「原発さえなければ」 遺族が提訴5月30日 20時41分
おととし、福島県相馬市の自宅の小屋に「原発さえなければ」と書き残して自殺した酪農家の遺族が東京電力に慰謝料を求める訴えを起こしました。
東京地方裁判所に提訴したのは、東京電力福島第一原子力発電所の事故後のおととし6月、自宅の小屋に「原発さえなければ」と書き残して自殺した福島県相馬市の酪農家、菅野重清さんの妻で、フィリピン人のカンノ・バネッサ・アボルドさんと2人の息子です。
訴えによりますと、「自殺の原因は原発事故で酪農が続けられなくなったうえ、家族が避難して離れ離れになり、精神的・肉体的に追いつめられたためだ」として東京電力に慰謝料など1億2000万円余りを求めています。
会見でバネッサさんは、「原発事故がなければお父さんは生きていたはずなのに、家も仕事も夢もすべてなくなってしまいました。子どもたちのためにも闘いたい」と話しました。
訴えについて東京電力は、「多くの皆様に大変なご迷惑とご心配をおかけしていることについて、改めて心からおわび申し上げます。訴訟に関するコメントは差し控えますが、事情をうかがったうえで、真摯(しんし)に対応してまいりたい」としています。
内閣府によりますと、震災と原発事故に関連して自殺した人の数は、ことし4月までに全国で93人に上っていて、このうち福島県と宮城県がいずれも29人と最も多くなっています。
訴えを起こした妻の思いは
訴えを起こしたカンノ・バネッサ・アボルドさん(35)は、原発事故当時、夫の菅野重清さん(当時54)と福島県相馬市で酪農を営んでいました。
しかし、原発事故のあと、生産した牛乳は出荷できなくなり、バネッサさんと2人の息子は母国のフィリピンに避難して家族が離れ離れに暮らさざるをえなくなりました。
重清さんがみずから命を絶ったのは原発事故から3か月後、事故の直前に新築したばかりの堆肥小屋でした。
壁には「原発さえなければ」ということばが残されていました。
バネッサさんは今、自宅からおよそ20キロ離れた伊達市で2人の息子と避難生活を送っています。夫が好きだった料理を作ると、欠かさず仏壇に供え、夫の遺影に話しかける毎日です。
重清さんが小学校に入学する長男のために買っていたランドセルと制服を身に着けて通学する姿を見せることができなかったことが残念でならないといいます。
バネッサさんは、原発事故によって暮らしと家族を奪われた苦しみを償ってほしいと東京電力に賠償を求めてきましたが、応じることはありませんでした。
バネッサさんは、「夫がいない生活はとてもつらく、将来への不安でいっぱいです。原発さえなければ、みんなが仲よく普通の暮らしを送っていたはずで、夫が亡くなって私の体も半分なくなってしまったようです」と話していました。
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