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2011年11月

2011年11月30日 (水)

童謡 あれこれ

 ぼくにとって、童謡には謎が多い。

 「かごめかごめ」とか、「ずいずいずっころばし」の解釈は、もうあきらめよう。

 けど、「赤い靴」って、子供向けの童謡なのだろうか?

赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった

 「森の児山羊(こやぎ)」

めえめえ 森の児山羊 森の児山羊
児山羊走れば 小石にあたる
あたりゃ あんよが あ痛い
そこで児山羊は めえと鳴く

 一番の歌詞で既になんかヘンな感じがするのだが、最後、

薮こあたれば 腹こがちくり
朽木(とっこ)あたれば 頚(くび)こが折れる
折れりゃ児山羊は めえと鳴く

 なんだ、こりゃ?
 「とっこ」「くびこ」と韻を踏みたかっただけなのか?
 で、その首が折れて、それでも「児山羊は めえと鳴く」って…

 子供向けのビデオゲームって、この辺から既にルーツがあるんだろうかねえ。

 「唄を忘れたカナリヤ」に至っては、

歌を忘れたカナリヤは
裏のおせどに埋めましょうか

 と、これは、流行りのイヂメではないのか。

 最後に、救いらしい歌詞があるにはあるが

唄を忘れたカナリヤは
象牙の船に銀の櫂(
月夜の海に浮べれば
忘れた唄をおもいだす

 なんでやねん!お前は銀の匙を咥えて生まれてきたんかぁ!

 どう考えても、子供向けの歌とは思えない。
 そもそも、意味がよく分からない。

 勿論、ネット・ジャンキーのぼくだ、あれこれweb検索はした。

 なるほどと頷けるような背景が縷々書いてはある。

 でも、そこに書かれていることが本当なのかどうか、ぼくには確認する術がない。その記述の元となったものを確認することができないのだから。

 仮に元ネタを「webで」見付けることができても、ぼくはやっぱり疑うだろう。web上の記述なんて、スキルのある奴にはいつでも書き換えができるのだから。

 「1984年」に登場する「真理省」。

 ジョージ・オーウェルは既に、こんにちを見通していたのかも知れない。

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2011年11月29日 (火)

童謡 赤とんぼ

 何の気無しに思い出した。

 「あのねのね」の歌ではない。三木露風+山田耕筰の方。

夕やけ小やけの 赤とんぼ
おわれてみたのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
小篭に摘んだは まぼろしか

十五でねえやは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

 「おわれてみた」というのを、長いこと「追われてみた」と思ってた。どうも納得がいきにくかったが、それでも何となく、孤独な感じを勝手に想像してた。

 十五で嫁に行ったのが、姉なのか女中なのか、よく分からなかった。どっちへ転んでも、お里の便りが絶えた理由は、これは今でもよく分からない。
 三木露風が祖父の家で育てられたとか、そんな横合いからの解釈をしなければならないなら、この歌は独立していないことになる。

 いや、それでもよいから、「山の畑の 桑の実を/小篭に摘んだは まぼろしか」という部分の解釈を、どなたか教えて下さらないか。
 この部分、ぼくには、とことん謎なのである。

 序でに書けば、「夕焼け小焼けの赤とんぼ」とは、夕暮れ時の情景を現しているのか、単に赤とんぼの色を指しているのか。

 トンボは蜻蛉と書くが、カゲロウとも読む。

 歌詞が分からないのに、何故か孤独感だけは、ひしと伝わってくる、不思議な歌だ。

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2011年11月28日 (月)

インターネットという、(ぼくらの)目に見えない世界への依存 その3

 googleは、人類の「知」を全て自前のサーバーに収めてインデックス化することを目指している、と宣言している。「知」の中には、ぼくがGmailで送受信したメッセージまで含まれる。
 Gmailの使用許諾の中には、送受信メッセージのスキャンを承諾するという項目がある。

 web上にばらまかれている情報を収集するために、世界中にあるサーバーを、クローラーと呼ばれるロボット・プログラムを使って巡回スキャンし、そこに含まれている中身を、まるで過食症のように次々と取り込み、インデックスを作り続けているというのも、凄い話だ。

 検索やe-mailだけでなく、文書作成・保存から画像映像保存まで、あらゆるサービスを全て無料で提供しているのも、その長大な計画の一環。

 そうして、世界中web上でどのような単語が最も使用されているのか、どのような組み合わせで使われているのか等々を解析し、その解析結果の効率が良いように思えるものだから、皆さんこぞってgoogleサーチを使うようになり、その「精度」はますます向上していくという仕掛けになっている。(「精度」と括弧書きしたのは、中国googleのことを考えればすぐ分かる)

 そして、そうやって得られた、ぼくらには到底想像もできない気の遠くなるようなデータは、広告に使われるということになっている。

 ホントにそれだけなら、まあええかという気にならんでもないが。

 ぼくがGmailを使う時は、当然GmailのID番号が必要になる。googleリーダーというのもぼくがほぼ毎日使っているgoogle提供の機能で、これにもIDが必要だけど、それはGmailのIDと同じということになっている。googleドキュメント然り。

 そして、これらの「無料サービス」を使用することにより、googleはぼくがweb上で受発信している事柄を、同一ID番号に関連付けながら黙々と収集し続けている。

 「個人を特定するようなことはしない」みたいなことをgoogleは宣言している。

 今は、していないのかもしれない。でも、その気になれば、収集蓄積されたデータを全て集積し関連付けるのは、彼らにとって児戯にも等しい技であることは、忘れない方がよい。

