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    [ 2011-10-25 14:36 ]
  • 手塚治虫の暴言
    [ 2011-10-23 14:35 ]
  • 角岡伸彦「小西邦彦『ピストルと荊冠』」第7回を読む
    [ 2011-10-18 15:32 ]
  • 日本語版ウィキペディアの「マルク・ミンコフスキ」
    [ 2011-10-18 14:28 ]
  • 写真集『屠場』に上原善広の実家のトラックが登場すること
    [ 2011-10-16 14:25 ]
  • 過善症
    [ 2011-10-15 14:23 ]
  • 大西英文『はじめてのラテン語』を読む
    [ 2011-10-15 11:23 ]
  • 「在日エリートが語った日本侵略の裏話」なる怪コピペ
    [ 2011-10-11 09:22 ]
  • 宇宿允人ふたたび
    [ 2011-10-07 06:20 ]
  • 朝鮮日報の記事「西村賢太氏が来韓」
    [ 2011-10-06 09:26 ]

2011年 10月 25日

『グレン・グールド シークレット・ライフ』を読む

マイケル・クラークソン『グレン・グールド シークレット・ライフ』(岩田佳代子訳、道出版、2011年)を読んでいる。「すべからく」の誤用がやたらに多いのが気になる。

当時の若者は大半が、シャツのカラーからヘアスタイル、スーツに至るまで、すべからく両親のまねをしてよしとしていたが、…(p.27)

フローラは、この世はすべからく列車の時刻表さながらきちんと定められていると信じていたが、…(p.30)

あのネズミは、人間と同じ格好をさせてもらいますけど、排水管の中に入っていったりと、することはすべからくネズミです。(p.44)

愛がからんだ関係はすべからく依存する──酒やタバコと同じだ。(p.266)

これだけ頻用するところを見ると、この訳者は「すべからく」という言い回しが気に入っているのか。好きな表現なら尚更、すべからく正しい使い方をすべきではないか。


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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-25 14:36 | 読本
2011年 10月 23日

手塚治虫の暴言

手塚治虫『漫画教室』(小学館クリエイティブ、2010年)を読んでいたら、こんな記述に出くわした。書いているのは、むろん手塚自身である。

「すくなくとも雑誌や本にのせるものはじぶんのまんがでなきゃあ……人まねまんが家……ニセ札みたいなもんじゃないですか。どうです。いまのまんが家なんて、たいていだれかのに、にてるでしょう。はっきりじぶんのまんがをかいているのは、関谷ひさし、和知三平、手塚治虫ぐらいのもんでしょう。人のまねをしているまんが家は、いまにきっとおちぶれます」(「こうすればまんが家になれる」)

このエッセイの初出は『少年画報』1962年10月号。自分以外のトキワ荘組をごっそりまとめて無視しているところが面白い。赤塚不二夫など当時すでに「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」で人気漫画家になっていたにもかかわらず、言及なし。馬場のぼるも杉浦茂も無視。関谷ひさしやわちさんぺいも当時の人気漫画家には違いないが、手塚治虫の地位を脅かすには程遠く、おのれにとって安全な存在だけを挙げているあたりに作為を感じる。これもまた、手塚の有名な嫉妬癖の発露と見るべきか。

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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-23 14:35 | 催眠
2011年 10月 18日

角岡伸彦「小西邦彦『ピストルと荊冠』」第7回を読む

元極道の小西らしい笑える話もある。

「ある時、『これだけ頼むわ』言うて片手を出した。次の日、四千万持って行ってん。『お前、きのうちゃんと言うたやろ!』『支部長、それやったら右手を出して下さい』『そ、そうか』。左手の指は、一本あらへんからね」

小西は、解放会館で自ら断指した方の手を出して指示していた。マンガのような実話である。

http://g2.kodansha.co.jp/8079/8091/9444/9447.html

なるほど、漫画なら確かに笑える話であろう。しかし、人権団体の幹部がヤクザを兼任し、解放会館のような「神聖な場所」で指を詰めたというのは現実に起きた話であり、従ってこれはちっとも「笑える話」ではなく「ぞっとする話」である。それを「笑える話」として紹介しているあたりに角岡の不真面目さが見て取れる。こんな奴が部落解放を語っていいのか。そもそも、こういったグロテスクな逸話を書くことで角岡は何がしたいのだろうか。「小西さんは怖いだけの人ちゃうで、ごっつおもろいおっちゃんやったんやでー」とでも言いたいなら論外である。

