日本軍が「慰安婦」を従軍させていたという都市伝説は古くからあったが、1965 年の日
韓基本条約でも賠償の対象になっていない。「従軍慰安婦」という言葉も日本のルポライタ
ーの造語で、戦時中にそういう言葉が使われた事実もない。
ところが 1983 年に吉田清治という元陸軍兵士が『私の戦争犯罪』という本を出し、済州
島で「慰安婦狩り」を行なって多数の女性を女子挺身隊として戦場に拉致した、と語った。
これは「勇気ある証言」として多くのメディアに取り上げられたが、彼の話は場所や時間
の記述が曖昧で、慰安婦狩りをどこで誰に行なったのかがはっきりしない。そこで済州島
の地元紙が調査したところ、本の記述に該当する村はなく、日本軍が済州島に来たという
事実さえ確認できなかった。
吉田以外にはこういう証言をした人物はいないため、これは彼の捏造ではないかとの疑
惑が出て、歴史学者の秦郁彦氏などが彼を問いただしたところ、吉田は 1996 年に「フィク
ションだった」と認めた。常識的には、自分が犯罪を犯したと名乗り出る人がいるとは思
えないが、戦争体験については誇大に「懺悔」することで注目を引き、本や講演で稼ごう
とする「詐話師」がいるのだ。
本来なら話はこれで終わりだが、吉田の話が韓国のメディアにも取り上げられたため、
1990 年に韓国で「挺身隊問題対策協議会」という慰安婦について日本に賠償を求める組織
ができた。これに呼応して高木健一氏や福島瑞穂氏などの弁護士が、日本政府に対する訴
訟を起こそうとして原告を募集した。それに応募して出て来たのが、金学順だった。
彼女は 1991 年 8 月に来日し、訴訟の原告として裁判を起こすとともにメディアにも登場
し、伝説の存在だった「慰安婦」が初めて名乗り出たケースとして話題になった。私は当
時、NHK 大阪放送局で終戦記念番組を制作していたが、そこに金を売り込んできたのが福
島氏だった。
金は「親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と証
言し、軍票(軍の通貨)で支払われた給料が終戦で無価値になったので、日本政府に対し
てその損害賠償を求めたのだ。
われわれは強制連行の実態を取材しようと、2 班にわかれて韓国ロケを行なった。私の班
は男性で、もう一つの班が女性の慰安婦だった。現地で賠償運動をしている韓国人に案内
してもらって、男女あわせて 50 人ほどに取材したが、意外なことに 1 人も「軍に引っ張ら
れた」とか「強制的に働かされた」という人はいなかった。
当時の朝鮮半島は日本の植民地だったが、賃金は内地の半分ぐらいで貧しかったため、
本土に出稼ぎに行く人が多かった。そこに朝鮮人の「口入れ屋」がやってきて、炭鉱など
の職を斡旋して手数料を稼いでいたのだ。
その労働者を運ぶ船は、軍の船だった。慰安婦の場合も、慰安所の管理は軍がやってい