2011年 10月 25日
マイケル・クラークソン『グレン・グールド シークレット・ライフ』(岩田佳代子訳、道出版、2011年)を読んでいる。「すべからく」の誤用がやたらに多いのが気になる。
これだけ頻用するところを見ると、この訳者は「すべからく」という言い回しが気に入っているのか。好きな表現なら尚更、すべからく正しい使い方をすべきではないか。 ■
[PR] 2011年 10月 23日
手塚治虫『漫画教室』(小学館クリエイティブ、2010年)を読んでいたら、こんな記述に出くわした。書いているのは、むろん手塚自身である。
このエッセイの初出は『少年画報』1962年10月号。自分以外のトキワ荘組をごっそりまとめて無視しているところが面白い。赤塚不二夫など当時すでに「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」で人気漫画家になっていたにもかかわらず、言及なし。馬場のぼるも杉浦茂も無視。関谷ひさしやわちさんぺいも当時の人気漫画家には違いないが、手塚治虫の地位を脅かすには程遠く、おのれにとって安全な存在だけを挙げているあたりに作為を感じる。これもまた、手塚の有名な嫉妬癖の発露と見るべきか。 ■
[PR] 2011年 10月 18日
http://g2.kodansha.co.jp/8079/8091/9444/9447.html なるほど、漫画なら確かに笑える話であろう。しかし、人権団体の幹部がヤクザを兼任し、解放会館のような「神聖な場所」で指を詰めたというのは現実に起きた話であり、従ってこれはちっとも「笑える話」ではなく「ぞっとする話」である。それを「笑える話」として紹介しているあたりに角岡の不真面目さが見て取れる。こんな奴が部落解放を語っていいのか。そもそも、こういったグロテスクな逸話を書くことで角岡は何がしたいのだろうか。「小西さんは怖いだけの人ちゃうで、ごっつおもろいおっちゃんやったんやでー」とでも言いたいなら論外である。 角岡は、こうも書いている。
http://g2.kodansha.co.jp/8079/8091/9319/9320.html 部落解放の先人たちが血の滲むような闘争の末に勝ち取った施設を、ヤクザの儀式で穢されたのである。なぜ誰一人として「解放会館が穢された」と怒らないのか。当時の飛鳥支部の常任の女性も解放会館の職員も角岡も、揃いも揃って感覚が麻痺しているとしか言いようがない。部落解放運動とヤクザとの馴れ合いに疑問を持たないこのような異常な感覚の延長線上に起きたのが飛鳥会事件ではないか、と疑ってみるのがジャーナリストとしてのまっとうな問題意識ではないのか。角岡伸彦よ、恥を知れ。 ■
[PR] 2011年 10月 18日
wikipediaがヒドい?←変な記事を書く奴がいるものだ。そんな四方山話はともかく、
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=prev&oldid=31189677 スラヴ語の場合は子音同化という現象があるからMinkowskiの有声子音w/v/が無声子音s/s/に引っ張られて無声子音/f/に変化するわけで、フランス語ではMinkowskiの-wを/f/とは発音しないのではなかろうか。今度調べてみよう。 ■
[PR] 2011年 10月 16日
上原善広がブログで言及している件、確かに確認することができた。白いトラックのドアに「上原商店」と書いてあるのが読み取れる。
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[PR] 2011年 10月 15日
「過善症」という語は太宰治の『創世記』で覚えたが、善良さの程度が過ぎることを病気にたとえた造語かと思っていた。ところが、「れっきとした医学用語で「不幸が常態なので、幸福になるとこわい」という病気である」と説明している文章に出くわした。 http://www.mumyosha.co.jp/weekly/308.html どうやらジャック・ラカンのいう「自罰パラノイア」のようなものか。しかし”過善症”で検索してもヒットするのは太宰の『創世記』と上記リンクのエッセイだけである。あとは取るに足らぬ掲示板の書き込み等。医学関連のウェブサイトはヒット件数ゼロ。本当に「れっきとした医学用語」だったら、こんなおかしな話があるだろうか。なにやら狐につままれたような気分である。 ■
