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【芸能・社会】

相澤さん告別式に700人が参列 “娘”たちの写真を胸に天国へ

2013年5月30日 紙面から

親族、所属タレントらによって運び出される相澤さんのひつぎ(石井裕之撮影)

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 膵臓(すいぞう)がんのため23日に83歳で亡くなった大手芸能プロダクション「サンミュージックグループ」創業者で会長、相澤秀禎さんの葬儀・告別式が29日、東京の青山葬儀所で行われ、約700人が参列。俳優の西郷輝彦(66)や千葉県知事の森田健作(63)、大手芸能事務所「ホリプロ」の堀威夫ファウンダー最高顧問らが弔辞を読み、別れを惜しんだ。

 相澤さんが最初に立ち上げた芸能プロダクション「龍美プロ」からデビューした西郷。遺影の前でそっと手を合わせ「名古屋のジャズ喫茶『グランドキャニオン』の楽屋口を出たところを呼び止められ、『ユーはオーラがあるよ』と。その出会いが僕に今年、芸能生活50周年を迎えさせてくれた」と感謝を込めた。

 「サンミュージック」第1号タレントとしてデビューした森田は「出会ったのは18歳で『おまえは太陽みたいな男だ』って。そして『サンミュージック』ができました。政治家になってから落ち込んでいると『笑顔で頑張れ。頑張れば必ず日は出てくる』と。その言葉を今でも大切にしている。来世も必ず会いましょう。今度は私が思いっきり恩返しします」と笑顔で誓った。

 親交の深かった堀さんは「友人というより戦友」としたうえで、「出会いは1956年。(相澤さんのバンド)『ウエスタン・キャラバン』を初めて見たときは衝撃的でした。時を経てお互い(舞台)裏に回り、ライバル転じて同志となり、芸能プロの社会的地位の向上に汗したことも楽しい思い出」と懐かしんだ。

 葬儀委員長を務めた相澤正久社長は「おやじのモットーと理念を継承し『本当の強さとは優しさだ』という精神を体に刻み込み、一層信頼されるサンミュージックとしてまい進していく」とあいさつした。

 相澤さんのひつぎの中には子どもの時に撮影された兄弟との写真や、家族写真、かわいがっていた猫3匹の写真、「サンミュージック」所属タレント名鑑(2013年版)、同プロ30周年の際に制作されたCD「サウンド・オブ・サンミュージック」のジャケット写真が納められた。火葬後の骨つぼには、愛用のメガネとプラチナ製の社員バッジも納めた。

 午後1時、親族4人と俳優の野村将希(60)、西郷、森田、お笑い芸人のカンニング竹山(42)、小島よしお(32)の9人に抱えられて出棺。相澤さんが大好きだったカントリー・ミュージックの陽気なヒットナンバー「You all come」が流された。

<北島三郎(76)の話> 3月の舞台の時に何十年ぶりに楽屋に来て「舞台を見させてもらおうかな」と言われた。ものすごく元気でした。病気のことはあまり知らなかった。演歌は厳しくなってきた。演歌を空の上からでいいから見守ってほしい。

<榊原郁恵(54)の話> ご近所なんです。事務所は違うが家族のように迎えてくれた。私は事務所がホリプロじゃなくて、サンミュージックじゃないかというくらい現場で声をかけてくれた。笑顔以外、あまり見たことがない。

<野村将希の話> 会長は16歳の時から僕の親代わり。会長のおかげでデビュー曲がヒットしたことを思い出します。最後に会ったのは亡くなる前日、枕元で冗談を言ったら会長はフッと笑ったんです。会長の口癖は「みんなファミリー」。ぼくは面倒ばかりかけたのに、恩返しする暇もなく逝ってしまった。

<主な参列者> 北島三郎、森田健作、西郷輝彦、野村将希、牧村三枝子、徳光和夫、カンニング竹山、小島よしお、IZAM、榊原郁恵、ヒロシ、ダイアモンド☆ユカイ、さんみゅ〜

 

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