 近頃、Gmailにアクセスする度に、こんなメッセージが出てくるようになった。

携帯電話をアカウントに追加

電話番号を登録しないと、パスワードを忘れた場合やアカウントが乗っ取られた場合にアカウントにまったくアクセスできなくなるおそれがあります。 この手順が非常に重要である理由についてはこちらをご覧ください。

Google はご登録いただいた番号をアカウントのセキュリティ保護にのみ使用します。他者と共有したりその他の目的で使用したりすることは一切ありません。
アカウントに携帯電話を追加する手順をスキップする場合は、こちらをクリックしてください

 今の技術では、web上で収集できる個人情報はIPアドレスまで。本当の「個人」までは特定できない。が、携帯電話番号なら、少ない例外を除き、ほぼ個人を特定できる。

 以前、googleは、パスワードを忘れた時に備え、セカンド・メール・アドレスを登録せよと迫っていた。

 が、今般のアラートは、「携帯電話番号を登録しないと、あなたが我々のサーバーに(タダで)置いている情報にアクセスできなくなる【かも】しれませんよ」と言い始めているのである。

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2011年11月27日 (日)

霧のエッフェル塔

 シャンゼリゼはクリスマスの飾り付けが終わったらしい。

 夜九時頃、コンコルド広場からシャンゼリゼへ至る道は車で大混雑。今年のイルミネーションを見てみたかったのだが、後日に譲ろう。、

 先日書いた時ほどではないけど、今日は少しだけ霧に覆われたエッフェル塔が見られた。

Photo

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2011年11月25日 (金)

11月後半になって少し気温が下がり始めたパリ

 あまり一般受けしないヘビーな話を連続で書いたので、箸休め。

 一時期ぐんと気温が下がったが、持ち直して好天続きだったパリ。今日になって、再び幾分気温が下がったが、それでも震えるほどでもない。

 昨日と一昨日は、こんな日和に、建物の中に閉じこもっている奴は馬鹿だ!と言わんばかりの、実に柔らかくやさしい天候だった。

 今朝、出勤時刻はまだ肌触りの良い気温だった。それから気温が下がり始め、東方面のパリ郊外では昼前に一面が霧に覆われてしまった。

 少し前の週末にも霧が出ていた。セーヌ沿いを車で走りながらふと見ると、エッフェル塔の一階部分から上が、霧に覆われて見えなくなってしまっていた。

 こんな光景見たのは、実は初めて。

 残念ながらその写真はないが、富士山の麓付近まで雲が被っている様子と重ね合わせて想像頂ければ大きな差異はないだろう。

 そう、冬のパリは、雲が低く低く垂れ込めてくるのだ。

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2011年11月24日 (木)

インターネットという、(ぼくらの)目に見えない世界への依存 その2

 インターネットは実に便利な道具だ。

 便利だと言っている内は良かったのだが、ネット接続を強要される時代になってきてしまった。そのことへの愚痴は以前に書いた

 数日を要する手紙が、机に向かったままでやりとりできる電子メッセージにとって替わられた。それはそれで結構なことである。

 驚異的だったのは、大方の調べ物がweb上でできるようになってしまったことだ。

 web検索エンジンがモザイク、ネスケ(netscape)、IE、そしてgoogleへと、細かいことは省くが変遷を重ね、今では google が一頭群を抜き、検索だけでなく様々な便利を「タダで」提供するようになってきた。無償のe-mailから始まり、文書保存等々。

 何故、「タダ」なのだろう。

 世の中に「タダ」というものが、経済法則として存在するのかどうか。

 利便性を追求することにより参加者を吸い寄せ、個々人のアクセス・検索履歴の蓄積を武器に業者広告を獲得するのが、google の経済的基盤ということになっている。

 googleは、いかなる手段でどのように個人情報を収集しているのだろう。

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2011年11月22日 (火)

インターネットという、(ぼくらの)目に見えない世界への依存

 複数の方から、facebookへのご招待を頂いているが、こんにちまで、ぼくはそれに応じるのを躊躇っている。

 臆病なのだ。

 臆病といっても、故無いことではない。

 今のところぼくはfacebookには参加していないので詳しい事情は知らないが、参加者のGmailだったかHotmailだったかに登録してある個人のアドレス帳が、一定の操作で誰にでも見られるようになった事件があった。

 また、これも未参加なので正しい用語は忘れたが、「友達つながり」みたいなところで、自分の家族がその輪の中に勝手に入れられていたという事件もあった。

 いずれも、既にプログラムは修正されていることだろう。

 プログラムのバグなんていくらでもある。そのこと自体に目くじらを立ててもしかたない…いや、ホントは目くじら立てるんだけど、この項では不問に付す。

 気になって仕方ないのは、そういう個人情報漏洩を許すプログラムを自分のPCに受け入れる人たちが何故そんなに多いのだろうかということなのだ。

 「情報漏洩を許す」とは、プログラムの不具合とは関係無しに、明示的な意思表示無き場合には勝手に他人様のPCからの情報収集するプログラムの、自分のPCへの埋め込み許諾を意味する。

 ふと気になって自分のGmailの「連絡先」を確認してみた。

 ぼくはGmailに、自分の意志で知り合いのe-アドレスを登録したことはない。そのような行為は厳に戒めている。

 web上に個人情報を置くのは、パンツを脱いで道端に立っているのと同じ事だと認識しているからだ。

 自分のチンチンをを晒すことを気にする奴も居るだろうし気にしない奴も居るだろう。
 皆が皆覗きに来るわけでも無し、別にイ~ジャン、とタカをくくるのならそれでもいいけど、ぼくは一応羞じらいを持っているつもり。 

