友達に連れられて、はじめてクラブに行ってきた。
まず、警備員に入り口で身分証明証が求められた。保険証と学生証を提示した。警備員は眉を潜め、その身分証と僕の顔をまじまじと見る。彼は僕に「次回からは運転免許証、パスポートなど国の認可を受けた写真つきの身分証明証を持ってくるようにしてください」と低い声で言った。「あ、はい」僕はそのとき、「もう一回身分証出さなきゃいけなくなったときめんどくさくなりそうだな…」と思った。
入り口を入るとまず持ち物を調べられた。僕はレモンウォーターを持っていたので、それを取られた。どうやらレモンウォーターは消耗品だから捨てて良いと判断されたらしく、帰りにも返してもらえないらしい。なるほど、友人は「飲み物持って入れないから、先に飲み干しておいた方がいいよ」と言っていたが、こういうことだったのか。確かにレモンウォーターがもったいない。
そのあと軽いボディチェック。ポケットに入っていたワイパックスという錠剤をとられ、「これは持って入れません。係の者に預けてください」と言われた。どうやら中でのドラッグのやりとりを防ぐために市販の薬でも持ち込みを禁じているらしい。僕の後ろに並んでいた男も、風邪薬をとられ、渋々係員に預けていた。
そのあとロッカーに荷物を預け、エレベーターを登る。入り口でお金を払い、緑色のリストバンドをつけてもらう。同時に、女性には2杯分のチケットが渡される。もちろん僕には渡されない。
一度入ると、とにかく騒がしい。騒がしい以外に形容できる表現が見当たらない。「おお…これがクラブか…」となぜか圧倒される。
フロアは左右後部に予約席と女性優先席があり、一番うしろではお酒が売られている。その前にはいくつかテーブルがあり、さらに前方、メインのダンスフロアにはお立ち台が並ぶ。お立ち台に立つのはほとんどが女の子で、だいたいの場合まわりの男にチヤホヤされて立ち、なぜだか注目を集める。アンディー・ウォーホルの「誰でも15分間は世界的な有名人になれる」を地で行く世界だ。最前方、つまり酒を売っているバーカウンターのちょうど目の前に、DJブースがあり、ダンスフロアにいる人々はたいていそちらを向いて踊ったり手を振り上げたりしている。
友達に「財布スられるから注意しておいた方がいい」と注意される。おかげで財布を入れた左ポケットばかりが気になる。財布を気にしはじめると、まわりは全員敵だ。誰が犯人になるかわからない。大澤真幸が、オウム幹部は「信者の中にスパイがいる」と噂を流すことで全体を極度の緊張状態においやって支配を築いたとかなんとかみたいなことを書いていた気がしたが、おそらくそれに近い。別にいつだって財布を盗まれる可能性はあるのだが、ここまで人間たちが密集していると、一度疑うとその疑いの渦から逃れられなくなるような気持ちになる。強迫観念というのはまったくおそろしい。
とりあえずそのダンスフロアで音楽にノって体を揺らす。見上げると、天上はプラネタリウムのように球体になっている。「ああ、もしかしたらここはプラネタリウムを改装してつくったのかもしれないな」と思ったが、冷静に考えてそんなことあるわけがなかった。僕は馬鹿か。
兎にも角にも音は大きく、だいたいの曲は名前こそわからないのだが聴いたことはあって、曲に合わせて踊る(というにはおこがましく、実際には体を揺らしているだけなのだが)。まわりをウロウロしていると、男女関係なく、誰とでも目が合う。目を合わせながら音楽に乗っていると、お互いに不思議な高揚感が生まれ、お互いニヤニヤし合ったり、ハイタッチをしたりといった理解不能な現象が起こった。別に理解不能でもなんでもないのだが、その現象はどうにも奇妙で面白おかしいのだ。
