疑われた人間には非がある。
最近児ポ法改正案やある有罪判決を出した痴漢事件など性犯罪問題に関して議員・各団体へ業務に支障をきたすのではとも思える量の問い合わせが殺到しているそうだ。私達のところも例外ではなく。妨害派の者から、反対を主旨とした内容が大半を越える。とくにうんざりさせられた内容といえば「冤罪ガー」と五月蠅いにも程がある。
表現規制反対派という者達が毎度のように「推進派の言う主張では実在の児童を守れない」と言っているが彼らの妨害派の本当の大義名分は有害な漫画やゲームなどといった娯楽を擁護しようということにあることは私達は知っている。だから絶対に創作物に関しての調査をはずさせるわけにはいかない。もちろん調査するまでもなく、ただちに規制をかけることも提案済みだ。 そして冤罪に関して言及しても痴漢などでも本当にやっていない者でも、被害を訴えた女性に精神的被害を与えたというのは事実であるという事例は数多く、疑われた者には犯行の有無に抱えあらず、責任、つまり非がある。先日の裁判も見てきたが、犯行が行われることが困難な状況下であっても被害者の訴えを無視することはあってはならない。だからこそあの裁判官は有罪判決を出したのだ。 それに疑われた者の多くはそれを逆恨みし後に反社会的な行動を起こしているケースも把握している。 それを防ぐためには被告は誰しも有罪にしなければならない。遠隔操作の件の片山被告も例外でない。 「冤罪を防ぐために多数の被害者を放置する」か「冤罪が発生してでもすべての加害者を摘発させる」のどちらが犯罪被害者を救うのに適しているかというは二者択一の問題で、冤罪者を出してでもこれまで摘発できなかったような犯罪を徹底的に摘発しなければ被害者が救われることは絶対にありえない。冤罪に対する対策も一切する必要性はどこにもなく、取調べの可視化も、本当の加害者ですら無罪にしかねない要素が多く私達や取り調べる側の人にとってはデメリットしかなく、可視化も取り入れるべきでないと明確に反対させていただく。 どうせ妨害派の連中は私達がこういえば冤罪起こしてでも私達に対して「犯罪者にしたてあげろ」とヘイトスピーチするに違いない。規制推進派に対して誤認逮捕されてもいいというふざけた考え方の奴等が本当に冤罪がどうだということを本気で考えているわけがない。所詮は妨害派は在○会みたいな連中と同じようなものだ。 そもそも「冤罪」という言葉自体は本来存在すべきでない言葉といっても過言ではない。 |