柳ケ瀬の雑居ビルでジャズ文化の灯をともし続ける大谷喬さん=岐阜市若宮町、ジャズ・イン・マモ
ロン・カーター、ベニー・ゴルソン、カーティス・フラーにジョー・ヘンダーソン。ジャズ好きが胸を躍らせる一流ジャズ奏者が、数多く出演したバーが柳ケ瀬にある。「ジャズ・イン・マモ」。岐阜市若宮町の雑居ビルの3階、目いっぱいでも120人ほどしか入らない店内で、世界的スターの音色がファンを陶酔させた。
「音楽に東京も地方もない。岐阜の人に本物のジャズを聞いてほしかった」。経営者の大谷喬さん(69)は1974(昭和49)年に店を開いた。京都市出身で、自身もギターを手に全国を渡り歩いたバンドマン。親類のつてで「たまたま」移り住んだ岐阜市だったが、音楽三昧の人生を送る地として魅力を感じた。「歴史も自然もあって、良い文化が根付く素地があった」
当初はキャバレーなどでギター演奏のアルバイトをし、資金をつないだ。ほどなく軌道に乗り、大物を招くようになるが、何百万円もの出演料を要するスターを呼ぶことは店の存亡にかかわる一大事。それを可能にしたのは当時、若者の間で強まっていた米国文化への憧れ、米国音楽であるジャズの流行だった。「60年代に東京に出た大学生ははしかにかかったようにジャズを聞いた。その人たちがUターンして、岐阜にも本物志向の人が増えた」と大谷さん。2万円を超える高額チケットさえ完売した。
70年前後には柳ケ瀬かいわいにもジャズ喫茶が続々とオープンし、一時は10軒を超えた。岐阜市出身の団体職員佐野俊彦さん(55)=名古屋市=も高校、大学時代にジャズ喫茶に通った。「よく行った店は若宮町の『ゴースト』や神室町の『フリーク』。本当は高校生が行ってはいけないところだったが、ジャズは大人の音楽という感じもあって、背伸びして行っていた」
岐阜市鹿島町でジャズ喫茶「アフターダーク」を経営する水野滋子さん(70)は若いころ柳ケ瀬でジャズに浸り、自身の店も93年にアーケード街からほど近い御浪町で開業した。「世間一般にはまだジャズはアンダーグラウンドな音楽というイメージがあって、ジャズ喫茶も多くが地下や路地にあった。その雰囲気が柳ケ瀬にとても合っていた」と話す。個人商店と百貨店が隣り合い、映画館がひしめき、夜はキャバレーやスナックのネオンが輝く。雑多な文化が混在する柳ケ瀬でこそ、黒人文化に端を発し、自由化の波とともに発展したジャズと共鳴したのだろうか。
バブル崩壊を経て柳ケ瀬が衰退、音楽が多様化してジャズの勢いも下火となり、柳ケ瀬からジャズ喫茶やジャズバーは徐々に姿を消した。それでもなお、大谷さんは店を守り、生演奏にこだわり続ける。大物の登場は年1回程度となったが、週末にはハウスバンドが生の音を奏で、月に数回は国内のトッププレーヤーを招く。「昔のことを思い浮かべると、あれは夢やったんやろうかと思ってしまう。柳ケ瀬がどうなるか正直分からんけど、文化のあるまちは何とでもなる。だから、岐阜からジャズ文化をなくしたくないんや」
1.人の波、街を埋める |
2011年 2月21日(月) |
2.夜ごと輝くショー |
2011年 2月22日(火) |
3.父の店 復活を願う |
2011年 2月23日(水) |
4.銀幕の街、人情映す |
2011年 2月24日(木) |
5.「おしゃれ」発信地 |
2011年 2月25日(金) |
6.世界的プレーヤーが数多く出演したバー |
2011年 2月26日(土) |
7.流行発信カリスマ美容師の志継ぐ店 |
2011年 2月27日(日) |
8.「まるで銀座」憧憬のメーンストリート |
2011年 2月28日(月) |