週刊ポスト問題・・佛光寺報より
「週刊ポスト」並びに井沢氏の回答
回答に対する教学部の返書
 まずこの抗議には大きな誤解が二つあります。まず第一点、それも貴宗がもっとも怒りをあらわにされた部分ですが、私は 『逆説の日本史』連載中に「仏光寺を「邪教」と結論」したことなど、ただの一度もございません。それは連載をよくお読みになればわかるはずです。
 あるいは連載第367回 (2000年1月14日/21日合併号) の最後の文章「今回述べたことには、宗教が 「ビジネス」として成功するヒントが、すべて含まれている。それを最大限に悪用したものを、われわれは「邪教」と呼ぶのだ」 がそうだとおっしゃるのかもしれませんが、これは「最大限に悪用」した宗教を指しているのであって、言うまでもなくオウムや法の華三法行のような怪しげな宗教のことを言っているのです。
 連載をよくお読みになればわかるというのは、この次の号つまり連載第368回の書き出しは法の華三法行の「邪教的部分」から始めており、通して読めば何を言いたいのかは一目瞭然だと言うことです。(念のため当該部分をコピーしたものを添付しておきます。資料1)
 私がなぜこういうことを書いたかということについて、補足説明をさせてください。清水さんも宗教者のひとりとして、昨今のオウムや法の華三法行のような怪しげな宗教の跳梁跋扈には心を悩ませていると思います。私も同じ気持ちです。しかし私は純然たる宗教者ではないので、たとえば 「オウムなんかやめてうちに来なさい」 とは言えません。したがって何か別の方法で悪徳宗教の撲滅を図らねばなりません。
 その方法として今の私に一番できることは、歴史を研究する者として邪教というのはどうして生まれてくるのか、その特徴は何なのかということを明らかにすることにあります。
教学部長の職にあられる方ならよくご存じでしょうが、残念ながら今の日本の歴史学者は、教理の研究はしてもこうしたことには足を踏み入れません。したがって、不肖私がやらねばならないと思っているのです。
どうかこの点をご理解ください。
 それにしても、そのことを語るために仏光寺教団を引き合いに出さなくてもいいではなのに、という御不満がひょっとしたらお有りになるのかもしれません。
その御不満の中には、井沢元彦は本願寺を正当だと思っている、という思いがお有りになるのでしょう。この点が大きな誤解の第二点です。
 私は今の本願寺教団を、あるいは蓮如の時代の本願寺教団を真宗の正当 (正統) だと認めたことは、実は一度もありません。正直言って、親鸞の教えをねじ曲げた部分もあると思っています。というのは、親鸞は自分の子孫を崇拝せよなどということは、一言も言っていないのに、蓮如のころから、法主が信仰の対象になってしまっているからです。ですから好き嫌いでいえば、私は本願寺が嫌いです。このことははっきり申し上げます。
 ただ、抗議文が来たのであわてて、そんなことを言っているのだろうと、誤解されるかもしれませんので、念のために私が今から18年前に書いた小説を同封致します(資料2)。小説ですから名指しはしていませんが、私が本願寺という組織に対してどういう感情持っているか、まさに一目瞭然でおわかりになると思います。
 しかしながら今は歴史を記述するものとして、いかに嫌いなものであっても、それなりに評価すべきものは評価すべきだと思っています。蓮如という人物は教勢の拡大者としては日本の歴史上五本の指に入る人物であり、それゆえにその部分については評価しなければいけないと思います。
 しかしその蓮如の敷いたレールによって、いずれ本願寺教団が戦闘集団になっていくということは、蓮如の過ちとして厳しく指摘するつもりです。ちなみに連載中の異端という言葉が問題になっているようですが、よくごらんになってください。
私が文中で異端という言葉を用いる際は必ず「 」をもってくくつています。これは蓮如の立場からみれば異端だが、筆者つまり私は必ずしもそう思っていない、ということを示しています。これは「逆説の日本史」全巻を通じ、私が用いている用法であって愛読者ならばよくご存じですし、どの巻でも結構ですから、読んでいただければ私の言葉に偽りのないことがお分かりになるはずです。
 私はなぜ邪教が発生するかについて、それは宗教と布教の間に必ず存在する、いわばガンのようなものだと思っています。簡単に言えば、宗教は難解なものであるがゆえに、それをかみ砕いて広めるという作業が不可欠ですが、この 「広める」 の部分でしばしば宗祖の教えに反した誤解や曲解が行われ、それが最大限に悪用されると邪教になる、ということです。逆に言えば宗教であれば、それがどんなにまともな宗派であっても邪教につながりかねない 「危うさ」 があるということです。
 私はそう思いますが、清水さんはいかがですか?
