もし、今回の東電の原発事故をきっかけとして総括原価方式そのものを見直すことが国民の合意であれば、公共料金算定にこの会計方式を採用した歴史的経緯を踏まえ、「今回の見直しは、とりあえず電気料金算定に限るのか、それとも他の公共料金も射程に入れるのか」「電気料金算定で原子力発電をコスト算入する場合、他の電源と異なる規制や除外規定を設けるか否か」といった問題設定と議論展開がなされる必要がある。
第三者委員会が報告した東電の「水増し原価6000億円事件」は“犯罪”的であり、もはや論外の所業だ。ただし、それは逆に「暴露されさえすれば分かりやすい“偽装”」でもある。そうした表面的な不祥事だけで電力業界の会計方式の是非が論じられれば、表面に露出しない問題は自動的に捨象され免罪される。
実際、第三者委員会の報告によれば、巨額とはいえ6000億円の内訳は「広告宣伝費や業界団体への会費、寄付金」である。「正当な原価」とされる原発施設を2基新設すれば釣りがくる程度の額だ。つまり、電力にまつわる総括原価の本質的問題は、「原発と総括原価の相乗による金儲けと原発推進」にあるのだ。
従って、国民に伝えられるべき問題は、途方もないリスクと、国庫出動分も含めた巨額コストをかけなければ維持・推進できない原発が電力会社の巨額資金を支え、その巨額資金が原発の維持・推進に費やされているという「不合理な相乗関係」である。その不合理な循環を無理矢理に単純化する「会計装置」として、電力会社は総括原価を利用しているのだ。
電気料金算定の見直しは、第三者委員会が公表した東電の不当な原価水増し以前の問題として、原発の位置づけに関するグレーゾーンの問題が根深く沈殿している。原発に関する何らかのシバリを伴う見直しがなされなければ、「脱原発」論議は骨抜きにされてしまうだろう。
従って、総括原価方式の是非論は、「安全性も確保されていない原発に投下される莫大な税金」の全開示が前提だ。国民に基本的情報を与えず判断と選択を迫る政府の態度は、手足を奪って泳げというに等しいからだ。その上で、「原子力発電は、政府の支出でも電力会社の利潤でも、経済的に特別な位置にある。よって、これには会計上でも特別な規制や位置づけが必要だと思われるが、どうか?」という議論がなされなければならない。
総括原価方式が適用される公共料金の中の電気料金。その電気料金の中の原発コスト。そして、総括原価方式という制度の見直しで本当に解析されなければならない「原発の位置づけ」。これらについて、マスメディアはミスリードすることなくその国民的議論を支えなければならない。