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女性宮家「議論早めに」 単独取材に彬子さま・瑶子さま

写真:寛仁さまとの思い出を語る長女・彬子さま(奥)、次女・瑶子さま=5月29日午前、東京・元赤坂、遠藤啓生撮影拡大寛仁さまとの思い出を語る長女・彬子さま(奥)、次女・瑶子さま=5月29日午前、東京・元赤坂、遠藤啓生撮影

写真:寛仁さまとの思い出を語る次女・瑶子さま(左)、長女・彬子さま=5月29日午前、東京・元赤坂、遠藤啓生撮影拡大寛仁さまとの思い出を語る次女・瑶子さま(左)、長女・彬子さま=5月29日午前、東京・元赤坂、遠藤啓生撮影

 「ヒゲの殿下」として親しまれた寛仁さまが逝去して1年。父の公務を受け継いだ長女・彬子(あきこ)さま、次女・瑶子(ようこ)さま姉妹が、朝日新聞の単独取材に応じました。父への思い、女性宮家問題、自身の結婚……。率直に語ってくれました。主な内容は以下の通り。

    ◇

 ――寛仁さま逝去から6月6日で1年になります

(彬子さま)お帰りにならないのはいまだに信じられない気持ちです。本当にいらっしゃらないんだなという実感をもって感じるところはあるのですが、何となく受け入れきれないような気持ちもあって、複雑な気持ちです。

(瑶子さま)ずっと一緒に暮らしてきましたので、一番はさみしいなあというのがあって。儀式があるときはそのことに集中しているので意識しないのですが、結婚式でお父さんが泣いているシーンをテレビなどで見ると、父に会いたいと感じたり、父の映像が流れると、ああ本当にいなくなってしまわれたんだなと思います。「あのころはこうだった」という思い出話をされると、やはり悲しい気持ちと悔いの残る気持ちなど、いろいろあります。

 ――瑶子さまはお父さまが亡くなるまで病院に付き添いました

(瑶子さま)亡くなった後より、父の看病をしているときの方がつらいものがあり、でもそれを経験したからこそ強くなれた部分もあります。最期まで父はよく頑張ったと感じます。

 ――寛仁さまの公務をお二人で引き継いでいますね

(彬子さま)妹と分担していますが、これをお一人で全部なさっていたということに、改めてすごいなと思いました。公務などに行く先々で父の思い出話をするにつけ、殿下に怒られたとか、ご注意をいただいたとか、お酒を飲んで笑っていらっしゃったという話をよくうかがうのですが、どこにいても裏表なく接していらっしゃった父の姿が浮かんで、見習わなければと思います。

 ――公務をどう分担していますか

(彬子さま)私は自分にかかわりがある事柄、父の生前からも携わらせていただいていた、スキーや自転車、英国やトルコのお仕事などを続けてやらせていただいて、妹は社会福祉関係を中心として分担しています。

(瑶子さま)社会福祉のお仕事は、障害者の方や事務局の方々にとって父がとても近い存在であったことが感じられる場所です。

 ――お家のことで何か決めなければならないときは

(彬子さま)私は割と大ざっぱで細かいところまで目が行き届かないことがあるんです。そういうとき妹が父譲りでいろいろ気がついて言ってくれるんですね。随所に目を配ってくれるのでありがたいです。

 ――瑶子さまはお父様に似ているんでしょうか

(瑶子さま)最近特に公務に行くと、お父さまに似てきましたねと言われます。私はごあいさつなどは自分で考えるのですが、「殿下〈寛仁さま〉がおっしゃっているみたいだ」と言われると、父の子なんだなと感じます。小さいころは「ヒゲなんて生えてない」と泣いた記憶がありますが、「殿下の面影とかオーラありますね」と言っていただいて、今となってはよかったなという気がします。

 ――亡くなったとき、遺品の愛用の財布から、彬子さまが幼稚園のころにプレゼントした折り紙が見つかったそうですね

(彬子さま)ええ。副葬品として墓所に入れましたが、自分のカメラで撮影して保存しています。

 ――瑶子さまの思い出の品はありますか

(瑶子さま)父がトレーニングで使っておられたヘアバンドがあって。三つ編みのねじねじになった、すごくカラフルなもので、父しか使えないだろうなというものやトレーナーなどです。

(彬子さま)副葬品を選ぶとき、私と妹の視点は全然違いました。私は父が使っていらした原稿用紙、万年筆、老眼鏡とか。妹はヘアバンドや読みかけの「ゴルゴ13」。

(瑶子さま)「ゴルゴ13」全巻を入れたいと思ったのですが、重いので、読みかけのものを入れました。天国でも続きが読めると思って。

 ――お父さまへの愛情を感じます

(彬子さま)よく買い物に連れて行ってくださいました。「その服は見飽きた、買いに行くぞ」って。父の見立てでずいぶんと服を買っていただいた。友人たちに話すと「お父さんと服を買いに行くの。信じられない」と言われました。

