カサブランカのステージに立つ自分の写真を懐かしげに眺める細矢ウメ子さん=岐阜市弥八町、スナックかくれんぼ
白塗りに日本髪、着物姿の踊り子たち。その中央で、ひときわあでやかな装いの女性がマイクを手に、流し目を送っていた。「ホステスで歌もやったのはわたしが最初。着物でタンゴもジルバも踊ったのよ」。岐阜市弥八町のスナック「かくれんぼ」のママ細矢ウメ子さん(65)は、写真の中の自分をまぶしそうに見つめた。
写真の舞台は、同市小柳町にあったキャバレー「カサブランカ」。細矢さんは1968(昭和43)年から11年間、ここでホステスをしていた。
昭和30〜40年代の高度成長期、隆盛を誇った岐阜市の繁華街・柳ケ瀬の夜を象徴するものの一つがキャバレー。ステージを備えた大規模な酒場で、歌手や芸能人が出演した。店所属のホステスは客席で給仕をしたほか、ショータイムにはステージに上がって芸事を披露した。岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会が発行する「柳ケ瀬百年誌」によると、60年ごろにはキャバレーが11店あったという。
カサブランカでギター弾きのアルバイトをしたことがあるジャズバー経営の大谷喬さん(69)は「客席が3階まであって200人は入った。どの階からも見えるようにステージが上下した」と語る。同市小柳町にあったキャバレー「ショーボート」などへ客として通った野口晃男さん(68)=同市島栄町=は「どこのキャバレーも毎日満員。店にもよるが、最低料金が2千円くらい。初任給が1万3千円の時代だから、若者が毎日行くのは厳しかったけれど」と。夜ごと、きらびやかなショーが繰り広げられた当時の柳ケ瀬は「ラスベガス」にも例えられた。
「舞台裏は努力と研究よ」。細矢さんによると、カサブランカには約350人のホステスが在籍した。「初めは日給制で動員の目標もあったから、皆頑張ってサービスした。毎日美容院へ行って、日本舞踊も、タンゴやワルツも練習した。あの子と踊りたいって思われるようなきれいな踊りを目指したの」
細矢さんは宮崎県出身。10代の終わりに「上方に憧れて」古里を離れ、文通相手のいる岐阜に来た。帰郷を促す母の声を振り切り、キャバレー「ニュー森永」で働き始めたのが20歳の時。「最初はお菓子屋さんかと思って行ったら大間違い。でも、もともと人が好きだから楽しくなって。最初の3年はほとんど休まず働いたわ」。都会への憧れ、退路を断った覚悟が努力の日々を支えた。数年後に移ったカサブランカは「一流」と称されたキャバレー。ここで看板ホステスに上り詰めた。
今、細矢さんが経営するスナックにはカサブランカ時代を知る客が数多く訪れる。「よく『やめるなよ』『がんばれよ』と言っていただく。柳ケ瀬に出合えてすごく幸せ」。柳ケ瀬というステージで必死に自己を磨き、生き抜いてきたことを誇りに思う。「わたしたちの時代も黙っていれば人が来たわけではなく、努力と研究を重ねた。今の人たちはどんなに大変か。なんとか踏ん張って、いつまでも元気な柳ケ瀬であってほしい」
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