創っているか」ということを教えていただいたような気が致しました。
鋳物職(いものしょく)という作品は、作家とそれを造る鋳物(いもの)職人とが重なって、作家の持つ苦しみも喜びも映し出している。いや、そればかりではない彼(鋳物職)もまた、作家の風貌をも内に秘めているからすばらしい・・・
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