 ――買っていただいたものは、今も身につけているんですか

(瑶子さま)ええ、たくさんあります。

(彬子さま)父が危篤になられた際、私は外国から帰ってきて病院に向かいました。最期に看取(みと)ったときの服は、全身父が買ってくださったものでした。

 ――一時報道などで話題にもなった「女性宮家」についてはどうお考えでしょうか

(彬子さま)私どもは、結婚したら降嫁して民間人になる身なのだからということで育てられてきましたし、いまだにそう思っています。ただ女性皇族にとって「女性宮家」の問題は非常に大きな問題です。もしかしたらこのことが自身の結婚に影響するかもしれません。あくまでも決めるのは国民のみなさんですが、早いうちに議論が進められた方がいいのではないかと思います。

 ――お二人とも結婚したら民間人になると寛仁さまから言われたそうですが、それについて何かアドバイスを受けましたか

(彬子さま)電車で学校に通うことだったり、お小遣いをいただいたり。ジュース代や文房具代、ご飯代でいくらと「予算案」を計上し、父にお小遣いをいただくという制度だったんです。民間に行く身だからということで父がやってくださったことだろうと。

(瑶子さま)「お前は外に出る身なのだから、一般常識や社会を知れ」ということで、私は剣道部で上下関係を学んでいましたが、日赤(日本赤十字社)に入って会社とはどういう組織体系なのか、どのように仕事を進めていくのかなど、いろいろ学びました。一般に嫁ぐ身と思えばいい経験をしたと今は思っています。

 ――ご結婚したいという希望はありますよね

(彬子さま)はい、私は。たぶん妹も。

(瑶子さま)私は小さい頃から、結婚しますと父に言ってましたから。

(彬子さま)結婚して名字が欲しいってね。

(瑶子さま)だったら男遊びしろと、よく父に言われました(笑)。

 ――民間人になって家庭を持ちたいという希望があったんですね

(瑶子さま)剣道では、垂れに名字を入れるので、私の場合「瑶子女王」と書かれるのですが、目立ってしまうこともあり居心地としてはよくなかったです。日赤では「三笠瑶子」という名前を使い、「三笠です」と電話を受けていたので少し気楽でした。振り返られない名前で、一般の家庭に嫁ぐのが自分の望んだ一番の夢であり、実現したいもので、父にも昔からお伝えしてきました。女性宮家という問題が出てきて、皇室に残る立場になったら、当然受け入れるわけですが、今まで過ごしてきた環境からすると、結婚して、子供を産んで、あったかい家庭をつくりたいというのはあります。

 ――寛仁さまはお二人のしたいようにしなさいというお考えだったと聞きました

(彬子さま)「おまえたちが好きなようにやりなさい」って。

(瑶子さま)「おれが認める男性をちゃんと連れてこい」というぐらいでしょうか。私は父と性格や好みも似ているので、父が「ダメ」という人は連れてこないという勝手な自信はありました(笑)。

 ――皇族女性の結婚に国民の期待が高まっていますが、お二人はいかがですか

(彬子さま)今すぐにはみなさんのご期待に応えられそうにありません(笑)。ただ昔父に言われたのは、私は女王の中で最年長で、結婚したら戦後初めての女王の結婚になる。前例になるので責任は重大だなって。

 ――改めて今後の公務などへの意気込みをお聞かせください

(彬子さま)私と妹で分担しているお仕事は、もともと父がすべて一人でやってこられた。すごいなと思いますし、少しでも思いを引き継いでいけたらというのが一番大きい目標です。秩父宮妃殿下が書かれたボンボニエール(お菓子入れの小箱)についての本を読んだのがきっかけで秩父宮殿下のなさってこられたことについて改めて知りました。秩父のおじさまの北海道ご訪問記念で始まった宮様スキー大会というのがありますが、秩父宮、高松宮両殿下の思いを父が受け継がれ、私たちに伝わりつながっている重みを強く感じ、それまで何げなく行っていた公務に自分が存在することの意味、皇族が公務をすることの意義を教えていただいたような気がしました。生前の父にそのことを話したら、父も笑って喜んでくださって「ようやくわかったか」という感じで言ってくださった。今後どういう形になるか分かりませんが、その思いはお嫁に行ったとしても忘れないでいたいなと思います。

(瑶子さま)私の場合、父から一般に嫁ぐ身だと言われて育ってきて、最終目標というと変ですが、やはり結婚して一般に嫁ぎたいという思いはあります。皇族の立場である以上、父の仕事を受け継ぐのは基本的に私たち娘です。父がやってこられた仕事を引き継いでいくことが、娘として一番の役割だと思っています。公務や日常生活を通して皆さんに「私はこういう人である」と伝えてきたつもりです。これからあと何年続くか分からない皇族の人生の中で、父のように皆さんに「こういう人だった」と印象に残るような仕事をしていきたいと思っています。

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