僕をクラブに連れてきてくれた友人三人は全員女性だったのだが、彼女たちも早速男たちに取り囲まれ、声をかけられている。「おお、これがクラブ特有のナンパか…」と2013年も絶賛童貞真っ盛りの僕は呆気にとられた。他方に目を向けるとまた別の男たちが女に群がっているのだが、これが傍から見ているとなんとも面白い。ある女には二人の男が群がっており、最初は一人目の男が彼女の体を掴んで無理やり自分の側へ女を寄せようとするのだが、それに対して女は離れたがる素振りを見せる。そこにまた別の男がやってきて、その女とともにダンスをする。それでも最初の男は諦めず彼女のまわりで踊り、なんとか気を引こうとする。もう一方の男も同様に気を引く気持ちは見え見えなのだが、女はダンスをもう一方のその男にも好意を見せる素振りはない。うーむ…と思いつつも僕も音楽に乗ってゆらゆらしていると、なぜだか彼女は僕の方に視線を向けてくるではないか! なんということだ! と僕も目線を彼女に合わせ、一緒に踊る。しかし、先にいた二人の男たちも負けずにアピールをしながら踊る。気がつけば僕もそのアピール合戦に参加してしまっていたのだが、その前に彼らのなんだか情けないバトルを見ているためか、どうにも本気になることができない。結局僕はいろいろとどうでもいい気持ちになって、別のフロアに行くことにした。その途中、両耳にピアスをつけた、オペラ歌手の岡本知高にそっくりな明らかにゲイの男と目が合ったが、すぐに目を逸らした。最初の警備員のチェックがやたらと怖かったせいか、どうにもクラブにいるすべての人間が敵に見え、うまく馴染めない。
時系列はよく覚えていないのだが、そのあとで友人たちと合流すると、そのうちの一人が「男の子と仲良くなった」という。曰く「めんどくさい男たちから自分を守ってくれた」とのこと。うおおなんということだ! 僕は傍目から見ていれば全部男たちはどれも大差ない女に群がるケダモノにしか見えていなかったのだが、どうやら女性にはその中でも優しい人、優しくない人というのがわかるらしい。爆音が流れ人が乱れるフロアにおいては言語を介した理性的なコミュニケーションはできないはずだ。しかし彼女たちは数多の男たちとダンスによるコミュニケーションをとり、どの男はいい男で、どの男はダメな男かというのを瞬時に判別している。その感性、あなおもしろし。
しかし、すこし考えてみると、そういうコミュニケーションもあるのだろうな、というのはわかる。僕だって先ほど女のまわりで踊る二人の男たちを見て、「ああ、彼らはこの女の好意を引きたいのだな」というのをなんとなく理解したのだから。
トイレで友人を待っているとき、そこに居合わせた男とたばこを吸いながら世間話をする瞬間があった。僕はチンケな服装だったし、UNOフォグバーでシュシュッと決めた髪型もあっという間にぺったりしてしまっていたので、どうにもかっこよく着飾っている男たちと面と向かって自信げに話すことができず、「実は僕はじめてでえ、どうにも馴染めないんですよねえ」などと愚痴をこぼす。そうすると男は僕に目を向けて言うのだ。「最前列に行け。そうすれば馴染める!」
…どうやらそういうことらしいので再度メインフロアに行ってできるだけ前方で踊っていると、確かに一人で踊っているだけでもなかなか楽しいものだ。現代の流行曲(それこそカーリー・レイ・ジェプセンの『Good Time』とか『Call Me Maybe』とか)ばかりでなく、Jackson 5の『I want you back』のリミックスなんかも流れていて、おお、古き良きダンスミュージックもこのようにリユースされるのだなあなどと謎の感銘を受けたりすることもできる。そうしているうちにあれよあれよと最前列に到達してしまった。
そこではクスリのやりとりが割と平然と行われている。警備とはなんだったのか…などと思いながら、僕はふと、その前に批評家・上野俊哉がドラッグはダンスイベントにおいてシャーマニズムにおける通過儀礼的なものとして使われてるみたいな話をしていたのを思い出した。なるほど、これが通過儀礼か。僕は最後部に戻り、お酒を頼んだ。
