• スレッド_レス番号 01_210-212
  • 作者
  • 備考 長編,女王


「私は…もう貴女の幼馴染でもなければ、友人でも、部下でもないのです」
ゆっくりと自分でもかみ締めるように言った。
「貴女は、わが一族の仇なのです」
目の前にいるこの痩せた誇り高き女王が。
美しく鋭い瞳に燃えるような赤毛を持つ女性が。
私の幼い頃から愛する人が。
「ああ…そうだ。だが、ならば何故!」
同じ年頃の娘よりも少し低くかすれた声が、今は尚一層低く震えて俺を責めたてる。
「いつでもできたはずだ!私がお前を雇ったとき、私がお前を側に置いたときに!」
その通り、いつでも首を刎ねる機会はあった。
しかし剣に手をやるときまって、まだ先に機会も時間も十分にある、と手を下ろしていた。
「何故すぐに殺さなかった」
結局私が剣を抜く前に女王が私の正体を知ってしまった。
少し年上の彼女が幼少の時に弟のように可愛がり、いつのまにか彼女の前から消えてしまった少年。
彼女の一族がこの国を乗っ取る際に殺し損ねた王子であると。

「私がお前との記憶を思い出す前に…愛する前に、何故…」
女王として君臨していた姿はどこかへ消え、彼女は涙をぽろぽろと流しながら嗚咽を押えていた。
もう私の前にいるのは冷徹で残酷と呼ばれていた女王ではなく、優しい幼馴染の女性だった。
「何も知らずにお前を愛した私への哀れみからか」
それに答える言葉が見つからず剣の柄を握ったままでいると、
突然彼女が俺の背に腕を回し唇を押し付けた。
唇を割ろうとする舌の動きに、私は慌てて彼女から顔をそらし逃げた。
「お前が私を哀れに思うのなら、そう思ってくれるのなら、
 私を抱いてくれ…お前を愛する惨めな女として。
 …それから仇として首を刎ねろ」
半ば悲鳴をあげるようにそう言い放ち彼女は私を揺さぶった。
「お願いだ…。一度でいい、一度で…」
ゆるく巻いた髪が彼女の震える肩から背中へ滑り落ちる。
「…ずっと、ずっと愛していたんだ」

私にすがる彼女を抱きしめることができればどれだけ楽であろうか。
今すぐにその涙を拭き取り、美しい赤い髪に口付け、何度も愛しい名前を囁くことができるのならば。
そうすればきっと貴女は昔のように優しく微笑みながら私の名前を呼んでくれるだろう。
私と彼女の血がそれを許せば。

静かに私は首を振り彼女の体を押し戻した。
思ったほどの抵抗はなく、糸の切れた人形のようにぎこちなく彼女は一歩下がった。
顔を上げると彼女の顔は目を見開き絶望に包みこまれたかのように歪んでいた。
そして素早く私の腰の短剣に手をかけ叫んだ。
「ならば…早くお前の目的を果たせ。それとも私をそのように苦しめるのが目的であるのか!」
ガラス球のような灰色の瞳から涙が後から後から溢れていた。

この国を親から受け継ぎワンマンに合理的かつ理性的に支配する彼女を切れば
権力に胡座をかくだけの残りカスは司令塔を失ったも同然。
敵討ちは順調に進むはずであった。だが。
―――私に、できるわけがない。
やんわりと剣から彼女の手を離し、距離をとるように身を引いた。
「私は貴女を殺すことは出来ない。けれども貴女に思いを残すこともいけない」
私は彼女に笑いかけた。
「私は復讐者という役割を上手く演じられなかった。
…そんな役者は速やかに舞台から退かなくてはなりません」

「行くのか」
戸口へ向かう私に、彼女は後ろから声をかけた。
「私の正体はもう一部に知られています。
 …目的も果たせなかった今、ここにいて何になりましょう」
ここに留まり続ければ彼女の一族は私を側に置く彼女自身へも不信を抱くであろう。
離れるのが、一番なのだ。
「はは…敵討ちもお終いですね。女一人切れない私には始めから荷が重かったのでしょう。
 私は一族の墓を廻り、どこか新しい土地へ行くことにします」
「…この国で実権を持つのは私だ。
 弟や老いた父、他の一族諸侯にもお前のことに口出しはさせない」
「貴女の一族…王族にとって敵である男にそこまでする理由がありませんよ、女王陛下」
理由か、と小さく呟いて彼女は目を伏せた。
「愛している。私は、お前を思い止まらせる理由には、なれぬか」

次の瞬間、堪らず彼女の手を取り引き寄せきつく抱きしめた。
「愛しています」
もう少し力を入れれば壊れてしまうのではないかと思うほど痩せた体。
豊かな髪から花の匂いが香る。
誰がこれからこの泣きじゃくる脆い女性を守るのだろう。
私がいつまでも彼女の側にいれば…。
「嫌、嫌だ…行くな!一緒に…私も一緒に…!」
だが、私はもうここにいてはならない。



足音が離れていく。
女王は一人、もう戻らないぬくもりを思い目を閉じた。
お姉ちゃんは特別に大好きだから、大きくなったら僕がお嫁さんにしてあげる。
小さい頃の他愛もない約束が胸によみがえる。
指輪代わりの花で編んだ冠をあれは私に被せ、私の髪を好きだと言って撫でてくれた。
二度も私に恋をさせて、こんなにも弱弱しい女にして、惨めな思いにして殺すつもりだった。
…そう言ってくれたのならばどんなに嬉しいだろう。
愛しています。
最後の言葉は彼女の胸に深く突き刺さったままであった。




バグ・不具合を見つけたら? 要望がある場合は?
お手数ですが、メールでお問い合わせください。