 が、驚く無かれ、とんでもない数のe-アドレスがそこに登録されていた。ご丁寧に、直接に知らない人々のe-アドレスまでもが登録されていた。

 Gmailの設定を確認してみると、<連絡先を作成してオートコンプリートを利用:新しいユーザーにメールを送信すると、そのユーザーを [その他の連絡先] に追加して次回からオートコンプリート機能で入力できるようにする>というのが、【デフォルト】=既定の設定であった。

 これを知らずに、受け取ったe-mailメッセージに「全員に返信」モードで返信すると、全てが登録される仕組みになっていたとは、恥だけど、知らなかった。

 これはきっと、大方の皆さんには「とても便利」な機能なのだろう。

 そして、登録e-アドレスをターゲットとしたコンピュータ・ウィルス作者にとっては、更にもっと便利な機能なのだということは、もっと広く知られて良いのだが。

 自分の手元で分かる範疇で設定解除はしたが、その機能が本当に無効化されたのかどうか、それを確かめる手段は、ぼくには、ない。

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2011年11月20日 (日)

湿度が低いって、いいことばかりじゃない

 ばばちい話がお好きでない方は、直ちにブラウザーの「戻る」ボタンを押すように。

 

 日本に比べてパリは湿度が低い。

 お陰でぼくのような汗かきでも、昔に比べて夏が暑くなったと言っても日本に比べりゃ遙かに過ごしやすい。長時間の会議で靴を履いたままの足が蒸れることも比較的少ない。風呂から上がってもすぐ乾く。当然洗濯物もすぐ乾く。

 結構ずくめのようでもあるが、ドラム方式の全自動洗濯機で洗濯物を取り出すのを忘れたりすると、衣服に皺が寄ったままで半分乾燥してしまうことがあったりする。これはまあよろしいとして、ちょいちょい困るのがトイレ掃除。

 健康的なヤツがズトンと出てくれれば何の問題もないが、そういう僥倖は滅多になく、大抵不健康なヤツがあたかも全方位掃討作戦侵攻の如く、便器内部一杯に模様を広げる。

 水洗で全てが洗い流されるわけでもないので、たまに手抜きして一日二日そのまま放置すると、もう後始末が大変。完全に乾ききってしまったヤツらは、ケミカル類を使っても負けじと必至でそこにしがみついているのである。

 は?毎回ブラシで洗えばいいだろうがって?

 返す言葉もございません。

 m(_ _)m

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ボジョレ・ヌーヴォ Beaujolais nouveau

 近所のスーパーに行ったら、Beaujolais nouveau が置いてあった。

 Beaujolais の仮名書きをボージョレとするべきなのかボジョレーなのか知らない。ぼくは自分の流儀でボジョレと書く。
 nouveau の方は本来、ヌーヴォとヌーヴォーの中間辺りではないだろうか。

 偉そうに書いているが、未だに「ウ」及び「オ」に属する特定母音の発音がきちんとできないでいる奴の戯言と、捨て置き下され。

 もともとボジョレ・ヌーヴォには興味がないので、店で見かけるまでそういう時期になったことに気付かなかった。
 日本では今年も騒いだんだろうか。

 興味がない理由は簡単至極。美味しいとは思わないから。

 一口に「ボジョレ」と言っても沢山の種類(畑)があり、それを全て渉猟したわけではないから、あくまでぼくが遭遇したことのある範囲で、である。一度くらい、ボジョレ・ヌーヴォを冠しているワインを全て買い集めて試してみるという野心を持ってもよかったのだろうが、それほどの熱意もない。

 ボジョレ・ヌーヴォが珍重されるのは、もともとその年のワインの出来具合を占うためであったと聞いたことがあるが、そうだろうか。

 フランスは広い。たかだがブルゴーニュに接している一部地域の、特定ガメイ種に限られた、しかも特殊な製法でつくられた葡萄酒でフランス全土の出来具合を推し量ることができるのかどうか。

 そもそも、ヴォジョレ・ヌーヴォとは何ものであるか。

 2011年11月現在のフランス版wikiによれば、1951年に9月に、ワインの新酒販売は12月15日以降に限るとの法令が出され、幾つかのワイン業者組合がこれに強く反発。

 すると突如、11月13日に「特定のものは今日から売ってもいいよ( dans quelles conditions certains vins peuvent être commercialisés dès maintenant sans attendre le déblocage du 15 décembre )」との例外運用通達が出されたんだとか。

 一旦出した法令に対し慌てて例外措置を打ち出すのは、フランスでは珍しくない。日常茶飯事とまでは言わないが、何かしら大きな法令が出る度にフランス人は、「どうせまた、例外規定が出されるよ」と半分無視してる。

 その発売解禁日は、後に11月11日になったり15日になったりして、結局今の11月第三木曜になった。
 最終的に「日付」 ではなく「曜日」指定となったのは、酒屋を含む商業店舗は日曜は休日だから、指定日が日曜になっては具合が悪いという理由で、所詮いい加減なものなのだ。

 一般のワインは葡萄を破砕して醸造タンクに放り込む。ワインは神聖なものであり(キリスト教なんだから)、昔は処女が素足で葡萄の実を踏んで破砕していたとか。
 処女というものを調達できなくなったから破砕を機械に任せるようになったのかどうか、その辺りの事情はぼくには詳らかでない。

