中日−巨人 引退セレモニーを終え、ナインから胴上げされる笑顔の立浪=ナゴヤドームで(横田信哉撮影)
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今季限りでの引退を表明している立浪和義内野手兼打撃コーチ(40)が9月30日、巨人戦の試合後、ナゴヤドームで引退セレモニーを行った。「6番・一塁」でスタメン出場して猛打賞で締めくくり。クライマックスシリーズこそ控えているが、レギュラーシーズン最後の本拠地となったこの日、ミスタードラゴンズがプロ野球人生を振り返り、ファン、恩師、家族らに感謝の思いをつづった。
ドラゴンズという素晴らしい球団に入団して22年がたったんですが、いま思えば名古屋という土地、ドラゴンズという球団、指導者、あらゆる環境がそろったことでドラゴンズ一筋で野球ができた。何か1つでも欠けていれば、いまの自分はなかったと思うんです。
22年間、いろんなことがありました。いい思い出もあれば悔しかったこともある。でも、ふと振り返って思い出すのは悔しいことばかり。野球って10回打席に立って3回打てばいい打者といわれるけど、その間に7回も失敗している。だから悔しいことの方が多いんですよ。昔はサヨナラエラーをして眠れなかったこともある。10・8(1994年10月8日に行われた巨人と同率で迎えた最終戦)なんて本当に悔しかった。その中で自分の糧になった節目を紹介します。
1年目に開幕スタメンやリーグ優勝、新人王まで獲得させていただきましたが、2年目に右肩を痛めてしまった。そのころは簡単に治ると思っていたんです。それが…。予想以上の重症で、2年目はほとんど2軍で過ごしました。ただ、新たな発見があったんです。当時は阿久比でリハビリをしていたんですが、ファームの選手が何試合かナイター観戦した。そのとき、こんな素晴らしい舞台で野球をしていたんだなって気づかされたんです。また戻らないとって。だから頑張りました。3年目の開幕戦(90年4月7日の大洋戦=ナゴヤ球場)の1打席目でホームランを打ったときは、本当にうれしかったですね。
99年の2度目のリーグ優勝も格別でした。1年目に優勝したから、もっと頻繁にできると思っていた。それが10年間も遠ざかってしまったんです。あのころは優勝に飢えていました。9月30日のヤクルト戦(神宮)で逆転勝ちして優勝を決めましたが、最後がセカンドフライ。あの日は3回に落球していましたからね。打ち上がった瞬間、投手と捕手はもうガッツポーズしている。ちょっと待ってくれよ、って。(ミスを)またやったら同点になるなと思いつつ、両手で拝み取りをしたのを覚えています。でも、自分にとっては初めてのビールかけでしたし、心から優勝の喜びをかみしめました。
もう1つの節目はレギュラーを外れた06年の7月ですかね。正直きつかった。プロ野球は力の世界、力がないから出られない、というのは分かっていても、最初は切り替えができなかった。そのときに助けてもらったのがファンの方の声援です。本当は自分はレギュラーで試合に出られなくなったら終わりだと思っていた。それが代打で出たときに鳥肌が立つような大きな声援をいただいた。もう1回頑張らないといけないって思ったんです。何とか期待に応えたいという一心でした。
昨年のオフに引退を表明して、最後まで結果にこだわってやってきました。実はレギュラーで出ているときは代打なんて楽だろうと思っていた。でも代打をやって分かったことはレギュラーは体がキツイけど、代打は精神的にキツイ。昨年、代打で結果を残せなかったとき、心の限界にきていた。代打で3割を打っても7回失敗したらその間が長いんです。レギュラーはその日打てなくても次の日がある。ましてやあれだけ声援をもらって打てなかったら、ものすごく責任を感じる。申し訳ないって。昨年はやめたいって思いました。でもこのまま終わるのは悔しい。最後の力を振り絞ろうと引退を表明したんです。
22年間、応援してくださって本当にありがとうございました。それほど大きくない体でここまできましたが、負けん気だけは持ち続けた。それと自分の中で守ってきたのは、野球をやらせてもらっているのは幸せだと思うことです。夢の世界に入れて、ファンの方にも応援してもらえる。苦労やしんどいなんて言ってはいけないと自分に言い聞かせてここまできました。
指導者にも恵まれたと思います。小、中、高は厳しい指導者のもとで耐え忍ぶ精神を学んだ。プロに入ってからも、まずは星野監督には運命的にクジを引いてもらい、厳しい環境で野球をやった。プロ生活の最初にそういう監督の下でやれたことが長くできてきた要因だと思います。高木監督に代わって今度は自主性に任せてもらい、責任感が芽生えた。山田監督には4番を任せてもらったことで、自分がもう1回生き返った。そして落合監督には代打として生きる道を与えてもらった。いまは4人すべての監督に感謝しています。
打てるときも打てないときも、いつも温かい声援をいただいたことは一生忘れることなく自分の胸にしまいこんでいきたい。いまはファンの皆さま、恩師、先輩、仲間、関係者、支えてくれた家族、すべての人に感謝するばかりです。でも、引退セレモニーは終わりましたが、まだ今年は終わっていない。きょうは楽しんで野球をさせていただきましたが、最後の最後まで結果にこだわりたい。ただ、もう1度だけ言わせてください。22年間、本当にありがとうございました。
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