大阪市議会の騒ぎは、いったい何だったのか。日本維新の会の共同代表である橋下徹市長の慰安婦をめぐる一連の発言について、問責決議案が否決された。一時は[記事全文]
安倍政権が近くまとめる成長戦略に、「原発の活用」が盛り込まれる見通しだという。再稼働を求める電力業界や産業界の声を受けてのことだ。あまりに安直ではないか。原発回帰が前面[記事全文]
大阪市議会の騒ぎは、いったい何だったのか。
日本維新の会の共同代表である橋下徹市長の慰安婦をめぐる一連の発言について、問責決議案が否決された。
一時は維新以外の会派が一致する見通しだったが、公明党が一転して問責反対に回った。
維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は、決議が可決されれば、出直し市長選挙に打って出る構えを見せた。参院選とのダブル選は避けたいという議会側の足元が見透かされた。
橋下氏と議会の駆けひきで、問題の本質から外れた陳腐な政治劇に終わってしまった。
今回の混乱のきっかけになったのは、大阪市政とは関係のない、旧日本軍の慰安婦問題をめぐる一連の発言である。
橋下氏は、米軍の司令官に対し風俗業の利用を促したことは撤回し、米国民に謝罪した。一方で慰安婦についての発言は撤回していない。
「世界各国の軍が女性を必要としていたと言ったのに、私が容認したと誤報された」とし、自分の価値観とは正反対の人物像が流布してしまった、と矛先をメディアに向けている。
女性の尊厳をないがしろにするかのような発言をしたうえ、その波紋について責任転嫁しようとする姿勢が、いまも重く問われている。
橋下氏への批判は海外で、さらに広がっている。国連の人権機関のひとつである拷問禁止委員会は、橋下氏の発言などを問題視し、懸念を表明した。
慰安婦の歴史について「日本の国会議員を含む政治家や地方政府高官による事実の否定が続いている」とし、こうした言動が再び被害者の苦痛をもたらしていると警告した。
慰安婦問題については、日本は93年の「河野談話」や、アジア女性基金を創設した95年以降の歴代首相の謝罪文など、一定の実績を積み重ねてきた。
しかし、橋下氏の発言のような言動がその成果を薄め、国際社会から日本全体の人権感覚に疑いの目を向けられるような残念な傾向が生まれている。
大阪市議会の動きが不発に終わったからといって、橋下氏の責任が問われる事態は変わっていない。
市議会の閉会後、橋下氏は「重く受け止めねばならない」と語ったが、ならば、それを行動でしめすべきだ。
発言の撤回を含め、国民も国際社会も納得できるようなけじめを、自らきちんとつける。それがなければ、この問題はずっと尾を引きつづけるだろう。
安倍政権が近くまとめる成長戦略に、「原発の活用」が盛り込まれる見通しだという。再稼働を求める電力業界や産業界の声を受けてのことだ。
あまりに安直ではないか。原発回帰が前面に出れば、せっかく生まれつつある新ビジネスの芽をも摘みかねない。撤回すべきだ。
電力不足や火力発電の拡大に伴うコスト増が目先の経済に与える影響を無視していいわけではない。マイナス要因をできるだけ抑えることは、政治の大事な仕事である。
だが、成長戦略とは、中長期にわたる日本経済の「新しい方向性」を示すものだ。
実際、エネルギー政策としてはほかに「高効率火力発電の導入」「浮体式洋上風力発電の推進」「スマートコミュニティーの拡大」なども取り上げられるという。
福島の原発事故から2年あまりを経て、こうした分野に参入する企業も目につくようになってきた。採算性やインフラの不備といった課題を抱えつつ、思い切って挑戦する新興勢力を積極的に支援するのが、成長戦略の柱のはずだ。
ここで政府が原発回帰の姿勢を強めれば、古い電力体制が温存され、新規参入の余地をせばめることになる。それは、地域独占から自由化・競争促進への転換をめざす電力システム改革とも矛盾する。
何より、「原発への依存度をできる限り低減する」とした安倍政権の方針に反する。
福島の問題は解決にはほど遠い状況にある。日本がこの重い問題にどう道筋をつけるのか、世界が注目している。原発再稼働を急ぎたい人たちの声にばかり耳を傾けていては、大局を誤りかねない。
かつて米国市場で低評価に甘んじていたホンダは70年代、厳しい排ガス規制法が敷かれたことをテコに、低公害・低燃費のエンジン開発に成功し、今日の基盤を築いた。
大胆な発想や技術の飛躍が厳しい課題を克服するところから生まれることは、歴史が示すところだ。
むしろ「脱原発依存にこそ成長の道あり」と位置づけるほうが、日本の優秀な技術や人材を最大限に生かす場が見えてくるのではないか。
成長戦略を議論する産業競争力会議でも、民間議員の中に安易な原発復活に対する慎重論があるという。成案づくりの作業が本格化するのはこれからだ。未来を感じさせる中身にしてもらいたい。