佛光寺派大阪教区第1組

    週刊ポスト問題・・佛光寺報より


    再度佛光寺の歴史を学ぶ

    「週刊ポスト」並びに井沢氏の回答
    回答に対する教学部の返書


    週間ポスト編集長並びに井沢元彦氏への教学部長名の抗議 (先月号に掲載) に対し返答を頂きましたので原文のまま掲載いたします。

    真宗仏光寺派教学部長・清水義道様
     前略
     弊紙1月14・21日合併号に掲載した井沢元彦氏の 「逆説の日本史」第四十一話 国一揆と一向一揆編 その9 「浄土真宗の血脈に対抗した仏光寺派・専修寺派の信徒争奪戦略」 に関して、貴殿より項いた抗議文、確かに拝読いたしました。
     井沢元彦氏の歴史ノンフィクション 「逆説の日本史」 は、歴史的事象をさまざまな視点から分析したものであり、貴宗を陥れる意図はまったくありません。ご指摘の諸点については、同封の井沢氏ご本人の回答書をお読みいただければ誤解が解けるものと確信いたしております。
     もとより、本案件は「謝罪」や「訂正」あるいは法廷での決着になじむものではなく、あくまでも議論を深めることで相互の理解が生まれてくるものであると考えます。今後とも、歴史的事実や解釈について宜しくご教示くださるようお願い申し上げます。
                  草々
     2000年1月28日
       「週刊ポスト」編集長
               坂本 隆

    真宗仏光寺派教学部長 清水義道様


     取り急ぎ御回答致します。
     まず初めに貴宗が、不法な圧力や陰険な妨害工作でなく、理性的かつ紳士的に文書で回答求めてきたことに対し、敬意を表したいと思います。
    当たり前のこととお思いかもしれませんが、宗教団体に対する批判に対し、卑劣な手段を以て報復してくるケースもあること考えれば、貴宗の態度は尊敬に値すると考えます。
     ただし残念ながら当方の謝罪訂正を求めた貴意には添い兼ねます。
     以下その理由を述べます。

     まずこの抗議には大きな誤解が二つあります。まず第一点、それも貴宗がもっとも怒りをあらわにされた部分ですが、私は 『逆説の日本史』連載中に「仏光寺を「邪教」と結論」したことなど、ただの一度もございません。それは連載をよくお読みになればわかるはずです。
     あるいは連載第367回 (2000年1月14日/21日合併号) の最後の文章「今回述べたことには、宗教が 「ビジネス」として成功するヒントが、すべて含まれている。それを最大限に悪用したものを、われわれは「邪教」と呼ぶのだ」 がそうだとおっしゃるのかもしれませんが、これは「最大限に悪用」した宗教を指しているのであって、言うまでもなくオウムや法の華三法行のような怪しげな宗教のことを言っているのです。
     連載をよくお読みになればわかるというのは、この次の号つまり連載第368回の書き出しは法の華三法行の「邪教的部分」から始めており、通して読めば何を言いたいのかは一目瞭然だと言うことです。(念のため当該部分をコピーしたものを添付しておきます。資料1)
     私がなぜこういうことを書いたかということについて、補足説明をさせてください。清水さんも宗教者のひとりとして、昨今のオウムや法の華三法行のような怪しげな宗教の跳梁跋扈には心を悩ませていると思います。私も同じ気持ちです。しかし私は純然たる宗教者ではないので、たとえば 「オウムなんかやめてうちに来なさい」 とは言えません。したがって何か別の方法で悪徳宗教の撲滅を図らねばなりません。
     その方法として今の私に一番できることは、歴史を研究する者として邪教というのはどうして生まれてくるのか、その特徴は何なのかということを明らかにすることにあります。
    教学部長の職にあられる方ならよくご存じでしょうが、残念ながら今の日本の歴史学者は、教理の研究はしてもこうしたことには足を踏み入れません。したがって、不肖私がやらねばならないと思っているのです。
    どうかこの点をご理解ください。

