妻も夫も、もとの姓のままでもいいし、どちらかの姓にあわせてもいい――。そんな結婚のしかたは、いつになったらできるのか。夫婦は夫か妻の姓を称する、と民法は定めている。この[記事全文]
誰がどれだけ馬券を買い、どれくらい勝ったのか。なかなか把握しにくい競馬の払戻金だが、そこにどう税金をかけるのが妥当なのか。考えさせられる裁判があった。ある男性が、億単位[記事全文]
妻も夫も、もとの姓のままでもいいし、どちらかの姓にあわせてもいい――。そんな結婚のしかたは、いつになったらできるのか。
夫婦は夫か妻の姓を称する、と民法は定めている。この規定が個人の尊厳を保障する憲法にかなうのかが裁判で問われた。
東京地裁の判決は、結婚と改姓の間で悩んでいる人たちに、解決策を示さなかった。
生まれながらの姓を、結婚で変える影響は小さくない。
仕事で築いた実績や人間関係は、姓を変えることで途切れかねない。
新しい姓を名乗ることで、本来の自分でなくなったような気持ちになる人もいる。
厚生労働省の統計では96%の夫婦は夫の姓にしており、女性に改姓の負担が集中している。
旧姓を使っていいと認める職場は広がっているが、すべてではない。身分証明になる運転免許証などの姓と通称が違うことで生じる不便や混乱は、しょっちゅうのことだ。
裁判をおこした5人もこうした悩みを抱えており、見回せば近くにいそうな人たちである。
婚姻届を出さずに、夫婦として暮らす「事実婚」を選ぶ人たちもいる。だが、税制上の控除や相続権など、法律上の結婚で認められる利益をあきらめなければならない。二人の間の子どもは婚外子となる。
女性の社会進出が進み、家族のかたちは多様になり、予想できた問題である。とうに立法で解決しておくべきだった。
法務省は96年に、夫婦は希望すればそれぞれ結婚前の姓を名のれる選択的別姓の制度をふくむ民法改正案要綱をまとめた。この案では、子どもたちの姓は一方の姓に統一される。
ところが、与党・自民党の一部の国会議員から「家族の崩壊を招く」「家族の一体感が損なわれる」などの反対が出て、法案提出に至らなかった。民主党政権でも実現せず、法案は17年間、日の目を見ていない。
姓が違う夫婦がいても、それぞれの考えを尊重した結果だ。そこに家族崩壊の兆しをみるのは、ゆきすぎではないか。
民法が夫婦同姓としたのは、結婚制度に不可欠であるとか、結婚の本質にもとづくものだなどの説明がされているわけではない。それは今回の判決も認めている。
国連の女性差別撤廃委員会も、結婚によって姓の変更を強制するのは問題があると指摘してきた。欧米の多くの国は、同姓かそれぞれ旧姓を名乗るかを選べる仕組みにしている。
誰がどれだけ馬券を買い、どれくらい勝ったのか。なかなか把握しにくい競馬の払戻金だが、そこにどう税金をかけるのが妥当なのか。考えさせられる裁判があった。
ある男性が、億単位のお金を投じてインターネットで馬券を買い続け、1億円を超える利益を得た。それを所得と申告していなかった罪で起訴された。
国税庁の通達によれば、馬券の払戻金は偶然に得た「一時所得」に区分される。経費として差し引けるのは勝った馬券の購入費だけになる。ただ男性側は「馬券を継続的に買っており、外れた馬券の購入費も経費とみるべきだ」と主張していた。
大阪地裁は「一時所得かどうかは具体的状況で判断すべきだ」との物差しを示し、この男性の馬券の買い方は「資産運用の一種」と判断した。外れ馬券もすべて経費と認めながらも、無申告は違法とした。
これだけだと、資産運用でなく競馬を楽しむ多くのファンには縁遠い話だが、判決は次のような見方も示している。
払戻金は、「原則としては一時所得」である。つまり、誰もが外れ馬券を経費扱いにできると認めたわけではない。だが、くだんの国税庁通達は各税務署に考え方を示したもので、国民に対する拘束力は持たない。
経費扱いできるのは勝ち馬券の購入費だけとの画一的な処理は、「弾力的運用」をうたう通達前文の趣旨にも合わない。判決はそうも指摘している。
「杓子定規(しゃくしじょうぎ)な課税はだめ」と、司法が警鐘を鳴らしていると受け止めるべきだろう。
今回のような馬券の買い方は、ネット技術の進展で容易になった。社会や経済活動の変化に応じた課税をどう進めていくのか。常に大きな課題である。
日本では、納税者が自ら所得と税額を計算する申告納税制度が基本である。どんな所得にどれだけの税が課されるかは、納税者が納得する形で示しておかないといけない。
税制改正に関する政府内の意見表明の過程で、国税庁は昨年9月、競馬など公営競技の払戻金は一定額を超えれば、税を天引きする案を示している。
ただ払戻金が課税対象であること自体、周知されているとは言い難い。公営競技の収益の一部はすでに公共事業に充てられており、天引き課税にはファンならずとも異論はあろう。有識者を含め多様な意見を十分に聞くべきだ。
今回の判決で税のありように関心が高まるなら、その意義はさらに大きくなる。