NHKスペシャル
『NHKスペシャル』(エヌエイチケイスペシャル)とは、NHKのドキュメンタリー番組である。略称は、「Nスぺ」単発のドキュメンタリーを制作・放送していたNHK特集に代わり、1989年4月2日放送開始。原則、毎週日曜日の21:00 - 21:50に放送するが時間枠を拡大したり他の曜日・時間に放送することもある。再放送は、火曜・水曜深夜。多くはハイビジョン放送である。
「NHKスペシャル」
- 発見!幻の巨大軍船〜モンゴル帝国vs日本 730年目の真実 -
- 発見!幻の巨大軍船〜モンゴル帝国vs日本 730年目の真実 -
オープニング (その他)
今から730年前、日本を襲ったモンゴル帝国の巨大な軍船が、ほぼ原型を留めた形で発見された。元寇は蒙古襲来絵詞などとして教科書にも載っているが、その詳しい実像は謎に包まれわかっていない。沈没船には謎を解く手がかりが数多く残されていた。モンゴル襲来の真実に迫る。
司会の松平定知が挨拶。モンゴル襲来は日本人が初めて日本の領土・国土を意識した事件であり、同時に多くの謎を秘めたものだった。その謎を解く大発見として、モンゴルの軍船が海底から外形がはっきりとわかる形で見つかった。船をCGで再現してみると、大きなものだったことがわかる。
松平がモンゴル襲来について説明を行った。モンゴル襲来は2回あり、1回目は1274年の文永の役、2回目は1281年の弘安の役である。モンゴル軍の目的は何だったのか、何を積んでいたのか、武器は何だったのか、なぜ日本は撃退できたのか。謎を解く手がかりはモンゴルの船の発見であり研究である。その発見への道のりについて、まずは紹介する。
モンゴル襲来 730年目の真実 (バラエティ/情報)
伊万里湾の北側に浮かぶ鷹島の沖合200mの海底で、モンゴル軍の船は発見された。琉球大学の池田栄史教授は、モンゴル襲来の謎を解き明かすため、この海に20年以上近く潜り続けてきたが、海底に分厚く溜まった泥が調査を阻んできた。
そこで7年前、池田教授は東海大学の根元謙次教授に協力を求めた。海底の活断層を調べる機器を調査に応用することにして、5年もの歳月をかけて伊万里湾をくまなく調べあげた。反応が出た142か所から、海底に堆積した泥の厚さなどに注目し、最終的に海岸から200m水深23mの地点に絞り込んだ。
去年10月、調査チームは海底で幅50センチほどの木材を発見した。船の背骨に当たるキールと呼ばれる部分のようだった。更にキールの横には、船体の側面に当たる外板が見られた。モンゴル軍の船が構造が分かる状態で発見されたことは、世界でも前例のない快挙だった。船の積荷も次々と発見され、てつはうや磚と呼ばれる当時の中国製のレンガも見つかった。一連の発見で特に研究者を驚かせたのは、巨大なキールだった。
元寇の様子を伝える蒙古襲来絵詞で描かれた船にはキールが見当たらない。今回見つかったモンゴルの軍船がどんな姿をしていたのか、1つの手がかりが韓国にある。国立海洋文化財研究所のシナン(新安)船は、船底にキールが伸び、その両側には外板が立ち並んでいる。730年前、伊万里湾に集結した4400隻の船団は、遥かな遠征を物ともしない、巨大で高性能な軍船を中核とした集団だった。
松平定知がゲストの半藤一利と優木まおみを紹介。モンゴル帝国はクビライの時には全盛を誇っていたが、南宋という国はどうしても取れなかった。南宋を取りたいクビライは南宋に向かわず、文永の役で日本に向かってきた。その理由について半藤は、日本を攻めることで南宋を孤立化させようとしたと説明。モンゴル帝国は1279年に南宋を手に入れるが、1281年の弘安の役では14万の大軍勢で日本を襲来した。ノルマンディー上陸作戦に参加したのが15万人であり、14万の大群が九州に押し寄せてきたのは、近代戦史の中でも驚くべき数であると半藤は語った。
巨大な船軍を草原の民がどこでどうやって作り上げたのか。その謎を解く鍵も伊万里湾に眠っていた。以前の調査で見つかった巨大な碇には重りとなる石が左右に括りつけられており、この石の成分を名古屋大学の鈴木和博さんが科学的に分析すると、1億1千万年前のアルカリ長石花崗岩だとわかった。花崗岩の年代分布図に照らし合わせたところ、中国福建省泉州付近の岩石と特徴が一致した。
碇石の故郷とみられる中国福建省泉州は、当時中国有数の港町だった。この町でも、かつてモンゴル帝国時代とほぼ同じ頃の巨大な船・泉州船が発見されている。当時泉州を訪れたマルコ・ポーロは、ヨーロッパより優れた造船技術に驚き、旅行記に記している。漆喰を船体に塗ることで防水力を発揮する技術は、伊万里湾の海底で発見されたモンゴル軍船にも使われている。共通する造船技術と碇石の特徴の一致から、日本遠征の船は泉州で作られた可能性が高いとみられる。
1279年、南宋を支配下にに置いたモンゴルの皇帝クビライがまず目をつけたのがイスラム商人だった。クビライはイスラム商人を優遇し、政権内部に取り込んだ。当時イスラム商人の中で最も勢力を誇った蒲寿庚をクビライは軍事総督に任命し、商人たちの性能の高い船を集め、短期間で海軍を組織した。そして1279年、クビライは日本を再び攻めるため、600隻の軍船を建造せよという新たな命令を下した。
