2011年 02月 19日
星新一『きまぐれ星のメモ』(読売新聞社、1968年)に「百年」というエッセイが収められている。高度経済成長期に書かれたものだが、「今後百年以内に起りそうな不祥事」を列挙したくだりがある。
1について。「百歳以上」は大げさだが、日本社会で老年層による過剰支配が進み、若年層がしわ寄せを受けて苦しんでいることは間違いない。 2について。BSやCS、インターネット広告まで入れるとコマーシャルの量は当時の百倍では利かないだろう。 3について。拷問や殺人シーンなど残虐なコンテンツはテレビで流せない代わり、liveleakのようなウェブサイトで盛んに視聴されている。 4について。これは今社会問題となっている「ひきこもり」そのものだ。 予言はまだ他にもあるが、これまで見たところに関する限り、わりあい的中しているのが興味深い。 ■
[PR] 2011年 02月 18日
当人が積極的に語りたがらないことの中にこそ真実があるという観点から言えば、西村賢太の文学を解く最大の鍵は、29歳にして崇拝の対象を田中英光から藤澤清造に替えたことだろう。西村賢太は23歳で初めて藤澤清造の作品に接したとき「ピンと来なかった」と言っている。もともと「田中英光私研究」を自費出版し、これをライフワークとまで思い定めていたにも拘らず、29歳で田中英光の遺族らしき人物に暴力をふるって逮捕され、「田中英光私研究」の続刊を断念せざるを得なくなり、それによって崇拝の対象を藤澤清造に替えたという経緯があるようだ。つまり藤澤清造は、いわば身代わりに過ぎなかった。 西村賢太自身は「田中英光は一種のエリートだから物足りないものを感じ」田中英光への崇拝から離れたと語っているが、田中英光が恵まれた生い立ちの人であることは土屋隆夫『泥の文学碑』を読んだ当初から分っていた筈なので、これは恐らく後から付けた理屈であろう。この間の消息を西村賢太が自ら作品の中で明らかにするのはいつのことだろうか。 ■
[PR] 2011年 02月 17日
あるプラネタリウムで、5周年記念として『プラネタリウムで結婚式』の企画が持ち 「いいですね。作家の星新一さんなんかどうですか?」
徹夜明けだったかもしれないし、虫の居所が悪かったのかもしれない。 ■
[PR] 2011年 02月 16日
石原慎太郎いわく
http://www.news-postseven.com/archives/20110217_12830.html いや、できるだろう。キリスト教社会でもイスラム教社会でもあり得ないほどの同性愛者解放が日本で実現しているなら、それこそ日本が世界に誇るべきこと。 ■
[PR] 2011年 02月 10日
昔々あるところに、右の頬に大きな瘤のあるお爺さんがおりました。その名を西村賢太と言いました。 ある夜更け、賢太が鬼たちの宴に出くわして<私小説>を披露すると大いに感心され、酒と料理で手厚いもてなしを受けました。 鬼たちは、翌晩も必ず来るよう賢太に命じた上、「明日来れば返してやるから」と、賢太の悩みの種だった大きな瘤をきれいにむしり取ってしまいました。 その話を聞いた隣の欲張りな小谷野敦じいさんが、それなら自分の瘤も取ってもらおうと夜更けに同じ場所へ出かけると、昨晩のように鬼たちが宴を開いておりました。 そこで敦じいさんも私小説を披露しましたが、賢太と違ってこちらは小説の才能はなく、どうにも鬼たちは気に入りません。 鬼の首領の島田雅彦はたちまち興醒めして 「何だ、今回はひどいな。そうとう悪いぞ――おい、もうその質物の瘤を、返してやれ。小谷野君、つまらないオレの小説のご愛読ありがとう」 と、反対の頬へ瘤を投げつけさせました。その結果、敦じいさんの瘤は二つに増えてしまいましたとさ。 おしまい ■
[PR] 2011年 02月 08日
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20070706 これ自体は正論である。しかし、これと全く同じ論理と文脈のもとで次のようにも言えるだろう。 「喫煙者差別」という言葉自体、おかしな言葉である。今も昔も、自らの意志に反し強要されて喫煙者になったなどという人はまずいないのだし、自己管理能力で人を区別するのは当然である。能力差別がいけないなら、試験はいけないのか。「差別」というのは、「いわれなく人の地位を定めること」だから、生まれで差別する天皇制は差別だ。しかし、生まれつき喫煙者というやつはいない。 ■
[PR] ▲ by jgaxy-tumblr-com | 2011-02-08 02:10
2011年 02月 04日
Twitter / 小谷野敦: 俺はできる限り他人のせいにしている。http://twitter.com/tonton1965/status/28100905094086656 前から当人が公言していた「何でも正直に言う」かつ「他の人が言わないことを言う」というスタンスを突き詰めると最後は当然ここまで行くのだろう。すなわち「我田引水したいという利己的心情に正直」であり、なおかつ「他の人が庇ってくれない自分を擁護する」というわけだ。禁煙に関するこの人の偏った意見を支えているのも、こういった底なしの自己肯定と厚かましさであるのは間違いない。 「何でも正直に言う」というのはいいことだし「他の人が言わないことを言う」というのもいいことである。しかし、「いいこと」と「いいこと」を足してもその和は必ずしも「いいこと」にならないという倫理学上の興味深い見本の一つがここにある。 ■
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