東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

放射性物質漏れ 科学者よ、一市民たれ

 再び放射性物質が漏れた。それも茨城県東海村の「J−PARC」という、実験施設の中からだ。最先端の科学の現場で繰り返された安全軽視の失態を、科学者たちは、よく反省してほしい。

 これが、世界最先端と言われる研究施設の実態なのか。科学者や専門家の見識とは、この程度のものなのか。市民感覚、一般の常識からは、あまりにもかけ離れてはいないだろうか。

 事故があったのは、高速増殖原型炉「もんじゅ」を抱える日本原子力研究開発機構と高エネルギー加速器研究機構が共同で運営する実験施設である。

 もんじゅではつい先日、約一万件にも上る点検漏れが発覚したばかりだ。

 光速に近づけた陽子線を金に当て、素粒子を発生させて物理実験を行う。その際に副産物として、さまざまな種類の放射性物質ができる。厳重な上にも厳重な管理が必要な“危険施設”なのである。

 ところが、専門家集団であるはずの研究者側は「漏れは想定外だった」と言う。福島原発事故の痛みは人ごとで、教訓にもしていないということなのか。ボタンはまるで掛け違っている。

 放射性物質が漏れないという神話を奉じたままだから、対策の手順が確立していない。機器の誤作動という前兆を見逃した。警報器が鳴っても「よくあること」とリセットし、実験を継続、原子力規制庁への報告は、発生から一日半も後だった。

 中でも象徴的なのは、いよいよ危険を感じたときに、放射性物質を取り除くフィルターのない排気ファンで強制換気したことだ。外部の安全への配慮がまるで欠けていた。つまり今回の出来事は、放射性物質の漏れという事故ではなく、放出ともいうべき事件だったのではないか。

 現代科学は時として、人知の及ばぬ強大な力を生み出して、人や自然を傷つける。原爆や化学生物兵器の例を挙げるまでもない。

 過去に学び未来を創出するのが科学の役目ではないか。自らが扱う対象に常に敬意と恐れを抱くのが、専門家と呼ぶべき人であるはずだ。一般の安全に細心の注意を払うのが専門家の責任だ。それは社会の中の一市民としての役割でもある。

 科学も技術も、人々が幸福になるためにあるものだ。

 安全を最優先にできないならば、いくらそれが便利でも、科学を名乗る資格はない。

 

この記事を印刷する

PR情報





おすすめサイト

ads by adingo