クビライが日本に再び船団を送ろうと決めた背景には、日本との外交上の問題があった。当初、クビライは日本に対し国交を開くよう求めていたが、外交のブレーンとして南宋からやって来た僧侶からの情報もあり、鎌倉幕府は脅しと捉えこれを拒んだ。クビライは日本再遠征の準備を急ピッチで進める。制圧した国の人材や技術を貪欲に活用するモンゴル帝国は、大海軍も短期間で揃えることが出来る世界的な海洋国家になっていた。鎌倉の映像と北条時宗の肖像画、蒙古襲来絵図が紹介された。
松平定知ら出演者がスタジオトーク。スタジオで混一疆理歴代国都之図を紹介した。日本の外交面での課題も指摘されているが、遣唐使廃止の後、日本はほとんど海に出ておらず、国際情報・情勢には疎かったはずと半藤一利は解説。北条時宗の耳に入るのは南宋からの情報だったことから、モンゴルから使いが来ても斬ってしまった。
日本に来た14万人もの兵士がどのような人々だったのか。その疑問を解く手がかりもまた、鷹島の海底から発見された。神戸商船大学の松木哲さんは海底に横たわる寝棚に注目した。モンゴル帝国では征服した国の軍隊を次なる目標の攻略に動員していた。モンゴル人の消耗を抑えながら、領土拡大を効率的に進める戦略だった。この寝棚に乗せられていたのも、多くは占領された南宋の兵士だったと松木さんはみている。
征服地の兵士を主力としたとみられる日本遠征軍を率いたモンゴル人の姿もわかってきた。内モンゴル文物考古研究所の陳永志さんは、海底で見つかった棒のような出土品を、モンゴル製の刀の可能性が高いと指摘した。九州国立博物館で3次元のX線CTスキャンにかけた結果、内部に刀の刃のようなものがあることが分かった。陳さんはモンゴルの刀だとと判定。更に鞘に施された金属の装飾や漆とみられる塗装に注目し、日本遠征にはかなり位の高い人物も同行していたとみている。
松平定知ら出演者がスタジオトーク。皇帝クビライが作らせた元の国字であるパスパ文字が彫られたはんこがスタジオで紹介された。パスパ文字だけではなく、モンゴルには蒙古襲来絵詞で描かれたてつはうというものもあった。
火薬兵器は元々中国の発明だったが、モンゴル軍は13世紀前半に金王朝との戦争でこれを手に入れる。その後独自の改良を加え、中東やヨーロッパに攻め入る際に大きな威力を発揮した。この火薬兵器がてつはうと名前を変え、蒙古襲来の際に日本で使われた。これまでてつはうは殺傷能力はないとされてきたが、九州国立博物館に展示されているてつはうを分析したところ、高い殺傷能力を持つ可能性が出てきた。
日本煙火協会ではてつはうの再現実験が行われている。てつはうの復元に取り組んでいる火薬の専門家・畑中修二さんが、「我々以外にはたぶんできる人はいないんじゃないですかね」と話した。再現実験の結果、鎧兜をも貫く威力だったことが明らかになった。
てつはうは投てき機によって飛ばされていた。てつはうの威力について優木まおみが、「弓とか槍とかで戦っていた日本人が初めて見たらそりゃびっくりしますよね」とコメントした。
1281年6月、900隻のモンゴル軍が朝鮮半島から博多湾に来襲する。鎌倉幕府側は1週間に亘り必死に応戦し、多数の戦死者を出しながらも上陸を阻止する。頑強な抵抗に一旦壱岐まで後退したモンゴル軍は主力の3500隻と合流し、再攻撃のタイミングを図っていた。そこに嵐が近づいたため、総勢4400隻の船団は内海の伊万里湾に退避する。しかし船団はここで暴風雨に遭い、大半が海に沈んだとされている。
海底で発見された碇から、碇を打って停泊していた船が強い南風に煽られて転覆したことが明らかになった。モンゴル軍の船団を壊滅に追い込んだもう1つの原因として、船と船を鎖や綱でつないでいたことを挙げる専門家もいる。その1人である田村兼吉さんが、「船同士が近づいたり離れたりすることによって船と船の水面が急激に上がる。それで船に水が入りやすくなり、沈むことも考えられる」と解説した。
海底から引き揚げられた出土品の中に「修」と書かれたものがある。クビライは日本遠征のために大量の船を作るよう急がせたが、注文の4分の1程度しか応じることはできなかったとされている。このことから船は修理されたものだったと推測する歴史学者・四日市康博さんが、「穀物とかを運ぶ船だとか交易に使う船を接収して軍船として転用していた。外洋の航行に耐えられないと思われる」と話した。
ベトナム北部を流れるバクダン川ではモンゴル軍の船を探す調査が始まっている。1287年にモンゴル軍はベトナムに攻め入った。しかし、ベトナム軍は自然条件を生かしたゲリラ戦を展開して勝利を収める。その時の戦いで使われたとされる木の杭が畑の下から出土している。
当時ベトナム軍を率いて戦ったチャン・フン・ダオ将軍はベトナム全土の寺で祀られている。将軍が沈めた船団にはクビライが3度目の日本遠征にあてるつもりだった船も含まれていたと伝えられている。専門家のグエン・ディン・チエンさんが、「ベトナムがモンゴル帝国に勝利したことで日本を救ったとも言えるでしょう」と話した。モンゴルの皇帝・クビライはベトナムでの戦いの7年後に病死する。
半藤一利が神風という言葉の語源について、「水戸光圀公が中心になってやった大日本史というのがある。その中に出てくるんですよ。ですから近代に近くなってから神風史観というのができたんですね」と解説した。
2012年10月、鷹島付近の海底で碇とみられる新たな発見があった。発掘調査は来年、さらに範囲を広げて続けられる予定。
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ランキング
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