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最終更新:2013年5月30日(木) 20時4分

「原発さえなければ」福島酪農家遺族が提訴

「原発さえなければ」。そう書き残して、福島県相馬市で酪農を営んでいた男性が自ら命を絶ったのは、原発事故の3か月後のことでした。その妻が30日、東京電力に対し損害賠償を求めて提訴しました。「家も生活も子どもの夢もなくなった」と訴えています。

 午後2時、遺影を胸に抱いた女性が東京地裁に入りました。菅野バネッサさんは夫の重清さんの死について、福島第一原発の事故が原因だったとして、東京電力に対し損害賠償を求めて提訴したのです。

 「原発なければ、まだお父さん生きている。2人の子どもはこれからどうするのか」(菅野バネッサさん)

 菅野重清さんは原発事故の3か月後、2011年6月に福島県相馬市の小屋で首をつって自殺しました。この小屋は事故の2か月前、酪農を営む重清さんが借金をして建てたばかりでした。

 あの日から2年・・・。主を亡くした農場は荒れ果てていました。あの小屋には、重清さんが死の間際に記した言葉が今も残されています。

 <原発さえなければ。残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください。仕事をする気力をなくしました。バネ ごめんなさい。なにもできない父親でした>

 原発事故後、放射能の影響で牛乳は1か月の出荷停止に。堆肥も売れず、収入は途絶えました。「どうすればいいのか・・・」。借金の返済のめども立たない重清さんは、毎日悩んでいたといいます。

 「びっくりした、自分の友達だもの。(自殺は)かなり悩んでのことだね」(近所の人)

 重清さんが亡くなったとき、バネッサさんは2人の息子を連れて母国のフィリピンに一時的に帰国していました。友人からのメールで、その死を知りました。今は福島県伊達市で暮らしています。病気がちの子どもの世話があるため働けず、重清さんの生命保険で借金を返し、残りを取り崩して生活しています。

 「お父さんの牧場も家も全部なくなっている。何もできないです、私。家もないし仕事もないし、生活もだんだん大変です。子どもの夢もなくなった」(菅野バネッサさん)

 バネッサさんは、重清さんが原発事故の影響で酪農を続けられなくなり、さらに家族が離ればなれになったため、うつ病を患って自殺したと主張。東京電力に対し#12/#2#6#0#0K|1_$NB;32Ge=~$r5a$a$F$$$^$9!#

 「いつもお父さん(重清さん)がほしい。そばにいてほしい。お願い、大変、本当に」(菅野バネッサさん)

 東京電力は「コメントは差し控える」としています。(30日17:15)

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