 対してボジョレ・ヌーヴォは、破砕せずそのまま醸造タンクに葡萄をまるごと放り込む。醸造すべき葡萄の一割から三割を先ず放り込む。重みで下の方の葡萄が潰れて発酵を始め、やがてタンク内が炭酸ガスで充満する。

 頃合いをを見計らって残りの葡萄をタンクにぶち込む。タンクに充満したガスが新しく投入された葡萄の粒に浸潤して、更に様々な発酵が進行するという仕掛けで、これを炭酸ガス浸潤法.と呼ぶそうな。

 そういう製法の違いがある。

 ヴォジョレ・ヌーヴォに「●●年もの」は存在しない。何しろ一年前二年前のものを、ヌーヴォ(新しい)と呼べはしない。
 だから、もう暫くすれば、捨て値で店頭に並ぶようになる。

 そういや、去年だったか一昨年だったか、興味でその捨て値のボジョレ・ヌーヴォを買ったことがあった。

 二度と絶対買わないと誓っているわけでもないが、多分食指が伸びることは今後、ないだろう。

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2011年11月18日 (金)

シャルトル Cathédrale Notre-Dame de Chartres 5

 時刻は遡るが、シャルトルの街に入り、パーキングに車を置いて聖堂を目指しながらぶらぶら歩いていたら、花市があった。

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 普段あちこちの街角で見かける花屋とはちょっとばかり趣が違う。

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 明らかに、生け花風の展示をしているのだ。

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 深紅の薔薇の花束もあった。そうか、こんな時期にも薔薇があるのかと、その時は暫し目を留めた程度で通り過ぎただけだった。

 さて、聖堂を一回りしてから庭に廻ったら、こんな季節に真っ白な花が咲いていた。茎に棘があるから薔薇の種類だと思うのだけれど、違うかなあ。

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 高台にあるこの聖堂の、裏庭からの街の眺望も見所と言うことになってはいるが、なに、それほどのこともない。

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 聖堂の一番奥の部分だけは、他と全く違う造りだった。多分ローマ様式時代の建物が残っているのだろう。

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 日の落ちかかった聖堂を後にする。

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 観光案内所でもらった地図を頼りに、しばしば道に迷いつつ街を彷徨った。旧市街というのは、どこの土地でも美しい。

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 一息つくかと立ち寄ったブラッスリーで、「こちらにお住まいですが?」と若い女性が声を掛けてきた。

 本来ならそれだけでココロときめく思いが湧き上がってきてもよさそうなのに、最早そんな場面でも心躍らせることの無くなってしまった自分が、いささか情けなくなってしまった。トシははとりたくないものである。

 それはそうとして。

 聞けば、これまでレンヌ Rennnes に住んでいたが、亭主の仕事の都合でシャルトルに引っ越してきたと言う。シャルトルに四人ほど日本人がいると聞いていたので、その中の一人かとぼくに尋ねてみたらしい。

 ブラッスリーを出、パーキングで駐車料金の精算をしようと自動精算機の前であれこれやってみるが、何度やってもクレジットカードが拒否される。

 かなんなーとしつこくやり直ししてたら、後ろで待ってた中国人らしき男が、「アンタ、カードを入れる場所が違うてるで」と、ちょっと苛立った様子で注意してくれた。

 空港やパリ市内のパーキングでは、駐車チケットを差し込む場所とクレカを入れる場所が同じ。その方式にすっかり慣れきってしまっていたので、この駐車場の精算機は別々の場所に入れなければならないのに気付かなかった。

 そういや、ベルサイユ宮殿で、庭の入口で入場券を買う自販機でも、差し込み口が別にあるのに気付かず長い時間苦労した。

 この程度の使い勝手も全国的に統一できないフランスなのである。経済が停滞するのもむべなるかな。

 と、プンプン怒りながら・・・と書きたいところだが、もうすっかり慣れきってしまっているから、大して腹も立たない。

 こんな感覚で日本に戻ったら、周囲とは(これまで以上に)やっていけんかもしれんなあ。

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2011年11月17日 (木)

シャルトル Cathédrale Notre-Dame de Chartres 4 大聖堂内部

 ステンドグラスの美しさで訪れる人を魅了するというこの聖堂。
 実際、あんなに素晴らしいステンドグラスは見たこと無いと、夢見心地の目線で絶賛する知人がいた。

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 わし、ステンドグラス随分沢山見てきたはずだけど、なーも覚えていない。だから、ここのが一番美しいのかどうか、分からん。 涙)

 この聖堂、ただいま修復工事中。最大のウリである薔薇窓には薄い汚い布の覆いが掛けられていた。

 メイン祭壇の後ろ側もこんな感じで補修工事中。

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 「お祈り受付」と表札の掛かった小部屋に神父がいた。なかなか愛嬌のある顔立ちなので、思わず写真を撮ってしまった。

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 この神父に「修復工事はいつまで?」と尋ねる人が居た。
 神父の答えは、「さーなー、何しろ政府のやることなんでなー、終わるのがいつになるかは、分からんなー」。

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 ちーと度肝を抜かれたのが、メイン祭壇の横手壁に並ぶ彫刻群。

 勿論聖書のお話しが並んでいるわけで、どこの教会にも大抵同じ趣向の絵なりレリーフなりが誂えられているのだが、ここの彫刻群は実に良くできている。古さが、また良い。まことに印象的であった。

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 土産物売り場に並んでいる人形の類が可愛いのに軽い驚きを覚えた。こういう場所で商われている可愛らしい人形って、あんまり記憶にない。他にはないと言っているのではない。「記憶にない」と言っているだけ。所詮ぼくの記憶力なんだから、お間違えの無いよう。