     それにしても、そのことを語るために仏光寺教団を引き合いに出さなくてもいいではなのに、という御不満がひょっとしたらお有りになるのかもしれません。
    その御不満の中には、井沢元彦は本願寺を正当だと思っている、という思いがお有りになるのでしょう。この点が大きな誤解の第二点です。
     私は今の本願寺教団を、あるいは蓮如の時代の本願寺教団を真宗の正当 (正統) だと認めたことは、実は一度もありません。正直言って、親鸞の教えをねじ曲げた部分もあると思っています。というのは、親鸞は自分の子孫を崇拝せよなどということは、一言も言っていないのに、蓮如のころから、法主が信仰の対象になってしまっているからです。ですから好き嫌いでいえば、私は本願寺が嫌いです。このことははっきり申し上げます。
     ただ、抗議文が来たのであわてて、そんなことを言っているのだろうと、誤解されるかもしれませんので、念のために私が今から18年前に書いた小説を同封致します(資料2)。小説ですから名指しはしていませんが、私が本願寺という組織に対してどういう感情持っているか、まさに一目瞭然でおわかりになると思います。
     しかしながら今は歴史を記述するものとして、いかに嫌いなものであっても、それなりに評価すべきものは評価すべきだと思っています。蓮如という人物は教勢の拡大者としては日本の歴史上五本の指に入る人物であり、それゆえにその部分については評価しなければいけないと思います。
     しかしその蓮如の敷いたレールによって、いずれ本願寺教団が戦闘集団になっていくということは、蓮如の過ちとして厳しく指摘するつもりです。ちなみに連載中の異端という言葉が問題になっているようですが、よくごらんになってください。
    私が文中で異端という言葉を用いる際は必ず「 」をもってくくつています。これは蓮如の立場からみれば異端だが、筆者つまり私は必ずしもそう思っていない、ということを示しています。これは「逆説の日本史」全巻を通じ、私が用いている用法であって愛読者ならばよくご存じですし、どの巻でも結構ですから、読んでいただければ私の言葉に偽りのないことがお分かりになるはずです。
     私はなぜ邪教が発生するかについて、それは宗教と布教の間に必ず存在する、いわばガンのようなものだと思っています。簡単に言えば、宗教は難解なものであるがゆえに、それをかみ砕いて広めるという作業が不可欠ですが、この 「広める」 の部分でしばしば宗祖の教えに反した誤解や曲解が行われ、それが最大限に悪用されると邪教になる、ということです。逆に言えば宗教であれば、それがどんなにまともな宗派であっても邪教につながりかねない 「危うさ」 があるということです。
     私はそう思いますが、清水さんはいかがですか?
     もちろん 「我が仏光寺教団はそんな危うさは一切ない」 とおっしゃるなら、議論は平行線でしょう。しかし、私が今回一連の連載で書きたかったことはその「危うさ」なのです。
    そういうものが、宗教全般にあるということは、特定の宗教者の立場からはなかなか言いにくいことと思います。だからこそ私のようなものが言うべきだと思っているのです。
     大乗仏教もそれ以前の上座部仏教(小乗仏教) からいえば 「異端」だと言いうるかもしれません。しかし大乗仏教の信者はそうは言わないでしょう。それは信仰上の問題だから仕方がありません。しかし歴史研究者としてはやはり「大乗仏教は本来の釈迦の教えとは違っている」というべきでしょう。もしこの際大乗仏教の信者から「おまえの研究は間違っている」といわれたら、「それは違います」、としか答えようがありません。私の立場はこのようなものとご理解ください。
     要するに、この抗議文は私、井沢元彦が

     1、仏光寺教団を「邪教」と決めつけている
     2、本願寺教団を真宗における唯一正統と認めている

    という2つの大きな誤解の上に成り立っているものでありますから、貴意には添いかねる、というのが結論であります。

    追伸 以上抗議文の主旨が、誤解に基づくものである以上、細目についてはお答えする義務もないと思いますが、念のためにご回答申し上げます。
    抗議文項目の1、2については、上記本文でお答えしました。

     3 について、歴代の法脈継承者を絵系図に載せることは仏光寺教団独自の特徴であり、そのことが教勢を拡大することにつながったというのは、私の解釈であります。その理由については連載本文中に述べてあります。この抗議部分も筆者が仏光寺教団を不当に?めようとする意図があるという、誤解に基づく批判であり、まずその偏見を捨ててから冷静に読んでくださいとしか、申し上げようがありません。
     また絵系図についての御指摘は確かにおっしゃるとおりでしょう。ただしこれは、イラストであります。
    イラストというのはイメージ (初心者にそれがおおよそどんなものか)を伝えるもので、それに対して、写真のように正確ではない、という批判は当たりません。ましてや、仏光寺を貶めるために 「悪意に満ちた先入観と偏見」によって「捏造し」た、という抗議文の表現は、まさに、筆者に対する「悪意に満ちた先入観と偏見を感じずにはいられません」
    第一、一般の読者がこのイラストを見てご指摘のような間違いに気がつくでしょうか?万一気がついたとして、そのことで仏光寺に対する反感や悪意を抱くでしょうか?
     このあたりよくよく冷静にお考えください。

