京都ビルマ戦線慰霊団の元団長、46年ぶり現地再訪
旧日本軍のインパール作戦で多数の戦死者を出したミャンマー(ビルマ)とインドを1967年に訪問した「京都ビルマ戦線慰霊団」の元団長が今年3~4月、46年ぶりに現地を訪れた。当時建てた墓標は別の場所で平和記念碑と合わせて祭られており、手を合わせて冥福を祈った。
元KBS京都社員の会社社長村田洋一さん(80)=兵庫県猪名川町。67年1月、KBSが派遣した慰霊団の団長として、ビルマ戦線に加わった元日本軍兵2人、僧侶1人とともにミャンマーを訪れた。当時は軍事政権が外国人の入国を厳しく規制しており、出発前には京都の多くの遺族が伏見の地酒や鴨川の水などの供物を託したという。
多くの日本兵が命を落とした奥地には入れなかったが、旧首都ヤンゴンと、激戦地近くのインド・シルチャルに慰霊の墓標を建てた。
昨年、アウン・サン・スー・チーさんが来日するというニュースを聞いて、「放置していた墓標の今を確かめなければ」との思いが募り、ミャンマーの民主化で入国規制の解除も進んだため、現地に赴いた。
今年3月下旬から4月上旬にかけてミャンマーとインドを巡り、戦地近くでは旧日本軍の大砲、兵士が水を調達した井戸なども確かめた。
シルチャルの墓標は見つからなかったが、ヤンゴンの墓標は開発で近くの日本人墓地に移された後、平和記念碑に合わせて祭られたことを確認した。
南国で命を落とした先人を思い、平和記念碑前で手を合わせた村田さんは、「インパール作戦の戦死者は、今も遺骨が帰っていない人が多い。墓標がずっと気になっていたので、現地の人が大切にしてくれていて安心した」と語った。今後、インパール作戦に従事した京都の元軍人らに現地の様子を報告する。
【 2013年05月18日 15時10分 】