角岡は、こうも書いている。

親分が去った後、小西は解放会館内の印刷室で、紙を裁断する大型カッターで自ら指を切り落とす。サウナのオープンを知らせなかった詫びと、組を抜ける意志を示すためだった。事情を知る地元住民が語る。

「カッターで指を詰めたら、部屋中が血だらけになるやん。それを(部落解放同盟飛鳥)支部の常任のおばちゃんが掃除して、指は薬の瓶に詰めた。俺は見たわけやないで。その日、解放会館に行く用事があって、『なんや今日は雰囲気が違うやん』て聞いたら、そういうことやった」

その当時、解放会館に勤務していた大阪市の職員は、私の取材に「音がしましたからね。何かなと思たら、そういうことやった。僕だけやなしに、(血だらけの部屋を)見た人は他にもたくさんおりましたからね」と語る。

http://g2.kodansha.co.jp/8079/8091/9319/9320.html

部落解放の先人たちが血の滲むような闘争の末に勝ち取った施設を、ヤクザの儀式で穢されたのである。なぜ誰一人として「解放会館が穢された」と怒らないのか。当時の飛鳥支部の常任の女性も解放会館の職員も角岡も、揃いも揃って感覚が麻痺しているとしか言いようがない。部落解放運動とヤクザとの馴れ合いに疑問を持たないこのような異常な感覚の延長線上に起きたのが飛鳥会事件ではないか、と疑ってみるのがジャーナリストとしてのまっとうな問題意識ではないのか。角岡伸彦よ、恥を知れ。

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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-18 15:32 | 馬鹿
2011年 10月 18日

日本語版ウィキペディアの「マルク・ミンコフスキ」

wikipediaがヒドい?←変な記事を書く奴がいるものだ。そんな四方山話はともかく、

フランス語を片仮名で表す場合、本来は「マンコフスキ」とすべきであるが、語感の問題もあり、慣用的に「ミンコフスキ」とされている。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=prev&oldid=31189677

スラヴ語の場合は子音同化という現象があるからMinkowskiの有声子音w/v/が無声子音s/s/に引っ張られて無声子音/f/に変化するわけで、フランス語ではMinkowskiの-wを/f/とは発音しないのではなかろうか。今度調べてみよう。


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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-18 14:28 | wiki | Trackback
2011年 10月 16日

写真集『屠場』に上原善広の実家のトラックが登場すること

上原善広がブログで言及している件、確かに確認することができた。白いトラックのドアに「上原商店」と書いてあるのが読み取れる。

移動中、父から携帯に電話があったので出ると、熊本県にある屠場の競り場からでした。なんだろうと思って出ると「熊本の業者から屠場の写真集を見せられた」と言うのです。 間違いなく本橋成一さんの 『屠場(とば)』だと思いました。

これは大阪・松原の屠場での30年間を一冊に仕上げたもので、以前にもこのブログで紹介しました。新しい屠場だけでなく旧屠場も写っている写真集なので、懐かしかったのかな?と思ったら、父が「うちの車が写っとる」と言うので驚きました。本橋さんとはポレポレで対談もしていたので写真集は持っていたのですが、忙しさにかまけて不覚にもそこまで見ていませんでした。どうも「上原商店」のトラックが、屠場から枝肉を運んでいるシーンがあるそうなのです。


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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-16 14:25 | 日記 | Trackback
2011年 10月 15日