しかし、気がつくと、やたら人が多い。入ったときにも人が多いなとは思ったのだが、もはや後ろのテーブルのあるスペースも人で埋め尽くされており、ゆっくりできるスペースはほぼない。ライブハウスと違って、転換で音楽が止む瞬間がないので、とにかく混雑している。なおかつフロアも狭い。フロアをうろちょろして、僕は疲れ果ててしまった。なんとか、ちょうどお立ち台の下の通路になっている部分に腰をかけることができ、なんとなく音楽に乗りながらも、首をコクリコクリとしていると、男二人女一人の三人組が声をかけてくれた。音楽がうるさくて何を言っているのかさっぱりわからない。しかし、お前も楽しもうぜ的なことを言っているらしいことはわかった。三人組のうちの一人が持っていたスミノフを僕に寄越したので、僕はそれを一気飲みし、結局彼らとそのあと一時間ほどお立ち台の下辺で音楽に乗って楽しむことができた。こういうのが、正しい通過儀礼だ。
結局、4時半ごろには疲れ果てて友人たちと合流し、入り口近くでグダグダと時間を過ごし、5時ごろには店を出た。天下一品ラーメンを食べて帰宅。てんやわんやで疲れたのか、家に入ったらすぐに眠りに落ちてしまった。
友人に、今日行くところは「チャラ箱」だ、と言われてはいたものの、正直「思ってたんと違う!!!」だった。友人たちも、音楽が同じものばかり流れたり、つなぎがうまくいっていなかったりといった部分があって不満があったらしい、と帰りに聞いた。
在宅クソサブカル、しかもOasis、Radioheadなど90年代の音楽で育った時代遅れな僕は、クラブといえば小沢健二の『今夜はブギー・バック』よろしく、華やかな光のもとソウル・ミュージックが甘いハーモニーを聴かせるスウィートでロマンティックな空間だとばかり思っていたのだが、冷静に考えてみるとそんなわけないだろアホか自分…と思った。だいたい、僕がそのような小沢健二的クラブにいったところで、「心変わりの相手」(露骨な引用)になれるはずがなく、まったく僕という人間は相も変わらずただのコミュ障だなあなどと自戒した。
クラブというのは正義と悪の境界、というと仰々しすぎるか、いいものと悪いものの境界がひどくあいまいで、どこか別の世界にトリップした印象を受ける。麻薬体験の表現に使われる「トリップ」という言葉を使ったのはもちろん意図的なもので、あの騒がしい中でミラーボールに反射する華やかな光は、どこかヒッピーカルチャーのあのドギツい色合いを思い起こさせるし、あるいはフジロックで流れたストーン・ローゼズの映像にも似ていた。
なんというか、とにかく何がいいこと、正しいことなのか、本当にわからなくなるのだ。警備員たちはクラブの安全を守るためにしっかりと身分証を確認し、ボディチェックをするのだが、彼らは怖く、僕には悪にしか見えなかったし、同様に僕には悪にしか見えなかったチャラ男たちが、友人にとっては「守ってくれる優しい男」だったりするわけだ。
そう考えると、外から見たら悪いイメージを持たれるけど、一度入って馴染んでしまえば楽しめるクラブ、というのはとてもわかりやすい。風営法改正の足枷になっているのはクラブのそのイメージの問題が大きいというのは周知の事実だが、たとえドラッグのやりとりがあろうとなかろうと、あの空間はどこか「悪さ」があるのである。そしてその悪さは、どこかの一線を超えると楽しく素晴らしいものになるのである。このような表現をすると「クラブにハマるとよくない」という風に捉えられるかもしれないが、決してそうではない。僕はクラブミュージックも含め、音楽が大好きだし、音楽で幸せになれる空間・時間はもっともっと増えるべきだと思う。そして、このクラブという事象を、クラブに通い詰める当事者と、訝しげな視線を向ける部外者双方が納得する形で説明するのはとても難しい。でも、こういう異常な空間こそがクリエイティブだと思うし(とは書いてみたものの、なんたる常套句)、残って欲しいなと思う。
あ、あと、誰か、僕に合うサブカル(笑)趣味なクラブ教えてください。おしまい。