[PR] 2011年 10月 15日
ラテン語の文法のあらましを俯瞰した本だが、余談の類がなかなか面白い。一部引用する。
プロレタリアの語源となったprōlētārtiusの語義が「prōlēs(子孫)を生むことによってのみ国家に奉仕できる最下層市民」だったという記述(p.101)も興味深い。結婚も子作りもできない現代の日本のプレカリアートは、古代ローマ帝国の最貧民よりさらに劣った存在なのか。 ■
[PR] 2011年 10月 11日
知り合いの自民党員がこんなものを真面目に宣伝していた。正気を疑う。 http://hyogen-sha.iza.ne.jp/blog/entry/2303841/ 「在日エリート」「在日同胞氏」が誰なのかは明かされずじまい。挙句の果てに「ソースは消えてなくなっていた」とは、もう笑うしかない。悪名高い「堀江メール」とどう違うのか。こういう怪文書を真に受けることは、泥船に乗ることと同じだとなぜ思わないのか。 自称「真正保守」のおツムの衰弱ぶりが窺える。 何を批判する場合も、確実なソースに基づいて地道に論証を積み上げていかなければ無意味どころか逆効果となる。外国人参政権反対運動の真の障碍となるのは、実はこの手のアホな「愛国者」である。そして彼らの愚鈍さの質は、民主党のインチキ「マニフェスト」を信じた連中の愚かさと酷似している。自分が信じたいことなら根拠薄弱でもあっさり受け容れてしまうという点で、両者にはどんな違いがあるだろうか。情弱とはそれを言うのである。 もう一つ、「おまえら失業者か、失業間じか(ママ)の、ボロアパートでおれたちのお古女を妄想して ****やってる連中」という呼びかけ方が興味を惹く。この電波コピペの作者は、煽動の対象として特に貧困層の日本人を想定しているらしい。米国でも、人種への誇り以外に何も拠り所がない貧困層の白人(ホワイトトラッシュ)が白人至上主義に走るという構図は多々見受けられる。「反ユダヤ主義は愚か者の社会主義である」という言葉に倣って言えば、「在日陰謀論は愚か者の社会主義である」とも言えるかもしれない。 ■
[PR] 2011年 10月 07日
宇宿允人のオケの内幕について書いている人がいた。いかにもありそうな話ではある。ヴィエール・フィル辞任のきっかけになった「思い出しても鬱陶しい事件」の内容というのも、およそ想像がつくというものである。 しかし、信念があって殴ったのなら、自伝にも堂々とそう記すべきではなかったか。それが厭なら、初めから自伝など出さぬことである。
http://42583.diarynote.jp/200805262330130000/ なお、浅岡弘和による 『救曲のタクト』のアマゾンレビューによると、宇宿が大阪フィルを2年半で雇い止めにされたというのも事実ではなく、実際の専属指揮者在籍期間は4年半だったとのこと。しかも、雇い止めの理由が(宇宿の言うような)朝比奈隆の嫉妬だったかは極めて疑わしいという。宇宿の言い分を鵜呑みにして『オーケストラ、それは我なり』を書いた中丸美繪には音楽史上の責任が生じるかもしれない。 http://www.amazon.co.jp/review/R30AGBFEZ54ZAC/ref=cm_cr_pr_viewpnt#R30AGBFEZ54ZAC
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[PR] 2011年 10月 06日
西村賢太氏が来韓 http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/10/06/2011100601333.html 「右目のまぶたには500ウォン(約32円)玉ぐらいのこぶがあり」といったことをあっさり書いてしまうのは、国柄の違いか。日本の新聞では考えられないことである。それはともかく「芥川賞の賞金は3500万円」って…いつからそんなに上がったんだ。多分、芥川賞受賞後に印税が3500万入ってきたという話と混同しているのだろう。 ■
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