 もちろん 「我が仏光寺教団はそんな危うさは一切ない」 とおっしゃるなら、議論は平行線でしょう。しかし、私が今回一連の連載で書きたかったことはその「危うさ」なのです。
そういうものが、宗教全般にあるということは、特定の宗教者の立場からはなかなか言いにくいことと思います。だからこそ私のようなものが言うべきだと思っているのです。
 大乗仏教もそれ以前の上座部仏教(小乗仏教) からいえば 「異端」だと言いうるかもしれません。しかし大乗仏教の信者はそうは言わないでしょう。それは信仰上の問題だから仕方がありません。しかし歴史研究者としてはやはり「大乗仏教は本来の釈迦の教えとは違っている」というべきでしょう。もしこの際大乗仏教の信者から「おまえの研究は間違っている」といわれたら、「それは違います」、としか答えようがありません。私の立場はこのようなものとご理解ください。
 要するに、この抗議文は私、井沢元彦が
 1、仏光寺教団を「邪教」と決めつけている
 2、本願寺教団を真宗における唯一正統と認めている
という2つの大きな誤解の上に成り立っているものでありますから、貴意には添いかねる、というのが結論であります。
追伸 以上抗議文の主旨が、誤解に基づくものである以上、細目についてはお答えする義務もないと思いますが、念のためにご回答申し上げます。
抗議文項目の1、2については、上記本文でお答えしました。
 3 について、歴代の法脈継承者を絵系図に載せることは仏光寺教団独自の特徴であり、そのことが教勢を拡大することにつながったというのは、私の解釈であります。その理由については連載本文中に述べてあります。この抗議部分も筆者が仏光寺教団を不当に?めようとする意図があるという、誤解に基づく批判であり、まずその偏見を捨ててから冷静に読んでくださいとしか、申し上げようがありません。
 また絵系図についての御指摘は確かにおっしゃるとおりでしょう。ただしこれは、イラストであります。
イラストというのはイメージ (初心者にそれがおおよそどんなものか)を伝えるもので、それに対して、写真のように正確ではない、という批判は当たりません。ましてや、仏光寺を貶めるために 「悪意に満ちた先入観と偏見」によって「捏造し」た、という抗議文の表現は、まさに、筆者に対する「悪意に満ちた先入観と偏見を感じずにはいられません」
第一、一般の読者がこのイラストを見てご指摘のような間違いに気がつくでしょうか?万一気がついたとして、そのことで仏光寺に対する反感や悪意を抱くでしょうか?
 このあたりよくよく冷静にお考えください。
 4 について、抗議文では、「名帳と交名帳が仮に同一であったとして (中略)一般の門信徒を記載することはあり得ず、「極楽往生決定者名簿」であったとは到底言うことが出来ません。井沢氏の見解はここにおいても、充分な史料的考証を欠いたものと断言できます」と、いかにも私がいい加減な考証をした人間のように敗められていますが、比較的最近の研究書でも、次のような記載があるのをご存じでしょうか。
「しかし名帳を企画した側はともかく、これを開いた真宗門徒の間に、この名帳に名字が記されれば浄土往生が保証されると言う観念が存在していたことは「改邪抄」による限り、事実であるといわざるを得ない。何故このような信仰ないし俗信が広まったのか。序題がこのような観念の原因と思えない以上、その原因は交名を記すという形式そのものにあると見るのが妥当であろう」 (「一向一揆と真宗信仰」神田千里著 吉川弘文館刊) 以上のような見解を取る学者がいる以上、少なくとも、私の見解を、「充分な史料的考証を欠いたものだと断言」 は出来ないはずです。
また抗議するならば、こうした見解を唱える学者すべてに抗議すべきでしょう。また、もし仏光寺内部に、こうした見解を否定する、「改邪抄」と同時代の資料があるならば、是非とも公開すべきでしょう。私もそういうものがあるならば、是非教えていただきたいと思います。
 5 について、これも、当該部分をよくお読みください。つけ込んだ、という言葉にお怒りのようですが、当該部分ではちゃんと 「本願寺側の視点で言えば」 つまり、本願寺の立場から見れば、という断りをつけた上で、なおかつ、「つけ込んだ」という言葉も「 」 でくくつています。これは回答文で述べたように、私は必ずしもそう思っていない、という意味です。したがって、御批判はまさに見当違いとしか言いようがありません。***
             以上
           2000年1月28日
            井沢元彦
Last Update: Mar.03,2000