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「南京事件」 幕府山事件の合法性について
y1892aさん
「南京事件」 幕府山事件の合法性について
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1回目
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小野賢二史料は2名を除いて残り全てが仮名であることなど、信憑性が疑わしいのですが、
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-824.html
本物だ、偽物だ、と言い合ったところで実物を公開しない限り水掛け論になります。
ですので今回は「宣誓に依らざる解放(自衛発砲説)」が成立しないと仮定します。
熟読願います↓
【幕府山事件と「審問なき処罰の禁止」について~戦時国際法上合法説】
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-871.html
要約すると、
戦時犯罪人を処罰する際に裁判にかけなければならないという決まりは国際法には無く、「未成熟な」国際慣習法で「戦時犯罪人を処罰する前の審問」という手続きが求められていただけです。
南京陥落当時の中国兵は
・交戦資格が無かった。
・「捕虜」ではなかった。
・それでも審問は行われていた。
したがって、「戦争犯罪」どころか、一定の手続きを要求していた「未成熟な国際慣習法」さえも満たしていた、ということです。
熟読願います↓
【幕府山事件と「審問なき処罰の禁止」について~戦時国際法上合法説】
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-871.html
この論証を熟読した上で、南京での中国兵大量処刑が違法だったことを論証できる方はいらっしゃいますか?
注意1)どの学者も採用しない「俺様ルール」はお断りいたします。必ず当時の国際法や国際慣習法、学説などを適切に引用して論証してください。ようするに罪刑法定主義に反する回答はお断りいたします。
注意2)私が間違っていることがあれば素直に謝罪訂正する覚悟はございます。私も含めて今回の一連の質問・回答においては誹謗中傷の類いはいっさい禁止いたします。誹謗中傷をなさる方は「反論できないから誹謗中傷するしかない」とみなします。
この2点を守っていただける方でしたらどなたでもお答えいただけます。
(5/28現在、BL登録はすべて解除しております)
なお、この質問はリクエスト対象者を変えながら10回継続いたします。
1回の質問期間は4~6日くらいは取るつもりですので、
時間をかけてあせらず慎重に文章を推敲してください。
参考)
過去の同趣旨の質問です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310696305...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310673591...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410658999...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310522696...
”南京大虐殺”のまとめ 責任者は蒋介石・唐生智 日本は無罪
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-258.html
- 補足
- poirot21thさん
回答ありがとうございます。
>幕府山事件は武装解除され、一旦収容された後の行為ですから上記の二点はもう問題ではありません。
>これら投降兵を処分するには審問または簡易裁判が必要です。
こういうのを「俺様ルール」と言います(^ω^)
【重要リンク】読んでくれましたか?
貴方が主張していた、交戦資格はある、とか、捕虜と呼ばれていたから捕虜だ、は無理だと認めますか?
>残った兵士を審問しなければならないのですよ。つまりやっていない。
そんな学説があったんですか?誰の?まさか「俺様ルール」?
>山田支隊に憲兵はいないよ。
審問は憲兵でなければならないという根拠は?まさか「俺様ルール」?
>それから君のupした証言によれば幕府山捕虜から6千余の民間人が解放された訳だが、君は南京城外に民間人は一人も居ないと言っていましたよ。どういう事でしょうか。
板倉氏によれば、徴用された雑役兵や新兵が全軍で何万人も居たらしいですよ。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/blog-entry-244.html
asdfrewardhabidさん
ありがとうございます(^ω^)
またよろしくお願いします。
この質問は、poirot21thさんに回答をリクエストしています。
(ほかの方からの回答を制限するものではありません)
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- 質問日時:
- 2013/5/28 09:52:27
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- 残り時間:
- 5日間
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- 補足日時:
- 2013/5/31 00:28:30
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- 回答数:
- 2
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回答
(2件中1〜2件)
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そうか!BL解除してくれたんだ。
よーし、なら早速回答しなきゃ!
などと…
行動すると思うのでしょうか?