過善症

「過善症」という語は太宰治の『創世記』で覚えたが、善良さの程度が過ぎることを病気にたとえた造語かと思っていた。ところが、「れっきとした医学用語で「不幸が常態なので、幸福になるとこわい」という病気である」と説明している文章に出くわした。

http://www.mumyosha.co.jp/weekly/308.html

どうやらジャック・ラカンのいう「自罰パラノイア」のようなものか。しかし”過善症”で検索してもヒットするのは太宰の『創世記』と上記リンクのエッセイだけである。あとは取るに足らぬ掲示板の書き込み等。医学関連のウェブサイトはヒット件数ゼロ。本当に「れっきとした医学用語」だったら、こんなおかしな話があるだろうか。なにやら狐につままれたような気分である。


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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-15 14:23 | 躁鬱
2011年 10月 15日

大西英文『はじめてのラテン語』を読む

ラテン語の文法のあらましを俯瞰した本だが、余談の類がなかなか面白い。一部引用する。

ラテン語の代表的な間投詞は、欧米語で皆さんもお馴染みのō、ōhです。喜び、悲しみ、驚き、非難など、どんな感情にも対応できます。同様に、驚き、喜び、怒り、と応用範囲が広いのが、vāh。また、 āhは主に慨嘆、怒りを表します。我々日本人も漏らす「わー」とか「あー」にほぼ一致しているのが面白いでしょう。もっと面白いのは、atat。喜びにも使いますが、多くは驚き、恐れなどを感じたときの間投詞で、感情が激しくなればatataeとかattatataeなどと何度でも継ぎ足せます。日本語の「おっと」「おっとっと」とそっくりです。(p.157)

…ヨーロッパの自動車メーカーの社名や車名にはラテン語にゆかりのある名が多いのを知っていますか。Mercedesがそうです。これはMercēs(,ēdis f 古典では「報酬、料金、値段」、中世には「恵み、慈悲」。仏語のメルシの語源」)の複数形。(略)また、Volvoもそう(これはvolvō 3a 私は回転する)、Fiatもそう(Fabbrica Italiana Automobili Torino「トリノ・イタリア自動車製造工場」の頭文字をとったものですが、ラテン語になるようにしてある。fīatは「なる、生じる」の意の不規則動詞fīoの現在・接続法・三人称・単数形で、意味は「そうなれ、かくあれ」)。そして、Audiもそうなのです。これは、創業者が社名を考えていたとき、小学生の息子の何気ない「Audiはどう?」という提案が採用されたものです。理由はいたって単純で、創業者の名はHorch(ホルヒ)と言い、horchはドイツ語のhorchen(聞く)の命令形、つまりラテン語に直せばaudīだから。(p.118-119)

プロレタリアの語源となったprōlētārtiusの語義が「prōlēs(子孫)を生むことによってのみ国家に奉仕できる最下層市民」だったという記述(p.101)も興味深い。結婚も子作りもできない現代の日本のプレカリアートは、古代ローマ帝国の最貧民よりさらに劣った存在なのか。

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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-15 11:23 | Trackback
2011年 10月 11日

「在日エリートが語った日本侵略の裏話」なる怪コピペ

知り合いの自民党員がこんなものを真面目に宣伝していた。正気を疑う。

http://hyogen-sha.iza.ne.jp/blog/entry/2303841/

「在日エリート」「在日同胞氏」が誰なのかは明かされずじまい。挙句の果てに「ソースは消えてなくなっていた」とは、もう笑うしかない。悪名高い「堀江メール」とどう違うのか。こういう怪文書を真に受けることは、泥船に乗ることと同じだとなぜ思わないのか。 自称「真正保守」のおツムの衰弱ぶりが窺える。

何を批判する場合も、確実なソースに基づいて地道に論証を積み上げていかなければ無意味どころか逆効果となる。外国人参政権反対運動の真の障碍となるのは、実はこの手のアホな「愛国者」である。そして彼らの愚鈍さの質は、民主党のインチキ「マニフェスト」を信じた連中の愚かさと酷似している。自分が信じたいことなら根拠薄弱でもあっさり受け容れてしまうという点で、両者にはどんな違いがあるだろうか。情弱とはそれを言うのである。