     4 について、抗議文では、「名帳と交名帳が仮に同一であったとして (中略)一般の門信徒を記載することはあり得ず、「極楽往生決定者名簿」であったとは到底言うことが出来ません。井沢氏の見解はここにおいても、充分な史料的考証を欠いたものと断言できます」と、いかにも私がいい加減な考証をした人間のように敗められていますが、比較的最近の研究書でも、次のような記載があるのをご存じでしょうか。
    「しかし名帳を企画した側はともかく、これを開いた真宗門徒の間に、この名帳に名字が記されれば浄土往生が保証されると言う観念が存在していたことは「改邪抄」による限り、事実であるといわざるを得ない。何故このような信仰ないし俗信が広まったのか。序題がこのような観念の原因と思えない以上、その原因は交名を記すという形式そのものにあると見るのが妥当であろう」 (「一向一揆と真宗信仰」神田千里著 吉川弘文館刊) 以上のような見解を取る学者がいる以上、少なくとも、私の見解を、「充分な史料的考証を欠いたものだと断言」 は出来ないはずです。
    また抗議するならば、こうした見解を唱える学者すべてに抗議すべきでしょう。また、もし仏光寺内部に、こうした見解を否定する、「改邪抄」と同時代の資料があるならば、是非とも公開すべきでしょう。私もそういうものがあるならば、是非教えていただきたいと思います。

     5 について、これも、当該部分をよくお読みください。つけ込んだ、という言葉にお怒りのようですが、当該部分ではちゃんと 「本願寺側の視点で言えば」 つまり、本願寺の立場から見れば、という断りをつけた上で、なおかつ、「つけ込んだ」という言葉も「 」 でくくつています。これは回答文で述べたように、私は必ずしもそう思っていない、という意味です。したがって、御批判はまさに見当違いとしか言いようがありません。***