ただし…
きっと”逃げた”とか言うのでしょうから、貴方の論証がそもそもなってない事を指摘しておきます。
(他の方は私ほど酔狂でないので、回答は得られないとおもいますよ。)
>偶発事故説も、頼みの綱の「仮名日記」の真偽が確認できてませんし。
>そもそも私は3つの主張を「並列」で論証してますからね。あなたわかってないでしょ(^ω^)
>あ、戦時復仇説もありました(^ω^)
前回のasdfrewardhabidさん からの質問
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410750807...
での君の意見です。(字数制限でその時は触れられずに終わりました)
ここで如何に君の論証が非論理的か分かる部分です。
>主張を「並列」で論証してますからね。
と言うのなら「偶発事故説(解放の失敗)」と「戦時復仇説」が並列に乗ると考えているのですな。
乗る訳がない。ま逆ではないですか。
以上から推察される様に君には一貫した論理性が見られない。
誰かが「あらゆる否定論のごった煮スープ」とかなんとか称していましたが、
むべなるかな。
今回自分でもそれに気付かれた様で
>「宣誓に依らざる解放(自衛発砲説)」が成立しないと仮定します。
と軌道修正。
で、肝心の「幕府山事件の合法性について」ですが。
>・交戦資格が無かった。
>・「捕虜」ではなかった。
いずれも間違い。
しかし当時の日本軍は一部にそう扱おうとしなかった事実が有り、それをして「捕虜」ではなかったと強弁する事も可能というだけです。
幕府山事件は武装解除され、一旦収容された後の行為ですから上記の二点はもう問題ではありません。
これら投降兵を処分するには審問または簡易裁判が必要です。
>・それでも審問は行われていた。
この主張を見てみると。
>このとおり非戦闘員は釈放している。そして非戦闘員さえ釈放すれば、残りは戦闘員であり、当時の南京の中国側戦闘員はすべて交戦資格は無かったことは明白であった。
>よって非戦闘員の選別をもって審問はなされていたと解釈できる。
「俺様ルール」発見。
非戦闘員(民間人)を解放するのは当たり前。
残った兵士を審問しなければならないのですよ。つまりやっていない。
それなのに君のルールでは審問が有ったとなってしまいます。
君が以前あげた評論家の兵頭二十八氏(否定派)も、この時形ばかりでも審問があればと悔やまれておりますよ。
>写真)日本軍憲兵による5~6千の中国軍投降兵に対する審問の様子
山田支隊に憲兵はいないよ。
それから君のupした証言によれば幕府山捕虜から6千余の民間人が解放された訳だが、君は南京城外に民間人は一人も居ないと言っていましたよ。どういう事でしょうか。
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- 回答日時:2013/5/30 09:16:52
質問者のいっている事はほぼ、正しいでしょう。
ほぼ、というのは、私よりレベルが高い、という意味です。
ちょっと間違いを検索するというのは、ブッダに教えを説くようなものです。
法律には疎いですが、
南京戦の知識においては、私は、けっこう上なのかな。
と、思っています。
ですので、今回は、
南京陥落後の上海派遣軍司令部の奇襲について、述べたいと思います。
飯沼守参謀長の日記の13日に記されている通りに、南京が陥落した後、上海派遣軍司令部が奇襲を受けた事は、事実であります。
本当はこうだった南京事件 板倉由明 日本図書刊行会
の108ページから詳細が論じられていますが、
結論を言えば、
歩兵第十九連隊第二大隊、戦車第一大隊の救援が間に合わなければ、上海派遣軍司令部が落ちていた可能性の方が高いでしょう。
飯沼守日記には、捕虜獲得の記述はありませんが、
板倉氏は、ここでも奇襲部隊は捕虜とされ、その後に殺された、と、主張しています。おそらく、「風雲南京城」宮部十三軍曹がソースであると考えますが、この本は、奇襲が十二日になっており、正確さには疑問が残ります。
板倉氏は、奇襲の翌日の夕刻に捕虜が殺された、と、主張していますが、
私は、これは、城の外の話しなので、奇襲部隊は、退却した、と、考える方が妥当でしょう。しかし、逃げられた、と、ありのままに書かなかったのではないか、と、思います。
少なくとも包囲することは、難しい。
あるいは、捕虜にしたにしても、なんで、城の外なのに、その場で殺してしまわなかったのか、という問題は残ります。
この場合、当然、日本軍への服従を要求したと思いますが、
中国兵は、日本軍を罵倒し、天皇陛下を罵倒した、ゆえに死刑になったと、考えます。
いずれにせよ、城の外で、奇襲で、包囲できるとは、とても、信じられません。
捕虜がいたにしても、
精根尽き果て、走る事ができなくなった、
日本軍は、敗れながらなお、一矢報いようとした中国兵に敬意を表し、捕らえた。
しかしながら、
日本軍への服従は拒否され、
中国兵は、日本軍を罵倒し、天皇陛下を罵倒した、ゆえに死刑になったと、考えます。
誇り高い中国兵、誇り高い日本兵ならば、当然、そのような結果になると思います。
なぜ、日本軍は奇襲されてしまったのか?