もう一つ、「おまえら失業者か、失業間じか(ママ)の、ボロアパートでおれたちのお古女を妄想して ****やってる連中」という呼びかけ方が興味を惹く。この電波コピペの作者は、煽動の対象として特に貧困層の日本人を想定しているらしい。米国でも、人種への誇り以外に何も拠り所がない貧困層の白人(ホワイトトラッシュ)が白人至上主義に走るという構図は多々見受けられる。「反ユダヤ主義は愚か者の社会主義である」という言葉に倣って言えば、「在日陰謀論は愚か者の社会主義である」とも言えるかもしれない。

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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-11 09:22 | 愚衆
2011年 10月 07日

宇宿允人ふたたび

宇宿允人のオケの内幕について書いている人がいた。いかにもありそうな話ではある。ヴィエール・フィル辞任のきっかけになった「思い出しても鬱陶しい事件」の内容というのも、およそ想像がつくというものである。


しかし、信念があって殴ったのなら、自伝にも堂々とそう記すべきではなかったか。それが厭なら、初めから自伝など出さぬことである。



で、なんか団員を殴ったとかそういう話があって。あのオケは参加者が罵倒されすぎて心の調子崩して病院入ったって話はあったしすごいやられるというのは前々から知ってはいたんですが、それにしても直接手が出たってのは初めてだなという。
いや別にいい方に作用するなら殴ったっていいんでしょう。指揮者はある面独裁者だし、数十年(?)前には普通に行われていたかもしれない。でも普通の関係で、ギャラを払ってきてもらってるオケの団員殴っちゃったら上手く行くわけはないよね、って演奏を聴くと思っちゃう。(なんか自分の仕事みたいだけど)演奏が上手く行ってりゃ僕はだから?としか思わないけど、結局演奏がぐちゃぐちゃで理由を探すとそういう所にひもづけられちゃうんだよっていう…そういう話でした。演奏がそれでよくなるならいかなる手段をも選ぶ、程度の自由は指揮者にあると僕は思っているというか。
まぁそれでしかも誰かが市だかに密告しておかげで練習場所も剥奪されたようで。どうなってしまうんでしょうね…。これからもっとコア…というか「信者」じゃないとやってられない状況に追い込まれていくんじゃないかとちょっと心配です。




http://42583.diarynote.jp/200805262330130000/


なお、浅岡弘和による 『救曲のタクト』のアマゾンレビューによると、宇宿が大阪フィルを2年半で雇い止めにされたというのも事実ではなく、実際の専属指揮者在籍期間は4年半だったとのこと。しかも、雇い止めの理由が(宇宿の言うような)朝比奈隆の嫉妬だったかは極めて疑わしいという。宇宿の言い分を鵜呑みにして『オーケストラ、それは我なり』を書いた中丸美繪には音楽史上の責任が生じるかもしれない。


http://www.amazon.co.jp/review/R30AGBFEZ54ZAC/ref=cm_cr_pr_viewpnt#R30AGBFEZ54ZAC


難儀な人, 2009/3/22

By 巨匠亭 “家元”
レビュー対象商品: 救曲のタクト (単行本)
不思議な本である。淡々とした語り口で紡ぎ出される美談の数々。しかし些かご都合主義的で現実味に乏しい。そして怒れる指揮者どころか浄化され聖人化された、まるで気の抜けたビールのように飄々とした宇宿允人の人間像……
だいたい寄せ集めオケを三日間かけて毎回、最初から仕上げるなどまるで賽の河原。砂上の楼閣のようにその都度消え去ってしまい、本当の宇宿はまるで無間地獄で呻く鬼のようである。そしてロビンソンクルーソーのように自分で何もかもやってしまうのも宇宿が他人を全く信用しない徹底的な人間不信の人だからであろう。他人を信頼しない人間が人から信頼されるわけがない。そして人望がないといきおい恐怖政治になる。良くも悪くもやはりこの人はカリスマだったなと再確認した次第。
中でも問題なのは大フィルを退団した件で、大阪文化祭賞というあまり聞いたことのない賞を受賞したのが朝比奈隆の不興を買い、コンマスの取りなしのお陰で一年延びたもののたった二年半で解雇されたのは朝比奈の嫉妬のせいだと言外に臭わしていることだろう。この賞は宇宿の翌年には朝比奈千足氏が受賞されているが息子がもらうような賞を果して朝比奈が嫉妬したのであろうか?大阪フィル50年史には写真入りで宇宿の専属指揮者在籍期間は43年9月~48年2月の四年半!と載っているのだから世話はない。
余談だがかつて朝比奈がクレンペラーの狷介な人間性をして「難儀な人」と評したことがあった。恐らくその時朝比奈の脳裏には宇宿の顔が浮かび「そういえば昔、ウチにも難儀な奴が一人おったな」と密かに苦笑したであろうことは想像に難くない。難儀な人!これほど宇宿の人間性を一言で言い表した言葉は他にあるまい