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 こういう場所にはフランス国の歴史、即ち王族の歴史の本がたんまり並んでいる。その中に日本産の漫画があったのにまたもやびっくり。
 これは今まで見たことない。存在しないとは言わないが、ぼくがこれまで見たことないのだけは確か。

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 純金のペンダントなんてものもあった。何とはなしに欲しくなったのだが、昔の二の舞はいかんと思い直した。

 学生時代に百貨店で、ふと象嵌のペンダントが目にとまったことがあった。
 何故だか随分気に入ってしまったらしく。後先考えずにそれを購入してしまった。家へ持って帰って暫く眺めて悦に入っていたのだが、まさか自分でぶら下げるわけにも行かない。
 そのまま持っているのもヘンで扱いに困り、大学の後輩の女の子に突然、「これあげる」と渡した。
 顔見知りとはいえ、ほとんど話もしたこともない薄汚い格好の先輩に突如プレゼントを渡された彼女の気持ちは如何様なものであったことか。
 当然のことながら、そこから何かが発展したわけでもない。

 忘却という書庫に閉じ込められていたはずの過去が、風呂の湯槽の中でゆらゆらと浮き上がってきた屁のようにパチンと鼻先で弾け、その臭いに軽く酔いながら、聖堂の外へ出る。

 ああ、そういやぁ、こんな川柳があった。

 我がものと おもえばいとし 屁のにおい

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2011年11月16日 (水)

シャルトル Cathédrale Notre-Dame de Chartres 3  大聖堂 婚礼の儀

 聖堂の中に入ったら、羽根飾りの付いた帽子を被っている女性が居た。とてもお洒落な身なりではあるが、ふつーその恰好で表は歩かんだろうという、ケバい出で立ち。

 場違い勘違いなな恰好をするフランス人も居るのだとちょっと小馬鹿にしたが、勘違いはぼくの方だった。

 祭壇の様子が、これまで見てきたものとどうも違う。

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 祭壇脇には、儀式具が置かれていた。

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 祭壇の前の席には大勢の人が居る。

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 婚礼の儀がこれから執り行われようとしているところだったのだ。

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 花嫁は膝丈のドレスだった。裾の長~い純白のドレスの裾を引き摺ってヴァージン・ロードを歩くのが西洋風だと思っていたんだけど・・・
 この花嫁はヴァージンじゃなかったんで、短いドレスしか許されなかったんだろうか。(そんな根拠があるのかどうか知らん。あるわけ、無いわな)

 と、先ほど入口付近で見かけた「ケバい」女性が祭壇の脇に立ち、自ら歌いながら、賛美歌斉唱の指揮を始めたのである。葬式の儀でも見た、参加者一体型の演出がここでも見られた。

 この女性の赤いスカート、前の方がずり上がっているのでてっきり妊婦かと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

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 バック・バンドは、朗々と堂内に響き渡るパイプオルガンの生演奏である。そうあっては、どんな歌でも荘重に聞こえないわけがない。

 朝比奈隆が1975年、聖フローリアン教会で大阪フィルを指揮したブルックナー交響曲第7番は名演と言われているが、確かに残響効果が素晴らしかった。

 教会の残響効果はカラオケのエコーとは全く別物。残響が天に昇るような感じで抜けていくのだ。この感覚は、その場にいないと到底分からない。
 (サン・サーンスの交響曲第三番を教会内の演奏で聞けたらなあ。嗚呼)

 雲のように堂内を満たす音が天に吸い上げられていく。両側の壁には大きなステンドグラス。

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 こんな素晴らしい場所での婚儀。新郎新婦は未来永劫決して別れることはないであろう。幸多かれと祈る・・・ウソです。ここで挙式するのには、いかほど入り用であろうかと、ま、そんなことを考えてた。

 そのような儀式が執り行われている最中でも、観光客はお構いなしにそこら辺をうろうろしている。それがまた、何とはなしにさまになっている。仏式、神式と最も違う点だろう。

 あまりに当たり前のことなので書かなかったが、こちらの教会に「拝観料」というシステムは、ない。

 日本の神社仏閣で拝観料・・・拝んでありがたく見せて頂くための料金が存在するのには、理由がある。それは承知しているつもりだが、キリスト教が「拝観料」無しにやっていけるのは何故か。そんなところを、神主も坊主も勉強してくれたらなぁと、しみじみ思ってみたりもするのである。

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2011年11月15日 (火)

シャルトル Cathédrale Notre-Dame de Chartres 2 大聖堂

 シャルトル大聖堂と呼び習わされているこの教会は、正確にはシャルトル・ノートルダム、或いは、シャルトル聖母マリア大聖堂とでも呼ぶべきか。

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 カテドラルを「大聖堂」と書いた。
 この訳語では単に大きさを現しているかのように見えるが、それだけではない。キリスト教の国では地域が区割りされて、それぞれの教区を任された教会(église)がある。その地域一帯の教会を束ねるのがカテドラル(cathédrale)。本山とまではいかないだろうが、会社組織で言えば、部長相当か。

 シャルトルのカテドラルは、ゴチック様式を最も良く残している建築物として、また、数々の戦火をくぐり抜けて、古い彫刻やガラスが残っているものとして、そしてまた、ローマ時代の建築様式の名残をとどめていることで知られている。

