柳ケ瀬のメーンストリートで客との会話を大切にしながら商売を続ける西村昭男さん=岐阜市柳ケ瀬通、ニュー銀座堂
岐阜市・柳ケ瀬のかつてのにぎわいを表す時、よく使われる言葉がある。「まるで銀座のようだった」
東京・銀座に例えられる一つの理由は、1888(明治21)年に岐阜駅と当時の県庁=同市司町=をつなぐ八間道(現長良橋通り)が新設された際、沿道に銀座を象徴する木の柳が植えられたから。だが、それだけではない。憧憬(しょうけい)も含め、都心きっての繁華街を引き合いに出すだけの勢いが柳ケ瀬にあり、そういう柳ケ瀬を地元に持つ自負が人々にあった。
「柳ケ瀬に店を出すことが一種のステータスだったね。中でも、本通りに店を持つことは憧れみたいなもんでした」。靴店を経営する西村昭男さん(77)は40年前、柳ケ瀬のメーンストリートの本通り沿いに新たな店を構えた。その名もニュー銀座堂。
店名は戦後すぐ、同じ柳ケ瀬内の日ノ出町に父の故民治郎さんが建てた2店舗目の銀座堂に由来する。「昭和40年ごろの柳ケ瀬はまさに岐阜の銀座だった。『柳ぶら』って言って、柳ケ瀬で1杯飲んで帰らないと眠れないっていう人がたくさんいてね。うちの店でもホステスさんが数万円の靴を月に2、3足のペースで買ったり、野生のヒョウやキリンの革靴を特注するアパレル会社の社長がいたよ」。客にとっても柳ケ瀬で高級品を買ったり、特注品をあつらえることが誇りだった。
柳ケ瀬の中でも、本通り沿いの商店はそうした柳ケ瀬の“格”を支えた老舗ぞろい。呉服から洋品へと業態を変えながら119年続くみのしげ、創業117年と県内で最も古い眼鏡の賞月堂、ことし103周年を迎える山田呉服店。業態転換や郊外への出店など試行錯誤をしながらも、柳ケ瀬の表通りで看板を上げ続けている。賞月堂の3代目木方清一郎さん(85)は「柳ケ瀬の店は人との会話を大事にしてきた。生き残る店には必ずひいきの客がいて、柳ケ瀬で育ててもらった」
西村さんは、自転車で柳ケ瀬中を回ることを日課にしている。顔見知りの店主に声を掛け、芝居小屋の入りを確かめる。新たな店の建設現場で進捗(しんちょく)具合を見守る。昨年、和菓子店ツバメヤ=同市日ノ出町=をオープンした岡田さや加さん(38)も店舗の改装工事中、西村さんが毎日訪れてきたことを覚えている。「開店後も道で会うたびに声を掛けていただき、柳ケ瀬のことを教えてくださる。地元の方に応援してもらうのはとても心強い」
多くの人が憧れた柳ケ瀬の現状をどうにかしたい―その思いが腰を痛め、長時間歩くこともきつくなった西村さんをアーケード街に誘う。「若い人に入ってきてもらわなければ新しい魅力もできない。みんなが柳ケ瀬のことを考えて、行政にも助けてもらって、本当は家賃なんてゼロで貸すくらいにできたらいい。今の柳ケ瀬を良くしようと思えば、それくらい思い切ったことをやらないと」。柳ケ瀬を愛し、知り尽くした老舗店主は訴える。
=第3章おわり=
1.人の波、街を埋める |
2011年 2月21日(月) |
2.夜ごと輝くショー |
2011年 2月22日(火) |
3.父の店 復活を願う |
2011年 2月23日(水) |
4.銀幕の街、人情映す |
2011年 2月24日(木) |
5.「おしゃれ」発信地 |
2011年 2月25日(金) |
6.世界的プレーヤーが数多く出演したバー |
2011年 2月26日(土) |
7.流行発信カリスマ美容師の志継ぐ店 |
2011年 2月27日(日) |
8.「まるで銀座」憧憬のメーンストリート |
2011年 2月28日(月) |