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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-07 06:20 | 演劇
2011年 10月 06日

朝鮮日報の記事「西村賢太氏が来韓」

西村賢太氏が来韓
底辺の人生を描いた作品で芥川賞を受賞

純文学の新人作家に授与される文学賞として、日本で最高の権威を持つ芥川賞を今年受賞した西村賢太氏(44)が、初めて韓国を訪問した。韓国に限らず、西村氏が外国を訪れるのは今回が初めてだという。5日、ソウル・太平路の韓国プレスセンターで行われた懇談会で、西村氏は「空港の税関を通るときも、ホテルのフロントでも、まるで犯人を訊問するかのように接するため、ちょっと不満を感じた」とジョークを飛ばした。西村氏の外見は、一般的に「作家」と聞いて連想するイメージとはかなり異なっていた。右目のまぶたには500ウォン(約32円)玉ぐらいのこぶがあり、鼻やあごのひげが顔の下半分を覆い尽くしていた。今年、芥川賞の審査委員を務めた石原慎太郎・東京都知事は、受賞した西村氏に対し「今や、あなたと私は同じ『インテリヤクザ』だ」と声を掛けたという。

西村氏は文学だけでなく、自身の不遇な過去も人々の関心を集めている。中学生のとき、父親が性犯罪を犯したことを知り、その衝撃で不登校になり、卒業後は進学しなかった。西村氏は「父親に対する感情といえば恨みだけだが、小説の題材を与えてくれたことは感謝している」と無表情のまま語った。定職に就いたことはなく、30歳を過ぎるまで日雇いの仕事をしていたという。港湾荷役や荷物担ぎ、酒屋の配達員、警備員などの仕事を転々としながら、暴行事件を起こし逮捕されたことも2回ある。このように底辺の人生を歩んでいた西村氏にとって大きな転機が訪れたのは、1920年代の私小説家・藤澤清造の作品に出会ってからだ。「自分よりもみじめな人生を送りながら、小説を書き続けた先輩を見ていて、自分もこのままでよいのかと深く反省した」と西村氏は振り返った。その後、2003年から同人雑誌に小説を書き始めたが、芥川賞を受賞するまでは事実上無名だった。

受賞作は『苦役列車』。友人もなく、交際相手もなく、日雇いの港湾労働者として働きながら、コップ1杯の酒を心の慰めにする19歳の青年「カンタ」のわびしい人生を描いた作品だ。タイトルは苦しくつらい人生を列車に例えたもので、その内容は、19歳のときの自分の生きざまについて告白するようなものだ。「自分はこのままでよいのか」と感じさせる「反面教師」の文学ともいえる。芥川賞の賞金は3500万円。作家デビューから8年目にして「ホームラン」を放ったことになる。西村氏は「これで当分は(金や仕事の)心配をせずに小説だけ書いていればいい。路地の奥で底辺の暮らしを余儀なくされている人たちが、この小説を読んで勇気を出してくれればと思うが、『この程度の小説ならほかにもある』という批判もまた歓迎したい」と話した。

イ・スウン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/10/06/2011100601333.html

「右目のまぶたには500ウォン(約32円)玉ぐらいのこぶがあり」といったことをあっさり書いてしまうのは、国柄の違いか。日本の新聞では考えられないことである。それはともかく「芥川賞の賞金は3500万円」って…いつからそんなに上がったんだ。多分、芥川賞受賞後に印税が3500万入ってきたという話と混同しているのだろう。


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by jgaxy-tumblr-com | 2011-10-06 09:26 | 躁鬱