 今の建物は鎌倉幕時代にローマ様式の教会が焼け、その跡地に建てられたもの。それまで既に5回ほど建て替えられている。

 ゴチック-gothique とう語は、ゴート族風というのが本来的意味だが、洗練されていない、とか野蛮という意味合いで使われるようになったらしい。優雅なローマ様式と対比してのことであろう。その建築様式が、蛮族の住んでいる、天に向かって伸びる森林の木々を想起させたのかもしれない。と、これはあくまでぼくの想像。

 外観はいかめしい造りで、城塞を思わせる。

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 鎧の段平状に出張っているのが工夫で、屋根の重みを丸天井のアーチで受け、横に推される力を受けるために柱が外に飛び出るような恰好になっている。

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 パリのノートルダム寺院はのっぺりとした感じで、ぼくはあまり好きになれない。こういう風にゴテゴテしているのが好み。何となく力強さを感じる。

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 ゴテゴテと言っては申し訳なかろうが、入口、外壁部の装飾彫刻も念の入ったもの。

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 四半世紀前にバルセロナでガウディ設計の聖家族教会を見た時、その壁面の彫り物に魂消てしまったのだが、先にここを見ていればあれほどは仰天しなかっただろうにと思う。

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 ここに到着したのが午後三時過ぎと、冬時間帯では随分遅い時刻だったので、ゆっくり「ゴテゴテ」を鑑賞できないことを心残りに、聖堂の中へ入る。

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2011年11月14日 (月)

シャルトル Cathédrale Notre-Dame de Chartres 1

 シャルトルという街の名前を知らなかったわけではないが、明確に意識したのは1980年代の前半のことだったろう。

 当時フランスに赴任して日も浅い頃、大学母校の教授から巴里へ行くことになったのでシャルトルへ連れて行って欲しい、との連絡を受け取った。プルーストを専門とする教授であった。

 フランスの地図を広げて街の場所のおよその目安は付けたが、パリからわずか八十キロの距離とは言え、それまで遠出をしたことがなかったぼくは、当時の上司に念のために行程を尋ねた。

 上司は簡単にぼくを諫めた。「あんたの運転技術では、行かん方が無難だろう」

 ぼくは生来素直なタチなので(笑)、なるほどそれも道理であると教授に「スンマセン」と断りの手紙を書いた。

 e-mailもカーナビもない時代の話である。

 シャルトルという名前こそ知ってはいたが、結局の所、他に持っていたキーワードは「ステンドグラス、青」の二つだけであり、大した興味も持たないまま四半世紀を過ぎてしまった。

 俄にこの街へ行ってみる気になったのは、来仏に際し多少お供をさせてもらった客人が、一人ならずそのカテドラルを褒め称えていたせいで、相変わらず自主性に欠ける運びではある。

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2011年11月13日 (日)

2011年11月 夜のノートルダム・ド・パリ、セーヌ河畔

 11月、夜のシテ島。寒さが緩み、若者が河畔に集う。

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 ノートルダム・ド・パリに上った月。

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 光の饗宴 1。

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 光の饗宴 2。

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2011年11月11日 (金)

ヴァンドム広場 Place Vendôme

 オペラ・ガルニエとチュイルリー公園の中程にあるヴァンドム広場。官公庁や宝石店、そして、ホテル・リッツがある。

 方形の広場の真ん中にどんと塔が立っている。そんな風景なら、パリにはいくらでもある。だから、なにもここがお勧めスポットというわけでもない。

 が、アウステリッツの戦いで、ナポレオン軍がオーストリー・ロシア連合を破り、戦利品の大砲でこの塔を作ったのだと知ると、多少の感慨も湧いてこようというもの。

 夜のヴァンドムを歩くのは四半世紀振りのことだ。

 気温が少し戻り、風もなくて心地良い夜だった。午後十時近くとあって、人通りも少ない広場の中、煌々と月明かりに照らし出された塔が屹立していた。
 (写真はwebからのパクリ)

Photo

 一句

  月溜まり 
  ヴァンドム広場
  夏は去り

 一首

  風止みて
  ヴァンドム広場にひとり立つ塔を磨きて
  月 秋を行く

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2011年11月 9日 (水)

携帯電話はヒトをダメにするんじゃないか?

 馬上 枕上 厠
 この三題が何であるかご存じの方も多かろう。

 考え事をするのに最も適した場所とされている。

 が、高性能携帯電話の普及で、三つの内二つの場所は、最早考え事をする場所ではなくなりつつある。

 勿論、機械のせいではない。使用する側の問題である。

 歩いているときも、駅の階段を上り下りするときもケータイを握りしめてるヤツ、会議中でも時々チェックしてるヤツ。風呂に入るときもケータイ持ち込まないと不安なヤツ。ひどいのになると、人と話してる最中でも、多分着信バイブレーションがonになっているのだろう、ケータイ取りだして眺めるヤツ。

 すべからく馬鹿にしてた。

 が、なんということだろう。フランスに赴任してからは、業務上の都合もあり、遂に自分が携帯電話漬けになってしまった。

 最初は、どこででも細切れ時間に業務連絡のチェックができると喜んでいたのだが、いつしかそれが強迫観念になってきた。
 一服煙草を吸う時間にも、慌ただしくケータイを取り出す自分が見苦しい。

 昔は、バスや電車を待っている間、本を読むこともあればボーッとしてることもあった。それでも、それは主体的な行為だった。ボーッとしてるのが主体的かどうか。しかし、本だけはどんなときも何かしら持っていたのだから、やっぱりそれは選択的ボーッだったのだ。