1 南京が陥落した事による気のゆるみ
2 中国軍の主力は、既に包囲網を突破して南京にはいない。
3 敗残兵の掃討のために多数の日本兵が手いっぱいになっている。
4 祖国のために命を捧げようという中国兵の誇りと闘志。
以上の四条件があったのではないでしょうか?
そもそも、なぜ、中国軍の主力は包囲網を突破できたのか?
笠原十九司著 南京事件 岩波新書 132ページ
司令長官部の直属部隊と第三六師・憲兵部隊が午後六時より下関から汽船で渡航して撤退、その他の全部隊が夜十一時を期して各方面でいっせいに日本軍の正面突破して撤退し、
これを、わかりやすく、言い換えれば、
本隊は、六時から撤退をはじめる、
各部隊は、それぞれの門で日本兵を引きつけよ。
午後、十一時には、本隊の撤退は完了するが、
おまえたちは、降伏せずに死んで、中国兵の闘志を見せつけよ!
という意味でしょ。
それ以外に取りようはないのではないか?
中国兵は、国際法は全く守らず、卑劣な戦法は繰り返したが、
もちろん、腰抜けな兵士もいたろうが、
腰抜けな兵士はどんな軍にもいる、日本軍にもいたよ。
でも、本体の撤退が成功し、
南京は司令官が脱出後も六時間持ちこたえ、
さらに、陥落の半日後には、奇襲で上海派遣軍司令部を後一歩のところまで追い込んだのだから、
やはり、祖国愛にあふれた、勇敢な兵士であり、南京陥落後も、その闘志は衰えてはいなかった。
従って、
上海派遣軍司令部が、戦いは終わっていない、と、判断した事は正しいと思う。
むしろ、虐殺派の笠原氏が、96ページで、
日本軍は無抵抗の投降兵・敗残兵・捕虜をかたっぱしから殺害していった。
これは、間違いであり、中国兵に失礼だ。歴史の歪曲だ。
中国軍は、日本軍をひきつけ本隊を追撃させないために、安全区に大量の武器を持ち込み、市民に偽装し、発見されれば闘志の失せた臆病者のふりをしたが、実際には、そういう擬態をとる事が、中国兵の戦い方なんだと、評価すべきだろう。
無論、中国兵の擬態は国際法違反であり、日本軍の行為は正当である。
捕虜を獲得するかの決定権は司令部にあり山田支隊にはありません。
それに、
飯沼守参謀長の日記では
相当多数に逃げられたとの噂あり、
上村利道参謀副長(飯沼守さんの次に偉い人)の日記では、
山田支隊捕虜の始末を誤り、
大集団反抗し、
敵味方ともにMGにて打ち払い散逸セルもの
かなりある模様。
下手な事をやったものだと、遺憾千万なり。
両方の日記は 本当はこうだった南京事件140ページより引用
字数の限界。
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- 編集日時:2013/5/29 02:25:22
- 回答日時:2013/5/29 01:46:32