                 以上
               2000年1月28日
                井沢元彦



    拝復
     小学館「週刊ポスト」並びに井沢氏の回答確かに拝受しました。回答文の内容については、わが教団と致しては全く不本意であり、論旨並びに歴史的記載事項の誤謬の数々は承服できません。更なる考究を求めます。
     親鸞聖人の教えを宣布し、現代社会に生きる人間の苦悩にいかに応答するかが、わが教団の使命であり、どのようにその使命と責任を果たすかが教団の本義であって正邪や勝敗を決するような行為は宗教教団のあり方、仏教の教えと質を異にする事柄であることを自覚するものであることを申し添えます。
     次に参考までに当方の意思を付します。
    (参考)
     A井沢氏の回答の中に氏の見解を拝見させていただきましたが、氏は、
      1、佛光寺教団を「邪教」と決め付けている
      2、本願寺教団を真宗における唯一の正当と認めている
    と、当方が2点の 「誤解」に基づいているとされていますが、例えば個々の言葉に「 」を付けようと、全体の論調自体がすでに佛光寺を侮辱するもので、残念ながら前後の文を読みましてもその印象を拭い去る事はできません。、
     したがって当方が問題にしているのは 『週刊ポスト』 の当該号の連載が、氏に当派を誹謗する意思の有る無しにかかわらず、全体として佛光寺を誹誘する文章であるということです。しかも氏は持説を満足させるために教団の法物を勝手に捏造し、それに基づいた論旨を根拠としているという点です。
     さらに大衆情報誌での著述が読者に与える影響はいかばかりのものか、それについては第三者の心象に判断を委ねれば良いわけですので、ここで論じる必要はないと思います。
     A一流相承系図(絵系図)は現在、国の重要文化財に指定されている教団所蔵の法物です。氏はイラスト化の理由を「初心者にそれがおおよそどんなものか」伝えるためとおっしゃいますが、そのために教団の法物を氏の解釈に基づいた、現実に存在しない一流相承系図を掲載して良いという事にはなりません。
     さらに氏は、先日送られてきた回答書の中で、「第一、一般の読者がこのイラストを見てご指摘のような間違いに気づくでしょうか?」と述べています。氏はイラストの捏造を「間違い」と認めていますが、読者が気づかなければ史料の捏造をしても問題はないというのでしょうか。
     またそれに続けて、「万一気がついたとして、そのことで佛光寺に対する反感や悪意をいだくでしょうか?
    このあたり冷静にお考えください」とありますが、史料そのものよりも、捏造された史料に基づく氏の論調が読者に 「佛光寺に対する反感や悪意をいだく」結果になると再三申し上げているわけです。
     今回の記事は史料に基づかないだけでなく、史料そのものを捏造したものであり、さらに読者に分からなければ何をしても問題ないと開き直る氏の姿勢には、「歴史研究者」とは程遠いものを感じます。
     Bこれは何も井沢氏個人の問題でなく、このような連載を許した小学館の責任でもあります。今回のイラストの問題は氏も「間違い」 であったと認めるもので、つまり日本のマスメディアの一翼を担う小学館が、取材元を捏造した記事を掲載したことにほかなりませんし、そこに重大な過失があったと言わざるを得ません。
     前に述べましたように、歴史学では史料に基づいた論理の展開を前提とし、史料そのものを捏造する事は決して許されません。
     報道の現場においても同様だろうと思います。報道に関して当方は素人でありますが、しかし取材を行い、それを様々なメディアにおいて報道するという一連の流れは、史料を発掘し、それに基づいて論理を展開し発表するという歴史学の作業に共通であろうと思われます。そして報道の現場におきましても、取材元を捏造するということは決して許されないことでありましょう。
     また 『逆説の日本史』 に対する貴誌の認識は「ノンフィクション」 でありますが、当該号に記載された記事は、繰り返し述べましたように、史料の捏造によって描かれた世界です。また氏は自称「歴史研究者」 ですが、史料の取り扱いや、論述の仕方に問題があることは以上で明白になったと思います。
     Cその点をもう少し詳しく述べるなら、送付されました回答書の4で井沢氏は神田千里先生を引き合いに出されていますが、神田先生は実際に佛光寺派の各末寺を調査され、歴史資料に基づいた研究を重ねておられることを存じ上げています。
     また先生の論述は、全てにおいて史料を元になされ、氏の引用された名帳に関する箇所も『改邪砂』をきちんと引用されています。
     つまり当派は真宗史に対し史料に基づいた学術的な態度で臨む限りこのような抗議活動をとることは有りません。神田先生は史料を捏造する事はありませんし、宗派の寺院を丁寧に調査し、史料の発掘に尽力されています。
     このような先生の真宗の歴史に対する姿勢は、たとえその論述の一部が宗派にとって不本意なものであっても、先生の功績には敬意を表しますし、佛光寺派のみならず、宗派の枠を超えた研究成果の大なることを鑑み、歴史学者として宗派の研修会に先生を講師としてお招きしたこもあります。
     D一方、井沢氏は当該号で史料を捏造したばかりか、特に史料を引用することもありませんし、直接調査をされたようにも見受けられません。 また回答書では、「こうした見解を否定する、『改邪紗』と同時代の史料があるならば、是非とも公開すべきでしょう。私もそういうものがあるならば、是非教えていただきたい」と述べておられますが、その史料こそ、氏が捏造した一流相承系図の序題ではないでしょうか。
     その序題に 「先年名字ヲシルシテ系図ヲサタムトイヘトモ カサネテ
    ィマ コノ画図ヲアラハス」とあり、一流相承系図に先立つものとして存在したのが名帳と捉えるのが自然でしょう。つまり一流相承系図は名帳と同じ意図で作成されたものです。
    そして序題には「極楽往生者決定名簿」としての性格を表現した文言は一切ありません。
     氏は「史料を公開すべき」と主張していますが、単に目の前にある史料を見ていないだけのことです。
     更に、一流相承系図を用いる時に、何ゆえ『改邪紗』を引用するのか理解に苦しみます。
     普通に考えるならば佛光寺派の伝来する一流相承系図を読み解くのであれば、その趣意書である序題に従って読み解くのが常識で、それを敢えて了源上人の時代に、佛光寺を嫌っていた覚如上人の 『改邪砂』を引用し読み解こうとする姿勢がそもそも間違っていますし、それを無批判に用いることにも抵抗を感じます。
     以上のことから考えますに、氏は一流相承系図を捏造する際に、写真等を参考にされたことはわかりますが、序題まで見ていないように推測されます。
     つまり前回の抗議文で述べましたように「充分な史料的考証を欠いた」もので、これは自称「歴史研究者」として、氏の力量の限界を露呈するものであります。
     以上、回答書に対する返事として送付いたします。
    平成十二年二月二一日
      真宗佛光寺派教学部長
              清水義道
    小学館 週刊ポスト編集長殿
          井沢元彦  殿

    Last Update: Mar.03,2000