 ところが今では、その空白をなんとかして埋めようとしている自分を訝る。
 いや、主体的に埋めようとするのではなく、その時間を半ば機械に任せてしまっているような気もする。あっち側から情報が飛んでくるのだから、こちらは受け身。ある意味楽だとも言える。

 手持ち無沙汰なときは無沙汰なりに、細切れ時間の中で何かしら考えていた。あの空白時間というのは、実はとても貴重なものだったような気がする。

 画期的な発明発見というものは、ひょっとしたら今後、どんどん少なくなっていくのではないだろうか。

 自分を基準に考えちゃいかんのだろうけど。

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2011年11月 8日 (火)

七十而従心所欲、不踰矩

 未だに失言が多い。

 思ったことを後先考えずにホイホイ言ってしまってから、「しもた」と気付けばまだしも、そのまま気付かず、知らぬうちに他人様の気を悪くしてしまうことが、未だにある。
 友人と呼べる相手が少ないのは、若い頃からのこの悪癖のせいなのである。

 知人から、要するに子供なんやなと指摘されて、なるほどとヘンに得心してしまった。

 人間的に成長するというのは、他人様を慮って自分勝手な行動を慎めるようになるということなのだろう。

 論語に曰く 七十而従心所欲、不踰矩

 孔子の時代の七十歳なら、どんなにハチャメチャやったところで、社会規範を越えるような体力もなかったのだろうと憎まれ口を叩いても始まらない。

 要するに、ぼくは未だに未熟者ということになるのだろう。

 そういう方向へ考えが傾き出すと、とめどもなく暗い世界へと滑り落ちていく。

 しかし、待て。

 花は紅 柳は緑 という言葉があるではないか。

 小賢しくあれこれ考えず、有り体ありのままがよろしいと。

 だから、このままでいいんだ

 ・・・という考え方は

 これは決して禅の境地ではないなあ。

 世間一般ではこれを、居直りと呼ぶであろう。

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2011年11月 5日 (土)

食事中に水を飲むのは、蛙とアメリカ人だけ その2

 いやー、久し振りにアホな記事にぶち当たった。
 いわゆる「質問コーナー」みたいなもの。

 以下、全文引用。

フランス料理でワインを頼まない馬鹿者

この間、正装をして、ある一流店にフランス料理を食べに行きました。ところが、隣のテーブルにいた、アベックの若者が、ワインを頼まず、ソムリエに「ミネラルウォーターを下さい」と言っていました。

昔から「食事のときに水を飲むのは蛙とアメリカ人」と言うことわざがあるぐらい、フランス料理では食事中に水を飲むことは品のないこととされています。実際、学生時代にフランス人の先生に教わりました。皇室でも、フランス料理を食べる時は、水を飲むことが禁止されていると聞きいています。フランス料理はワインを飲んで、はじめて成立するものなのだから、ソムリエが存在しているのです。

このことに限らず、最近の若者は、常識を知らない人が多いと感じるようになりました。

フランス料理を食べる時は、たとえ、飲まなくてもワインを頼むというのはマナーとして常識のはずですが、若い人はそんなことも知らずに、フランス料理を食べに来るのでしょうか?

 元ネタアドレスは http://okwave.jp/qa/q3891162.html
 この投稿者は、質問というより自分が知っていることをひけらかしたいだけのようだが、

 「食事のときに水を飲むのは蛙とアメリカ人」と言うことわざ

 そんな諺なんて、無い。単なる揶揄というのは、前回述べた通り。

 実際、学生時代にフランス人の先生に教わりました

 身の回りにいるよね、この人が日本人代表だと思ってもらっては困るてな御仁が。

 皇室でも、フランス料理を食べる時は、水を飲むことが禁止されていると聞きいています

 皇室典範を読んだことがないので、ツッコミ不能。

 フランス料理はワインを飲んで、はじめて成立するものなのだから

 100%間違いとまでは断定しない。料理そのものにワインを使っているものは多いのだから。けど、それならソムリエは、この料理にはこのワインを使っているので、飲むならこれがお薦めとでも言わねばならんだろうなぁ。経験不足で、そのような推薦にあった試しはない。

 フランス料理を食べる時は、たとえ、飲まなくてもワインを頼むというのはマナーとして常識のはずです

 飲まないワインを注文して、そのまま残したら、ソムリエはどう思うだろうなあ。
 強いてフォローするなら、超高級ワインの場合は、そういうものをなかなか味わえる機会のない料理人達のために少しだけ残しておいてあげるといい、かもしれない。
 でも、それは心遣いであって、マナーとは言わんだろうなあ。一本一万円程度のレベルじゃ問題外。

 若い人はそんなことも知らずに、フランス料理を食べに来るのでしょうか?

 あなたはそんなことも知らずに、フランス料理を食べに来るのでしょうか、しかも清掃して・・・おっと間違えた、正装して。とこの投稿子に返してあげよう。

 この方『正装をして』って、まさかベレー帽を被って行ったんじゃないだろうね。

 今じゃベレー帽なんて見かけないし、それが格好いいと言う人は居ないと思うけど、四半世紀前に「ラ・セール」でベレー帽をお召しになったお客人の接待をするハメになった方の話を聞いたことがある。
 さぞや居心地悪かったことであろう。

 とまあ、前回の記事だけで良いのに、懲りずに下らない記事に下らないツッコミを入れた。わしも同じ穴の狢であろう。

 これまで「マナー」に関わることを書いたこともあるけど、あくまでも庶民レベルに限ってのことで、貴族階級がどうなっているのかはぼくには分からないので、決してお間違えの無いよう。

 たとえば、料理を食し終わった後の皿にソースが残っていたら、ちぎったパンにそれを浸して食べるのは珍しくない。

 四半世紀前に初めてそういう光景を見たとき仰天した。なんちゅうみっともないことを、と。

 でも、まあそれは、ソース美味しかったよという料理人へのメッセージにもなるだろうし、皿洗いの負担を軽減するのだろうから、それはそれでアリかなとも思ってた。だからぼくも真似して手でちぎったパンでソースをさらえるようになった。

 が、ウソか誠か知らないが、やんごとなき方々のお食事会では、手でつまんだパンでソースをさらえるのは不作法。その場合、パンはフォークに刺してソースをさらえるのだとか。なんだか納得できるような気もするが・・・

 繰り返すが、それがウソか誠かは知らない。そのようなセレブの集まりに呼んで頂ける機会のないぼくにとっては、どうでもよいことではある。

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2011年11月 4日 (金)

ブリュッセル 高速列車 タリス Thalys に乗った

 四半世紀前、片道三百キロのパリ・ブリュッセル間を車で移動することに何の疑念も抱いていなかった。片道三時間の距離だった

 が、今では事情が違う。車の速度規制が五月蠅い。真面目に走ると四時間かかる。

 今週仕事でブリュッセルに行くことになり、最初何も考えずに車で往復するつもりでいたが、出張から帰った翌日に超ヘビー級の会議が連続で三つもセットされてしまっていた。流石に体力温存を図らねばならず、今回の滞在で初めてブリュッセル行き列車を使うことにした。

 その列車はタリスと呼ばれる高速鉄道で、パリからアムステルダムまで三時間半弱、パリ~ブリュッセル間を何と一時間半弱で結ぶという。パリ~ボルドーのTGVとは雲泥の差で、車内は清潔だし揺れも少ない。座席は安っぽいが、それでもボルドー往復TGVよりは余裕がある。

 退屈する間もなく到着したブリュッセルのMIDI駅は、ぼくが知っている駅ではなかった。

 思い起こせば四半世紀前。初めてフランスへ赴任し、右も左も分からぬ、一ヶ月経ったか経たないかの頃、いきなり上司に、ブリュッセルで会議があるからアンタも行くんやで、俺の車で一緒に行こうと言われて、訳も分からずブリュッセルへ。

 会議が終わってパリへ帰るというその朝、突然上司から告げられた言葉が、他の人間を乗せなければならなくなったからアンタは電車で帰ってくれ。

 は?

 突然の御託宣。ブリュッセルのことなんかまるで知りゃしない。どうすりゃいいのか分からず途方に暮れた。

 ホテルで方角だけ聞いててくてく歩いて辿り着いた駅で、苦労して窓口で買い求めた切符を握りしめ、パリ行きの列車が出るホームが分からず右往左往してぎりぎりに電車に飛び乗ったことを思い出す。

 あの頃は、ベルギーとフランスの国境を越えるときに、列車内でパスポート・コントロールがあった。

 パリの北駅に着いたら、雨がしとしと降っていた。

 その頃ぼくが済んでいたのはパリではなく、郊外だった。パリなんて殆ど知らなかった。そこから先、どうやってアパートに戻ればよいのか俄に分からず、また思案に暮れてしまっていた。

 そんなことを思い出しながら、今日、北駅へ帰ってきた。

 ぼくを迎えてくれたパリの空は、やっぱり、雨だった。

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2011年11月 1日 (火)

Autolib その2

 カー・シェアリングのAutolibが、この十月パリに遂にお目見え。

 利用料金は、一年契約 144ユーロ、週次契約 15ユーロ、一日契約 10ユーロで、
三十分ごとに5~8ユーロの課金となる。
 片道走行250キロメートルのこの電気自動車、利用はイル・ド・フランス地域(パリとその周辺)のみ。

 たとえば、一日契約で片道半時間以内の所を往復したとすると、

 一日契約料金10ユーロ、三十分までの使用料金7ユーロx2=14ユーロ(往復で)。〆て24ユーロとなる。四人で乗れば、一人頭6ユーロ。

 年間使用契約だと、初乗り半時間は5ユーロなので、年会費144ユーロ(一ヶ月当たり12ユーロ)を無視すれば、上記の例では使用料10ユーロで済む計算になる。しかも、ステーションに返却しさえすれば駐車場料金が不要だから、おトク度はぐっと高くなる。

 が、そうかぁ~?

 先ず、「ステーション」を探さにゃならん。探し当てたところで、velibはパリ市内だけで二万台からあるから、概ねゲットできるだろうが、Autolibではそうはうまくはいかないのではないか。

 しかも、たとえばAutolibを使って夕食に行ったとしよう。行きは何とか空車を見付けられても、帰りにそのレストランの近くに空車が首尾良くあるかどうかは、運次第。自家用車感覚での使用はちと難しそう。

 そもそも自家用車を持っている人間がこれを使うことは少ないだろう。それでは「排気ガス削減」というお題目は空念仏。

 主要使用者は現在車を持っていない連中になる可能性が高いから、却って交通渋滞に加担することにならないか?

 自転車 velib が隆盛を極めているのを指して、このお陰でCO2排出量が何万トン削減されたとか言う論調があるが、ウソ!

 それまで車を使っていた奴らがvelibに乗り換えた例なんて、ごく少数。velibを使ってる連中は、初乗り三十分は無料というシステムに惹かれた、メトロからの乗り換え組が主流なのだ。だから、メトロの運賃収入減となり、しかもメンテ費用が余分に掛かっている。

 うまくいくのかな。



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